鹿肉がわからない
やあこんにちは、受が自分の肉を攻に食べさせて攻が発狂する話を書くタイプの腐女子だよ。
Amazonでいろんな珍肉が買えるから食レポしたよマガジン第二回ですが、鹿ちゃんから大事なお知らせがあります。
消極的菜食主義の家庭で育ちました。
牛肉食ったことほとんどありません。
鶏肉は成人して以降比較的食ってますが普通の日本人の平均より少ないと思います。
豚肉だけはそれなりに食って育ちましたがそれも平均より少ないと思うし逆に言うと豚肉くらいしかわからない。
肉の味がわからない。
「鹿肉食っているのはいいんだけどこれと牛肉を並べられてどっちが鹿肉? って言われてもたぶん全然わからない。うまい。うまいことはうまい。みっしりした赤身だ。赤身の肉はうまいっすね。うまいんだけど、じゃあ何をもって鹿肉を鹿肉として定義するのかがわからない」
シニフィアンとシニフィエという言葉があります。フェルディナン・ド・ソシュールというえらい先生が考えた言葉です。「鹿」という文字がシニフィアン、「鹿っていうのはあの、ああいう形の、にゅるっとしてて、奈良とかにいて、あと芝とかめっちゃ食う……あれ……あれだよ」という意味内容がシニフィエ。鹿肉がここにある。赤い。赤身のブロック肉だ。もも肉とロースを両方食べました。どっちもめっちゃおいしかった。でもこれはいったい……あの……。
なにをもって鹿肉を鹿肉と定義し理解したらいいのかわからない。
豚肉とは違う。
牛肉との違いがわからない。
たぶん牛肉を買ってきて並べて食べてみるべきなんでしょう。ソシュール先生が言ったんだったかその後の別のえらい先生が言ったんだったかもう思い出せませんが鹿が鹿であって鹿以外の何でもないことは牛ではなく馬ではなく羊ではなく……あらゆる全てのものではないということによってしか定義できない。肉が分からねば鹿肉もわからない。あらゆる肉がわからない。
それはともかく鹿肉はあっさりしていておいしい赤身で舌触りがすべらかで焼いているとほのかに甘い柔らかい香りが漂い部屋にやさしい気配がもたらされます。どこまでが補正でどこからが事実なのか、あらゆる食べ物に文化や生活圏や主観による補正がかかるものである以上全くわからない。わたしは鹿肉をローストします。いい匂いがしています。鹿肉のローストは正直味付けとかいらないと思う。表面を焼き付けてあとだらだら弱火で焼いて適当に引き上げて薄切りにして塩で食べればいいと思う。なおローストのお作法に関しては表面を焼き付ける焼き付けない低温調理の温度管理はこれが正しいこれは肉の味を壊すとか死ぬほどひっかかる。この世は地獄だ。肉を焼くひとつで戦争ができる高度な知能。
牛肉と明らかに違うところはひとつある。
胃にもたれない。
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