作文恐怖
書かなくてはならない文章、書くことになっている文章、書くことによってある程度の金銭収入に結び付く文章、いろいろ手元にはあり、どれも書かないまま十一月が終わってしまったので、あまりよくない状態ではあると思う。思うのでした。
文章を書くことで生計を立てているのかと聞かれれば、というか、聞かれるまでもなく生計を立てているという前提で話をされることも時々あるんですが、わたしは文章を書くことでは生計を立てていません。アクセサリーショップをインターネットに置いているけれどもちろんそれで生計を立てているわけでもなく、編み物に関しても同じことで、でも説明をするうえで楽なのでわたしはいろいろなシーンでライターを名乗ったりアクセサリー作家を名乗ったりするのですが実際はそれを名乗れるような状況には別にないのでした。
人の話を聞くことで生計を立てています。
人の話を聞くことで生計を立てている件に関しては今回の話題からは少し離れるので書くなら今度また書きます。今回何の話をするかというと何も書きたくないということ、もっと言えばなにかを書くことでわたしにはまったく制御できない遠い議論に巻き込まれるのをぼんやりと恐れているということです。
もちろんそれは恐れてもどうしようもないことです。いまや遠い議論は日夜繰り返され、その中心に誰がいるか、何を目的として始まった議論か、どんな結論に達することが議論を終わらせることができるのか、全部関係なく存在していて、その渦中に巻き込まれるかどうかは選択の余地のないことで、つまり何を書いても何を書かなくても全然関係ない。これから何も言わなくてもこれまで言ったことが蒸し返されるかもしれないし、だから何も関係がない。
まあそれはともかく、書きたいことを書きたいように書くことは全く意味がないのではないかと思うようになったのもたしかです。わたしが2015年にたいへん面倒な思いをしたことをいろいろと思い出さないわけにはいかない状況があって、そこから目を逸らすことができるなら目を逸らしていようかと思って一ヶ月またたくまに過ぎてしまったのでした。
誰が悪いということでもなく、なんとなく憂鬱になったまま一ヶ月過ぎてしまったということについて、少し書いておこうと思って書きました。
書かなくてはならない文章はいろいろあります。書きたいと思っている文章も。きちんとまとまった形で書けないかもしれないので、ばらばらに少しずつ書いてみようかと思いました。
わたしは毎日料理を作って絵を描いて編み物をして本を読んで映画を観て、少し仕事をして、人と話したり遊んだりものを考えたり、自転車に乗ったり泳いだりして暮らしています。
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