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5yncri5e!のQ&A キミはどんな人なの?

はいどうも、共犯者が生まれたので初投稿です。

始まりの地

いつも通りのX(旧Twitter)上のオタク語りの中で、これユニット曲それぞれにモチーフになったキャラがいるんじゃない?という話になったのですが、今回はその中でも個人的に一番面白いなと思った『Jellyfish』『Dancing Raspberry』の対応について話していきたいと思います。
いやあの、いつも大体この手の考察と与太の境界線でタップダンスしてる感じのオタク語りは旧Twitter(X)でやって終わりにしがちなんですけど、ちょっとこれちゃんと形にしたいなあの機運が生まれたため筆を執った次第です。

それではゆるりと語っていきますので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。どうぞよしなに~

ちなみに共犯者オタクとすり合わせた結果はこんな感じです、よければ聴いてみてね。

君ってなんで……あれお前可可じゃね?


ユニット楽曲にそれぞれ対応するキャラクターがいるのでは?という発想に至ったきっかけとして、ひとつはJerryfishというわかりやすく冬毬モチーフの楽曲が来た、というのがあるのですが、もうひとつ大きかったのはニュートラルの存在なんですよね。


MV初見を食らう私

このニュートラルという楽曲、所謂片思いラブソングなので当然相手がいるわけなんですが、同じ系統の楽曲であるベロアに比べてその相手の人物像がかなりしっかりと読み取れるような歌詞をしているんですよね。
別れ際に手を振ってくれたり、悩み事には寄り添ってくれたり。くしゃくしゃの笑顔で笑う無邪気な『君』は決して冷たい人ではなく、むしろ人懐っこさすら感じさせる優しい人に見えます。

いい人というよりいいやつで、近づくことは簡単で、だというのに真に迫ることはできない。すぐそばにいるはずなのに、踏み入れない壁がたしかにある。そんな人と言えばそう、唐可可ですよね

そこからは早いものでした。

突如おれの脳内に溢れ出した存在しない記憶、そうだわたし同じクラスのくぅちゃんに片想いしてたんだ、そっかそうなんだ、あの人の前で笑う貴女の笑顔が一番素敵だよ。にゃーん、あと存在する記憶、いやこういう野郎に惚れるのわかりすぎ、クソが、おれをこんなに狂わせておいてなにを普通にしてやがるあの野郎、おれをおいて彼女作ってんじゃねえよ、嘘幸せになって、いやおれは???なんだお前その距離感は、むかつく〜!!!


はい。


まあその、こんな感じでニュートラルちゃんの話はロジックもエビデンスもクソもない冬毬に見せたらイチから書き直しを要求されそうなキモオタの発狂をお届けしてしまうだけになりますので、詳しくは可可に詳しいオタクの記事を読んでいただければと思います。今回の共犯者です。


「何度言ったってわかるわけない」


というわけでここからちゃんと書くんですけど、Jellyfishを初めて聴いた時、一通り「曲強ェ〜!!!」の発狂を経てゲッダンもかくやの横転をカマした後Dancing Raspberryと似たフレーズが多いなあと思いまして、アンサーソング的な感じなのかなあと思ったんですよね。

でもよく読んでみるとどちらかというとJellyfishの方がクエスチョン側というか、ままならない気持ちをそのまま吐き出してるような印象を受けました。

わかってほしいけどわかった気にならないでほしい、1人になりたいわけじゃないけど縛られたくない、わたしはわたしなんだ、今を生きてるんだから、未来とかそういう大人の理論はいらないんだ、みたいな、そういう思春期の葛藤とままならなさ、幼さと成長の間にある自己の確立過程をぶつけるような歌。

こういう曲ってLiella!ではかなり珍しい部類で、例えば同じ成長過程を描く楽曲でもバイバイしちぇば!?であればもっと内省的な内容ですし、時を同じくして発売された全力ライオットであれば自分らしくあるために自らを鼓舞するような歌になっています。

そんな中で自らを定義しようとする他者を拒絶し、それでいて自らを定義するでもなく、何者でもない透明のまま自ら泳げず流されようとも「わたしはわたし」と言い張る10代の少女の等身大を描くような歌が出てきたことはとても新鮮で、それ故歌詞も自然と読み込んだのが今回の気づきのきかっけでした。

それでいて自分の力では泳げないことに自覚的だったり、今のこの時間があぶくのように溶ける有限なものと認識していたりと、この街の片隅で3rd seasonLiella!スペシャル2023Spring収録)で描かれたどこか一歩引いたような視点も感じられて、Liella!加入後の冬毬を先取りしているような楽しさとこれから三期で描かれるであろうそれ以前の冬毬に感じる影への期待不安なんかも感じられるのが面白い、なんて話もあるのですが、まあそれは話が逸れそうなので一旦置いておくとしまして。

Liella!スペシャル2023Spring、オススメです

「一言では言えない当たり前」

そんなjellyfishに対してDancing Rasberryは、結論は同じ「ぼくはぼく」なのですが、他者に対しての反発でも自分に言い聞かせるでもなく、らしさのあいまいさも受け入れて、それでいて諦観でもない希望と余裕を感じさせる歌なんですよね。

世界中の視線も受け入れて、それでいて自由に。ブレたっていい、大好きはいろいろでいい。勘違いでもよくて、自分がサイコーだって、大好きだって心から叫べる。そんな歌詞はいくつもの夢に破れて、虚無感の中ただ有益で目に見える結果が生まれるマニー稼ぎに打ち込んでいたあの人に、その先で得た本当の夢を抱いて、初めての「1等賞」を掴めたあの人に重なりますよね。

そうそう、この歌詞、結構Eyeをちょうだいに重なる部分もあるんですよ。
冒頭の「世界中がキミを見てる」なんかもそうですし、「ルートが人と違う」っていうのは「所謂なルールはどうでもいいや」に繋がったり、「本当のわたしをキミに知られるのがこわい」から「開いた心の隙間」へと進んでいたりとか。

叶わない夢ばかりで「なんか」が欲しかった夏美が、やるって決めたらコンプリートしなくちゃと「なんでも」欲しくてドキドキしている。そんな姿に彼女が夢に本気だから、本気になりたいから叶わないと折れ続けていたんだろうなと思わされて、夏美のもつ輝きの正体を一つ知ることができる歌なんですよね、Dancing Rasbelly。

「縛らないで」「ぼくはぼくのもん」

「夢」という、自分の未来、将来を輝かせるモノを一度失い、マニー稼ぎでしか未来を見られなかった。そんな過去を乗り越えた姉者と、「叶わないことばかり」と夢に悲観的で確実なタスクだけを一歩一歩こなしていた冬毬。
そんな二人の希望への距離の差が、結論は同じなはずのこの二曲の質感がここまで対照的な要因だと思います。

「透明なまま浮かんでいたい」と自分自身を定めずに生きたいならば、「昨日と違くていい」「ただいつでも全力で行こう」と道を示し、「わかるわけない」「縛らないで」という拒絶には「一言では言えない当たり前」「実らせてから一緒に食べあいたい」とその感情は肯定して寄り添う。

正解や答え合わせをしたがる世界に辟易したり、夢に夢中になったり。どこか似たもの同士ではあるのだけれど少し違うとこのある二人というのはメイと四季にも通ずるところがありつつも、友達という横の関係であったあちらに対して先を行く姉と背中を見る妹という縦の関係である鬼塚姉妹はまた違った味わいがして、関係性の妙を感じました。

おわりに

不安定な自己を抱えて拒絶する冬毬。それを理解、肯定して寄り添う夏美。二期で大きく成長した夏美が三期において未熟な冬毬をどう導いていくかに期待が高まるような二曲で、ますます三期が楽しみになりました。

姉貴が一番最初に生まれてくるのは後から生まれてくる妹を守るためですしね。(隙あらば好きな漫画の名言を引用するオタク)

それでは皆様、三期でお会いしましょう。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!



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