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話のカベウチ No.3「ハリエット・ダブマンって誰だ?」

※このブログは、話の自己練習(カベウチ)のために始めたYouTubeチャンネルの原稿のアップです。そのとき思いたテーマをテキトーに(肩の力を抜いて)紹介していく予定です。

どうも、けいすけです。
それでは、第3回、はじめていきましょう。
今日のテーマは、第1回の「親ガチャ論」で、生い立ちが大変だったが成功した人の例として、流れでマルコムXを取り上げましたが、その関連です。
なんか、流れですごく色のついた話になってきたけど、まあいいか。

◆1950年代アメリカの黒人差別

最近、ジャズ熱が高まってきて、マイルス・デイビスの生涯をまとめたドキュメンタリー映画のDVDを買って、見たんですよ。
前回、第2回も「ビル・エヴァンス」の生涯を追った映画を題材に、いろいろ話しました。

マイルス・デイビスが活躍した最初は、1950年代のアメリカです。
やはり、この時代の黒人差別はすさまじかったようで、マイルス・デイビスの映画のなかにも、いろいろなエピソードがありました。

マイルス・デイビス2

その映画のなかで、マイルス・デイビスの古くからの友人が
「その流れを変えるきっかけになったのが、マイルス・デイビスだった、彼は黒人のヒーローだった」って話すシーンがあったんです。
人種に関係なく、多くの人を魅了する、彼の創造性や音楽性、演奏力が、黒人の地位を高めたということでしょう。
ボクサーのモハメド・アリ、カシアス・クレイとかもそうだっただろうけど、マイルス・デイビスもそうだったんだな。

同じくジャズの偉人、いわゆるジャズジャイアンツのアート・ブレイキーは、来日したとき、ファンが「一緒に写真撮ってください」って言われて、「俺は黒人だぞ、一緒に写っていいのか?」って聞いたんですって。
すごい話ですよね。

アート・ブレイキー


そのファンは「そんなこと知ってます。写真撮ってください」って言って、写真撮ったらしいんですけど、アート・ブレイキーはそれに感動して、「日本人は世界で唯一、俺を同じ人間として扱ってくれた」と、親日家になるんです。
これもすごい話ですよね。その時から、ジャズマンとしては世界の一流の方ですよ。

そのほか、チャールズ・ミンガスも、ニーナ・シモンも、音楽活動をしながら黒人差別と戦った。怒りを音楽にぶつけました。

なんか、ジャズの話になってしまいましたが、そんな1950年代。
アメリカの黒人解放運動、いわゆる公民権運動の幕開けです。
キング牧師、マルコムXがヒーローですね。
そして、彼らが1960年代半ばに暗殺されてしまったあと、より過激なブラック・パンサーが生まれるという流れです。

◆ハリエット・ダブマン

そこまでは知っていたんだけど、ある映画をきっかけに、その前のことを調べたら、とてもおもしろかった。偉大な人達をたくさんいたんだなーということを知りました。
そこに目を向けさせてくれたのが、2019年に公開されたアメリカ映画、『ハリエット』です。

映画「ハリエット」

これは、今後20ドル紙幣の肖像画にも使われる予定の、ハリエット・ダブマンという女性の生涯を物語にまとめた映画です。

ハリエット・タブマンは,1822年生まれ、1913年死去だから、日本でいうと幕末から大正時代くらいにかけての人ですね。しかし、すごい長生きだな。

タイトルなし

黒人の逃亡奴隷をひそかに、アメリカの別の州や外国に逃がすための秘密結社「地下鉄道」の指導者だそうです。

北部のメリーランド州で奴隷の子として生まれ、奴隷主が亡くなったときに夫と一緒に脱走し、秘密結社「地下鉄道」の人に助けられたとのこと。この結社はもともとクエーカー教徒が支援していたというから、白人の支援があっての活動だったんですね。
白人がからむ美談だから、映画にしやすいのかも。

その後、この秘密結社で重要な役割を果たすようになり、1861年の南北戦争の時は北軍のスパイや看護兵として活躍。すごいですね。奴隷解放のリンカーン大統領の北軍に参加して、一緒に戦ったんですね。

映画「ハリエット」南北戦争


南北戦争後は黒人と女性の権利のための活動家として、全国での講演活動や自叙伝の執筆、身寄りのない元奴隷が住むことができる施設の運営などの慈善活動を行い、1913年に肺炎で93歳で死去とあります。すごい人生だな。

臨終のときは、仲間や助けられた人々、支援者が集まり、みんなで「スイング・ロウ・スウィート・チャリオット」を歌ったんですって。かっこいい!!!
自叙伝もあるんですって。未邦訳ですけど、邦訳すべきですよね。
ぜひ、どこかの社会系の出版社の方、お願いします。

「スイング・ロウ・スウィート・チャリオット」って聖歌で、ラグビーイングランド代表の応援歌なんだって! すごい、後で聞いてみよう。

⇒海上自衛隊東京音楽隊演奏 スイング・ロウ・スウィート・チャリオット

いやー、こんなにしゃべっておいて、まだこの映画観てないんですけどね。
Amazonプライムにあるかな。

まあ、ハリエット・ダブマンについては、
Yahoo!ニュースの2021年1月29日配信の記事で、一橋大学経済学研究科准教授の竹内幹さんが書いた「新20ドル紙幣に黒人女性。奴隷解放の闘士「黒人のモーセ」ハリエット・タブマン氏」に詳しくまとめられています。
僕の話なんかより、これを見たほうがよいかも(笑)
https://news.yahoo.co.jp/byline/takeuchikan/20210129-00219915

◆フレデリック・ダグラス

ほかにもすごい人を見つけたんです。
フレデリック・ダグラス。
1818年生まれ1895年死去だから、ハリエット・ダブマンの少し年上ですね。
ダグラスも北部のメリーランド州の生まれで、ダブマンと一緒だから、この州にはそういう気運があったのかもしれませんね。

フレデリック・ダグラス

メリーランド州

ダブマンと同じく奴隷として生まれ、主人に字を習って、古い教科書を読んで基礎的な学力を身につけたそうです。
その後、農場を脱走してニューヨークに行き、反奴隷運動家たちの協力を得ながら講演活動をして、新聞社をつくり、本も出版。
すごいですね。学校教育も受けてなくて、奴隷の境遇で独学でここまで!
確かに、すごく頭がよさそうな、知的な顔をしているんですよね。
それと、若い頃は超イケメンです。

フレデリック・ダグラス若い頃

奴隷に教養はないと思われていたアメリカ社会で、彼の活動は社会に相当のインパクトを与えたそうですよ。
当時、奴隷に字を教えるすら違法だったそうです。だから、教育なんてとんでもない。
そんな、すごい時代だったんです。そのなかで、新聞社を立ち上げて、本も書いて。

ダグラスはのちの大統領リンカーンのブレーンになったり、ワシントンで連邦保安官になったり、ハイチ駐在の外交官になったりと、当時としては考えられない活躍をしました。相当に優秀な方だったんですね。

LIFE誌が1999年に選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」の1人にも選ばれているとのこと。
もっと日本で知られてもいいですね。すごい人だな。
この人に最初に文字を教えたのは、女主人で、あとで旦那さんがそれを禁じたというけど、どんな人だったのかな。そこにも物語がありそう。

◆中根中(なかねなか)

最後にもう一方。この方は、昔から興味を持っていました。日本人です。
日本人の黒人解放運動家もいたんですよね。
中根中(なかねなか)という方です。

中根中

戦前の1940年頃に活躍した人らしい。
講談社プラスアルファ文庫で『黒人に最も愛され、FBIに最も恐れられた日本人』という文庫本が2008年に出ているらしいです。読んでみたいな。

中根中の本

黒龍会の会員だったというらしいです。黒龍会といえば、アジア主義の団体、戦前に大きな力を持ったかなり右寄りの団体で、アジアとの連帯、欧米支配の脱却などを目指す団体ですね。内田良平という方が、リーダーだったと思います。この辺は、「機動戦士ガンダム」の漫画版の作者である安彦良和(やすひこよしかず)さんが、漫画にされています。

天の血脈

また、長くなってしまった。
それに、マニアック。僕の話下手を解消するためのチャンネルで、公民権運動の歴史を解説するチャンネルじゃないんだけど、苦笑。まあ、いいや。
次回以降は、もっと検索にひっかかるような内容にしよう、笑

今回はここまで。
反応があると喜びます! ぜひ。
ではまた、近々。

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