櫻坂46の「コンセプト」とは?~2nd TOUR 2022を経て~
「櫻坂として行くべき道が見えた」
細かい表現は忘れたが、こういうニュアンスの発言は、ツアーのMCで幾度かされた。私が耳にしたのは地方ラストの福岡公演とツアーファイナル。このツアーの終盤であり、ツアーを通しての感想を手応えとともに語ったシーンだ。一応補足しておくと、私が耳にしたのは菅井友香と武元唯衣の発言である。
もちろん彼女たちが念頭に置いているのは去年のツアー。全員が欅坂46時代からのメンバーなのに、改名とともにその欅坂時代の曲は「封印」し、新たなグループの一員として活動する(ことを強いられる)という、おそらく前代未聞の事態。その改名からわずか1年足らずで全国ツアー、2時間ほどのライブを成立させるために櫻坂はギリギリの数の曲しか持っていなかった。全国を回るにつれてMVやライブ披露を徐々に解禁するというやり方を採用したこともあり、引っ提げた3rdシングル楽曲を全て披露することもできず、したがってそれまでの2枚のシングルの収録曲は全披露というライブが続いた。
全ての曲を披露する。「色」とか「コンセプト」とかあったもんじゃないかという意見にはおおむね同意する。そりゃそうだ。前身の欅坂の楽曲に明確な色があったこともあってか、メンバーの間にも「このライブは何なんだ」「全部の曲を披露するライブなんて誰が楽しいんだ」みたいな思いがあったのかもしれない。
当たり前だしやり方的に仕方ないとはいえ同じ楽曲での同じような公演が場を変えても続くのだから、「マンネリ化」が指摘されるのもまあ当然。ここにもメンバー的には「私たちだってやりたくてやってるわけじゃ…」という思いももちろんあっただろう。それはそう。持ち楽曲の数に対する責任は、基本的にはメンバーには一切ない。
そして、個人的な見解になるが、4thシングルとアルバムで新たに解禁された楽曲には、それ以前の曲に比べて明確に「色」が出てきたように思える(渡邉理佐や菅井友香を送り出す全員曲という性質上、『僕のジレンマ』『その日まで』は除く)。メンバー発の下からの動きなのか、それとも運営的立ち位置の人間が決めたのか、それともその両方なのかは知らないが、「櫻坂として行くべき方向性」的なものが見定められそれに適した曲が増えてきたというのが私の分析だ。
アルバム曲がツアーで全て披露されることは当然として、4thシングルの曲も今回のツアーでは重宝された。リリースから間もないから当然っちゃ当然だろうが、この「方向性」「行くべき先」的なものにより「適した」曲が優先して披露されたように思える。
ツアーでの曲選び自体には特に感想はない。当然の振る舞い方のように思う。サイリウム禁止とかを見ても、今回のツアーで特に演出含めた「コンセプト」が重視されたのは言うまでもなく、このコンセプトに沿っていない曲は当然披露できるわけがない。あと、感じてもらえるかもしれないが、個人的に4th以降の楽曲で好きなものの割合は減ってしまった。刺さらない、理由は不明だが私の好みには合わないのだ。もちろんこれも個人の感じ方だから結構どうでもいい。好き嫌いはみんなあるし、みんながみんな好きな曲だけで構成されているアーティストなんて存在しようがない。ここにももちろん、私は問題提起をするつもりはないしやりようがない。
私がある種の問題視をしているのは、この「コンセプト」が今回の2年目のツアーのコンセプトではなく、これからの櫻坂のコンセプトとなりそうなことに関してだ。
どんなコンセプト?
ライブを観てない方に今回のツアーのコンセプトなるものを説明すべきだし、観た方ともおそらく解釈はズレているので、私なりの解釈は提示されなければならない。
が、文章で説明するのは困難を極める。言語化しようとしたが私には無理。だからキーワードで攻めようと思うが、「クール」「神秘」「スマート」「場」「全体」「アイドルらしくない」といったところかなと。順番は適当、思いついた順。おそらく、伝わらない。
可愛さよりは、静かで激しい美しさ。情熱というよりは、目に見えないところで燃えるクールさ。個人や個の曲の集合体としてのライブというよりは、全体あっての個人や曲という形でのライブ。こんな感じでどうだろうか。
このコンセプトから外れるであろう、『美しきnervous』『思ったよりも寂しくない』はアンコール楽曲として披露された。このライブに関しては適切な方法だと多くの人が思ったのではないだろうか?アンコールを「本公演で披露できない曲をやる場」として認識すれば、私の言いたいことが伝わる人は一定数いると思う。
とにかく、このコンセプトで櫻坂がこれから突き進んでいくとしたら、そこには大きな問題が存在していると私は思う。
なぜ問題と思うのか?
1決めてしまうには早すぎる
だって、まだ実質的な結成から2年だ。早い。早すぎる。本当にあらゆる道を見定めたのか?もっと「良い」コンセプトはなかったのか?欅坂からの改名グループという文脈との距離感の試行錯誤はもう果たされたのか?
一つのコンセプトに沿ってグループを作っていくことを決めるということは、そのコンセプトがグループにとって(その時点では)「最善」であると認めるということだ。本当にそうなのか。
そもそもアイドルグループは、コンセプトを模索する、成長するという家庭の物語も結果に直結するという、例えばスポーツチームとはまた違った特性を持つ。試行錯誤も「作品」になるし、ファンを喜ばせる。だからといってコンセプトを一つ決めてそれに沿うグループに価値がないという話では全くなく、それはまた別の魅力を持つのは当然。そういう道もあるのに、そんな急いでコンセプト決めなくてもいいじゃんと言いたいのだ。
2活きるメンバーと活きないメンバーの差が激しい
これから間もなく、櫻坂には3期生が入ってくる。グループは新章に突入する。未来の3期生に何を期待するかは人それぞれだと思うが、私は3期生がどうこう以前に、まず今あるリソースを活かしてほしい、活かす術を考えてほしいと考えている。
要するに、今いるメンバーがもっと輝く道があるのではないか、今ある曲をもっと光らせるやり方があるのではないか、ということだ。新たなものを得ることは絶対的に有用であり続ける手段だし、もちろん既存のものだけで永遠にやり続けてほしいわけじゃない。が、「今あるもので」という視点がなければブレまくりないものねだりの組織になりかねないし、そもそも今いる人を活かせない組織で彼ら彼女らのモチベーションは維持されるわけじゃない。
このコンセプトでは持ち味を発揮し活きるメンバーと、そうじゃないメンバーがとりわけ顕著に表れてしまうと感じた。
誰が活きるのか。『摩擦係数』の主役である森田ひかると山﨑天、田村保乃、小池美波や小林由依といったところは自分の持っているものを活かせるライブになったはず。
彼女たちの共通点は何なのか。大きな場としての「作品」の中の一部分として輝くことができるメンバーである、という表現で私の言いたいことは伝わるだろうか。巨大な空間の中でコンセプトに沿って適切に振る舞い、大きな「作品」を成立させることを最優先にしつつその上で個性も発揮できるメンバー、それがここで挙げられたメンバーだろう。
逆はどんなメンバーか。大きなコンセプトや「作品」の中でではなく、一曲一曲、一人ひとりへのフォーカスで活きるメンバーはこのやり方ではどうしようもないだろう。具体的には、ダンスの武元唯衣や遠藤光莉、歌の松田里奈や井上梨名が挙げられると思う。彼女たちのキャラクターが今回のツアーのコンセプトにあまり合っていないのは伝わると思うが、それは小池とか田村もそう。注視したいのはそこではなく、彼女たちは一貫したコンセプトにおいてではなく様々な色の曲をやる方がそれに応じて自分たちらしさを出し良さを発揮しやすくなるのでは、というところだ。大きな場やコンセプトありきではなく、一曲ずつ一人ずつの積み上げという形でのライブであればここで挙げたメンバーはより強みを活かしてパフォーマンスできると思う。
藤吉夏鈴はどうか。コンセプトの下で適切に振る舞えてはいたし充実したパフォーマンスをしているように見えたが、本来彼女は後者タイプのはず。コンセプトを一貫させず、曲ごとに様々な色を見せる藤吉を積み上げていくという構成でさらに彼女は活きるはず。「向いてない」やり方であれだけの存在感を放つのだから彼女はすごいのだが。
「活きるメンバーって要するに主力メンじゃん!」
そうなのだ。コンセプトの下で適切に振る舞えるメンバーは主力でエイトで良い立ち位置で、他の子はそうではない。のであれば、コンセプトの下で適切に振る舞えることは実力であり、持ち味ではないのでは?それ自体が能力を測る規準になるのでは?という反論はあると思う。し、おそらく櫻坂の運営はこのように考えているはずだ。「できる」森田や山﨑らと「できない」他メンバー。私はこうは全く思わないし、歩み寄れるようには思えない。だって見え方の問題だ。このように思っているとすれば、武元や松田らにとって足りないのはコンセプトのあり方とかコンセプト自体ではなく「実力」「努力」になる。
櫻坂の運営の見方は気になるが、それが見えるであろう絶好の機会がある。3期生のメンバー選考とその後の育成だ。そのサンプルとして、直近にグループに加入した新2期生のうち準主力的な立ち位置にまで上り詰めた大園玲と守屋麗奈に注目したい。
2人が活きるメンバーか活きないメンバーか、どちらなのか。大園も個人フォーカスで活きるように思えるが、個人的には彼女の器用さは小林と並んでグループ随一であると思う。もちろん大きな場の中で適切に振る舞うこともできていた。
守屋は完全に活きないタイプ。と思いきや、今回のライブで素晴らしい役割を果たしていたように思う。個人のキャラクターとしては今回のコンセプトとは真逆であろうに、だ。特に『制服の人魚』のパフォーマンスは圧巻であった。彼女にああいう表情の使い方ができるとは正直思ってなかった。
守屋が最初から抜群に可愛いのは言うまでもないとしても、彼女がパフォーマンスメインのアイドルとして最初から能力が高かったかと言われればみな首をかしげると思う。それが短期間でここまで成長している。2年前なんて表題の選抜落ちなのだ。本人の努力が素晴らしいのは言うまでもないとしても、その努力の方向付けが上からされていなければここまでの急激な変化は起こり得ないだろう。
新メンバーの選考がどのような感じなのか、どういうキャラクターの3期生が加入するかで、運営がこのことをどう捉えているかはわかるはず。3期の選考時期と、私が路線変更を思った4th以降の活動時期は被っている。明確な意図を持ち、コンセプトに沿った選考がされている可能性はかなり高いと思う。
これは危険。だって、そのコンセプトでもしダメだった時に保険がなくなってしまう。「やり直し」が効きにくくなってしまうのだ。
「活きないメンバー」はそのままで主力になり得る
活きるメンバー=実力がある主力ということにしてしまえば、グループ全員がああなることが理想として価値づけられることになる。そんなことが正しいわけがない。一つのコンセプト下でやれなくても、曲ごとには光るってメンバーは、そのままで主力になり得るし主力として使うべきなのだ。
遠藤や武元みたいなメンバーがどれだけ貴重なのか、彼女たちの個性をないがしろにして失ってはじめて気づくなんてことにならないことだけを祈る。彼女たちは実力を持っていないのではなく、今の主力メンバーとは違う実力を持っているだけなのだ。
試行錯誤はもっとできる
以上長々述べてきたのは私の意見。あくまで個人的見解で、これが絶対的に正しいわけはない。私は正しいと思っているけど。だから、私が言うようにしてほしいというわけではないのだ。そんなのはあまりにも傲慢で、もちろん言うだけならアリだし言える人は言っちゃえよと思うけど、私が言うには櫻坂へのコミットも内部理解も言語化能力もあまりに不足している。
私が言いたいのは結局、「決めちゃうのは早すぎるんじゃない?」ということと、「今あるリソースもっと活かせるんじゃない?」ということ。今あるメンバー今ある曲をより良く魅せるために、まだまだ試行錯誤は足りないくらいなはず。色々考えて考えてその過程も「やってみた」結果も外に出して、それで決めちゃうのであれば私もより納得できると思う。できないかもしれないけど、こうして書くことは変わるしより言いがかり的になると思う。
色が明確でコンセプトなんて誰の目にも明らかだった欅坂はカッコいいし、そもそもそのグループに入りたくて実際入ったメンバーしか今はいないのだから、こういうやり方に価値が見出されるのはわかる。それもそれでやり方としては素晴らしいものだ。でも、それでも、まだまだ時間はあるだろう。櫻坂46はまだ2歳そこらの赤ちゃんグループなのだ。色々試して考えて試して考えてまた試して、そういう時間と機会と空気感は足りてるはずだ。
今回のツアーは、正直私が櫻坂46に臨む方向性とは異なるコンセプトに沿ったものであったが、そのコンセプトを前提にすればめちゃくちゃに素晴らしいものだった。出来としては最高に近いと思う。でも、だからこそ、これは今後の活動の教科書にはなれど見本にすべきではないと思う。教科書の内容はまだ十分ではない。色んな試行錯誤でもっと埋められるはず。
どんな道でも、もちろん今のままでも私は櫻坂の応援をやめない。彼女たちの歩みをしっかりと目に焼き付けてまた私も色々考えたいと思う。
おわりに
今回の私の見解はかなり偏ったものになっています。主観ばかりで客観的に評価できるものはあまり使っていませんし、メンバー評価でも私個人の推し度はかなり影響していると思っています。
なので、私のこの文章に何か考えたことや意見、提案等あればぜひ書いていただきたいです。櫻坂を私以上に好きな人も、逆に櫻坂なんて何にも知らねえよ!という方も。多くの方の意見等を聞いてみたいのでよろしくお願いします。
また長くなってしまった!お読みいただきありがとうございます!
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