天国はあなたの名前である(5)

 あいつには身内がもういなかったから、と向田くんは言い、Sは、うん、と、何の話だかわかっていないまま答えた。便宜上Sという名前をこの文章の中で与えられている彼は、何も知らないという役回りを持ってエピローグを担っている。

「おれとえみちゃんが親族みたいな顔をして葬式やったんだよ」

「うわ似合わない」

「あいつの友達のなかでいちばん仲が良かったからね」

「友達」

 ふふんとSは笑い、「きみがそういう言葉を使うのはたいへんに珍しいことだ」と言った。向田くんは死ぬほどモテるのだが死ぬほどモテるがゆえに人間不信をこじらせていて、いや死ぬほどモテるから人間不信になるというのはしょうじきあんまりよくわかんないんだけど(死ぬほどモテたことがないから)、とにかく人間不信をこじらせていて、友達、という言葉を、ほとんどつかわない。S本人も言われたことは数えるほどしかないと思う。いちおうそのなかにカウントされてはいるようなのだけれども。

 通夜から葬式までの夜、死体に指を触れたという話を向田くんはした。Sはゲラゲラ笑い、「うらやましい!」と言った。向田くんは、自分から話しておいて、顔をしかめた。彼は月山柊次の外見が美しいということとそれに触れたり近接したりすることが栄誉であるということに言及されるのをことさらに嫌った。

「親、連絡してなかったんだっけ」

「自分みたいな子供が生まれて迷惑ばかりかけたから連絡を取りたくないし向こうも取りたがらないだろうってよく言ってたな。実際あれだけ大スターになっても連絡来なかったみたいだしね」

 月山柊次の葬式に、Sは出席することができなかった。昔からそういうところで少しだけ運が悪いのだった。まあいいやと思う。そのぶんの運がどこかで回ってくるだろう。というわけでSは共通の知人、というか友達である向田くんから葬式の話を洗いざらいべたべたと吐き出させようとしたが、もともと口数が多いほうではない上にくだらない話ばかりしがちな向田くんは、ほとんど意味のある話をしなかった。

 月山くんが死体のように真っ青になってうつろな目をして暮らしていた頃、もう彼の家に「運命の一番星ちゃん」はいなくなっていたのだそうだ。

 Sはその「一番星ちゃん」がどういう誰でなにをしているのか全然知らない。向田くんは「たぶんもう死んでる」以上の情報を開示してくれない。時々「おれが殺した」ということもあり、向田くんの冗談はよくわからない。「みんな死ねばいいんだよ」ということもあり、何の話だよ。

 うつろな目の美しい人間を持て余した向田くんはSに彼を紹介し、Sは一目見たとたんゲラゲラ笑って「金のにおいがする!」と言った。結果として月山柊次という芸名を名乗るようになった青年、というか、「傾国の美少年」というくだらないキャッチコピーをつけられた、少年のようにしか見えない東洋人は海の向こうまで行ってしまって銀幕のスターとしてしか触れ合えなくなったあとで、唐突にふっと死んだ。きれいなままで。

 死体に指を触れて彼の友達は彼の体にのこされた傷をひとつひとつ数えたと、小さな声で言った。

 きれいな体なんてものは最初からなかったのだと。

「いいタイミングで死ねたんじゃないの」

 頬杖をついてSは言う。向田くんは信じられないものを見る目でSを見、Sはへらへらと笑った。向田くんは小さな声で言った。

「きれいなものなんてこの世になければいいのに」

 Sは言い返した。

「その世界にはきっと、天国がない」

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