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アイスクリームチェーン

 わたしと彼の間にはいくつかの取り決めがある。たとえばわたしは彼を決して家にあげない、これは子供の頃からのルールだ。理由は彼が子供の頃病的な窃盗癖があったからで、彼はそれを悪いともなんとも思っていないことは知っていたので、というか、盗んでいる自覚すらなかったということは知っていたので、わたしとしてはパーソナルスペースを狭めないことで解決するからそれでよかった。彼の、なんとなく気に入ったものを元々自分のものであったかのように持ち帰ってしまう習性は、歳を重ねるごとに落ち着いたが、それはたぶん女と寝るようになったのがきっかけだと思う。友人からものを盗むと喧嘩になるだけだし返せばいいが、一回寝るだけが目的で以後特別連絡を取りたくない相手からものを盗むと、警察沙汰になる。

 その意味でわたしは彼が女と寝ることを奨励している。奨励しているというと言い過ぎだが、少なくとも一方的な搾取ではないと判断している。わたしと彼の関係は腐れ縁以上のなにものでもないので、それ以上踏み込む気も、正義をふりかざす気もない。そもそも窃盗癖自体責めたことはない。責めたら以後責任を負うことになってしまう。こんな男の責任を誰が負いたいものか。

「怒ると思うんだけどさぁ」

 このような我々の関係において、わたしは彼に向かって怒ることはほとんどないのだが、彼はそう切り出す。この時点でわたしは何の話なのか理解している。幼馴染というのは面倒なものだ。文脈だけで会話が成り立つ。愛し合ってでもいるような関係のように錯覚する。わたしと彼はそうではない。

 うちからバスで五分、そこからJRの駅をふたつ。一番近い映画館のあるショッピングモールで、しかしわたしたちは映画を観るためにそこにいるわけではない。わたしたちの間にはいくつかの取り決めがある。ハレの食事の共有を可能な限り断らないこと。

 いつも通り二分待ってショッピングモールの地下で注文する。彼はいつもやけに色合わせに拘る。ケーキにしろアイスクリームにしろ、色を最優先に選んでいるふしがある。わたしが茶色いものを三段重ねると文句をつけてくる。

 やたらにてかてかと光るチェック柄のテーブルに膝をつき、椅子の足をがたつかせながら、彼は物憂げに、既知の知人の名前を挙げて、アアー、と唸った。混ざり合った緑と紫の境目をスプーンでつついている。

「あいつなんなの? 満足するってこと知らないの?」

「手をつけるのが悪い」

「抱いてくれしか言ってねーんだもん!」

「手をつけるのが悪い」

「怒ってる?」

「怒る義理はない」

「怒ってよぉ」

 ああーめんどくせえーと言いながら彼は一番上の毒々しい色の限定フレーバーにスプーンなしでかみついた。

「甘い、クソ甘い、甘ったるい、そんでクソつめたいおなかこわしそう」

「女を口説いているときの君?」

「そんな風に思ってたの」

「いや、見たことはないから、知らないけど」

 しかしおそらくその通りなのだろう。彼が性的な問題で追い込まれているとき、ここの甘ったるいアイスクリームを食べたがるのはあまりにも示唆的だ。わたしはやさしさを込めて告げる。「君には人の心がないよ」

 それは定型句に過ぎないので、彼は言い返さない。

「どうせさあ、絶縁できねーんだよ、つかおれが死んだことにするしかないよ、そもそもおまえと繋がってんだろ? で、そこまでやるほど嫌かって言われたら、別にそっちのがめんどくさいし、いいよ、いいけどさ、寝るよいいよそれは、ただ、寝たからなんだよ!? そんであと何回寝りゃいいんだよ!?」

「いい加減年貢を納めたらどう」

「どうやって!? つか、何を!?」

 彼は子供の頃、友達の持ち物で欲しいものがあると、ぱっと盗んで、でも返してくれと言われたらすぐに返した。彼にはわからない。あらゆる手段を使っても、全てを手に入れたいと思う熱病がわからない。ひとつのものを手に入れるためにどのような犠牲を払ってもいい執念がわからない。三段のうちふたつはいつも同じものを、ひとつは限定フレーバーからナッツかチーズが含まれるものしか選ばないわたしがわからない。

 窃盗癖の罰だ。

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