楽園の向こう側

クトゥルフ神話TRPGシナリオ「毒入りスープ・改」(KP・ダムるしさん/リプレイ)プレイ後日談。シナリオの根幹に関わるネタバレはありません。TRPGに関心ないかたでも読めます。

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 やるべきことは全部やった。日本の児童福祉は存外に充実していることがわかって、わたしは自由になった。わたしは本当はそのことをずっと考えていた。わたしがこの閉ざされた箱の中から脱出する方法をずっと考えていた。そうしてわたしはいま箱を出て職を得て自由になって道を歩いている。スマートフォンを持つことは禁じられていなかった。だからわたしが立派な人間であるという尊厳は守られていた。わたしはとても立派な人間であり、冒険心を失わず、そして泥臭く生き延びることをたったひとりで学んだ。でも賽は投げられた。じゃあもうストップする必要はないんじゃないか? なかった。だからわたしは全てを――

 わたしは先日、父を殺した。

 本を一冊一冊、中身を確認して掃除をして、できるかぎりきれいな状態にする。古ぼけたものをできるかぎりのクオリティに保つ仕事には慣れていたし、ここには醜いもの、汚いものはなにひとつなかった。わたしは古本のなかで息を吸い込んで、ここは閉ざされた箱ではない、と思う。わたしはあれから弟たちをできる限りの場所に送り込み、家を処分し、東京へ出てきた。インターネットの知り合いの紹介で、古本屋に職を得た。古本屋で働きながら、現在はブログの書籍化のために奔走している。わたしはとても幸福で、わたしはやるべきことを全てやったのだと思う。

「乾さんのところに寄ろうと思うけど、お買い物はある?」店主の依子さんが、加齢を感じさせない背筋をぴしりと伸ばして、わたしに尋ねた。いいえなにも、と言いかけて、わたしは「この間の、息子さんのほうのお菓子。おいしかったです」と答える。最適解を答える。依子さんは笑って「このあたりじゃああいうハイカラなのはちょっと、って、あきちゃん拗ねてたから、喜ぶわ」と言った。最適解。わたしは最適解を出す。わたしは微笑む。わたしはあの日あんなに自分がはしゃいだ理由を理解している。わたしはふだんたやすく最適解を出すことが出来るのにあのときわたしはまるで最適解を出したくなかったようだった。あの箱のような部屋の中で、わたしは安らいでいたのだとすら思う。

 だって毒をずっと、わたしは手にしていた。

 母親がいたころから、それを褒められたことはなかった。ましてや父は烈火のごとく怒った。でもわたしは家の裏の野山を駆け回ったし、駆け回るのをやめることはできなかったから、バレないようにする技術を心得た。汚れた服は自分で洗った。髪型をいつも整えて、いつも丁寧な喋り方をした。母が家を出たあとは女であるというだけで八つ当たりの対象にされて、わたしは父や弟たちと一緒に食卓を囲むことを許されなくなった。平気だった。わたしは彼らに彼らにとっての最適解である食事を、つまり高脂肪で高コレステロールな食事を与え続け、わたしは存分に、私の本分である野草料理に精を出した。スマホを通じてインターネットで公表した野草料理の記事は好評で、書籍化の話も出て、でもそれは編集さんを経て父にバレて、父が烈火のごとく怒って……その夜だ、奇妙な夢を見たのは。

 わたしは毒入りスープを完成させなくてはならない。

 わたしは毒入りスープを完成させなくてはならない。なんのために?

 わかりきっている。

 わたしは毒入りスープを完成させた。毒は禁忌だった。わたしはずっとわかっていた。わたしの手の中には手に入る限りのそれがあった。わたしはずっとわかっていた。わたしにはそれができたし、それをすべきだった。だれにもわからない。だれにもわからないようにわたしはそれができる。そもそもそれに気づいた人がいたところで、わたしを疑って、誰が一体得をする?

 目覚めたわたしは毒入りスープを作った。天啓のような、夢だった。


 はじめまして。多分本当は、はじめましてではないと思うんですが。テレビであなたを見ました。本当に優秀な方だったんだなと思って、少し笑ってしまいました。おそらく覚えてらっしゃらないと思いますが、あなたが四歳児の神性について語っていた、あの夢のような時間に一緒にいた女です。

 わたしの父が死にました。父が運び込まれた病院で、もうひとりの人、あの、看護師さん、あの人に会って、わたし、あれは夢じゃなかったんじゃないかって、そう思ったんです。だからあなたに手紙を書いています。

 あなたは少しだけ父に似ていました。だからあの時あんなふうに反発ばかりをしてしまったのだと思う。思い返せば、あなたはいつも……まあおおむね、正しいことを言っていたのに。

 いつかもしかしたら、あなたはわたしを見つけるかもしれません。それは良い再会ではないかもしれません。それでもあなたに手紙を書いたのは、あなたが多分、世界中の誰にも興味がない、あなたの目に映る愛らしいもの、美しいものにしか興味がない、そこにいるのは人間であるということに興味がない人だと、わたしが思っているからだと思います。わたしがなにをしでかしたのか、あなたはきっと興味を持つことはないのでしょう。だからこの手紙も、もしかしたら読まれることはないのでしょう。

 あなたは少し父に似ていました。

 わたしはずっと父を愛したかった。

堺茉莉花


 美味しい美味しい毒入りスープ。完成させたら戻れなくなる。だって人はいつか死ぬ。それじゃあ今ではない理由は?右手に毒草。左手に薬草。見分けがつきますか? あの朝わたしは迷わず――

 向こう側へと超えた。

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