冬のスリットの魔力
今朝、通勤電車に揺られながら(座れた)、何気なくスマホから顔を上げると、「光り輝く何か」が目に入る。
ふと、そのほうに目をやると、白く輝く生足が見える。
斜め右側に立つ、後ろ姿の女性。年齢は30歳前後だろうか。
思わず3秒ほど凝視して、いけないと、慌てて目をそらす。
すでに冬。
みんな着ぶくれするほど、着込んでいる。
女性も、上は茶のスエードのブルゾン。下は黒の厚手のロングスカート。
しかし、後ろに深く入ったスリットから、白く輝く生足がのぞく。
寂寥の砂漠のオアシスのようだ。
コントラストが素晴らしい。閉鎖と解放のバランスが絶妙である。
冬の厚着に、一筋の生足。
ミニマムなエロスである。「秘すれば花なり」
顔は見えないが、これだけで好きになってしまった。
今の世は、なんでも出しすぎだ。
そして、何でも簡単に見ることができるし、簡単に手に入る。
しかしその結果、私たちの幸福が奪われている気がする。
便利であること、簡便であることは、愉しみを損ずる。
確かに、サマービーチやナイトプールにはそれなりの高揚感はあるが、季節ものだからこその価値がある。常に水着のお姉ちゃんが身近にいたら、どうでもよい。
一筋の生足を裸に剥くためには、かなりの手間がかかるだろう。努力も必要である。しかも失敗する公算の方がどう考えても大きい。
しかし、そのプロセスはぞくぞくするものになるはずだ。
ここに人生の価値と愉悦がある。
私は出会ってすぐにホテルに入ることはほぼない。
プロセスを楽しみたい。すぐするなんて、もったいない。
私は電気を消す派である。お風呂もあまり一緒に入らない。
撮影なんて、とんでもない。
AVは観てしまうが、Pornhubはなるべく観ない。
風俗もめったに行かない。
幻想にこそ、価値がある。
平安時代の貴族の女性は、顔も見せなかったそうである。
和歌を交換し合い、暗闇の中でことをする。
なんと、賢いことだろう。
そんなことを考えながら、会社に着いた、閉(とず)の朝。
ネットで検索したら「ネット乞食」という言葉に出くわしました。酷いこと言う人、いるなー。でも、歴史とたどれば、あらゆる「芸」は元々「乞食」と同根でした。サーカス、演芸、文芸、画芸しかりです。つまり、クリエイトとは……、あ、字数が! 皆様のお心付け……ください(笑) 活動のさらなる飛