わたしはいまとある事情から海辺の街に暮らしており、ここは一年中秋のような、砂金を惜しむような光が降り注いでいる。古く使われていた住所はいま使われている地名(これはわたしの家のすぐ前にある神社に由来して「大宮」である)とは違うもののようで、その地名を店名のわきに記載したふるい店がいくつかありはするのだが、それはきまってかすれすぎていて読めなかった。いつか誰かに尋ねよう、もしくは図書館でも行って――そう思いはするのだけれどわたしは図書館恐怖症を患っており、バスに乗ればたった五分のその距離はおそらく健常な人にとっては「永遠にたどり着けない場所」程度の意味を持つことになるだろう。もっともその具体例となると首をかしげることになる。行こうとさえすれば、人間はどこにでもたどり着けるものらしいから。

 わたしは海辺の街に暮らしており、わたしが借りている母方の祖母のまた祖母の持ち物だったという家、縁あって管理を任されている家なのだが、その小さな平屋には住み着いている少女がひとり、出入りをしている男がひとりいる。どちらもわたしと性的な関係にも恋愛関係にもない。男が出入りする前は別の青年が出入りをしていたのだが、彼は妻を得て遠い街に越した。時々連絡が来る。元気にやっているようだ。

 わたしの家はさまざまな経緯を経て行き場のない人間のシェルタのような存在になっており、それはもちろん社会的な契約のひとつなのだが、わたしが祖母の祖母の家に住み着くようになったことと同じように、シェルタとしてわたしがふるまうようになったことも必ずしも社会的な要請に従ってのものというわけはない。それはどちらかというとわたしの病理なのだろう。彼らをわたしの家に迎え入れるまでにはそれぞれにいくつかの社会的手続きがまとわりついていることもあるし、そうではないこともある。たとえばわたしが「同居人」と呼ぶ少女がここに住んでいることはどちらかというと犯罪の種類に当たる。だれにも報告することなくわたしは彼女をここに匿っているのだから。だがこれはまた別の話だ。いまのところ彼女はまだここにいる。

 わたしは親に与えられた名前のほかとして哉村哉子と名乗っており、それは「零」を示すのか「無」を示すのか、どちらともつかない。それがはっきりと違うものであるということはわかっているのだが。だから彼らはわたしのこと、かなさん、と呼ぶ。かつてわたしに助けを求めた青年、いまここにいる同居人と呼ばれる少女、そうして、今目の前でニッパーで針金を切っている男。これはわたしの物語ではなく、この男についての物語だ。

「行けない場所なんてない」ということをわたしに語ったのはこの男だ。彼は名前を向田忠夫と言い、わたしとは地元を同じくする。わたしは家族に、「いま向田さんのところのたっちゃんと仕事してるの」とは報告しない。そこには性的なファクタが含まれないとは言い切れないから。それはわたしたちが男と女だからということではなく、向田さんのところのたっちゃんは、常に性的なファクタを内包した存在なのだった。

 わたしたちの関係は幼馴染ということになるが、しかしわたしたちは幼いころから親しかったわけではない。というか、今でも別に親しくはない。わたしたちの関係はいたってシンプルなビジネスの範疇に留まっている――世の中で語られるところのビジネスとはいささか趣を異にするという意味で、親密なビジネスの範疇と呼び変えてもいいが。

 わたしにとって向田はまず第一に友人のそのまた友人であった。

 わたしの友人に、小説家と服飾家という才気に溢れた男女の双子がおり、その男のほうを杉立敦、女のほうを杉立茜という。わたしは承前のいまはここにいない青年のケアに関わって杉立きょうだい(姉弟なのか兄妹なのか彼らは決して明確にしない)と知己を得て、親しく遊ぶようになった。向田が登場したのはその経緯であり、杉立のどちらからの紹介が先だったのかいまとなっては判然としない。可笑しいのは双子はおのおので向田と知己だったという点であり、双子のそれぞれの友人、友人と呼べるならだが、ではあったとしても双子の共通の友人とは彼らはかたくなに呼ぼうとしなかった。

 ここまででキャラクターがすでに多すぎるという認識はおありかと思うが、これが人間関係というものであって、多いとか少ないとか言ってしまえば向田とわたしの間に関わっている人間すべてに言及していくと膨大な量になってしまう。わたしはいまのところ、わたしのもとに向田が現れいまここでやっとこを片手に針金を曲げている経緯を語っているのみである。

 わたしのもとにもともといたのが同居人と青年であり、

 青年を経由して知己となったのが杉立の双子であり、

 向田との関係が発生したのは双子によるものである、

 ということが飲み込んで頂ければこの小文のここまでのあらすじとしては十分なものとなる。

 向田はアクセサリー作家である。少なくともわたしのもとでの身分はそういうことになる。わたしは彼と業務提携関係にあり、彼のアクセサリーをわたしはインターネットを通じて売ってやっている。材料はわたしが買う。売り上げもわたしのものになる。彼は作るだけ作ってそこに放り出して消え、わたしはそれをどうにかして売り物に仕立て上げる。次に来た時彼は宛名書きをさせられる。その程度の頻度で向田のアクセサリーは売れる。

 向田は売れることに関しては頓着しない。ただ、女のために作ったものを自分が持っていても邪魔なだけだから置いていくのだという。最初は材料も本人が持って来ていた、もっともそれは杉立茜に手慰みに与えられたものだったらしいのだが。それが尽きると向田は女たちがくれたと言っては材料を持ち込み、そのサイクルはわたしが見かねて材料を買い与えるまで続いた。

 向田はある日わたしの家にやってきて、行くところがないのだ、今晩だけ泊めてくれ、と言った。行くところがないのだ、帰る場所がないのだ、弱ったり困ったりしている人間を見ると手を差し伸べてしまうのはわたしの悪い癖だ。あるいは病気だ、と、ふるい、タイル張りの浴室に湯を張ったまま出てこない同居人が、湿り気のなかを人魚のように澄んだ声で漏らす。笑わない女はしかし向田を見ると同情的に眉をさげる。恋をしているわけではない(向田を見る女がしばしば陥る感情の種類と、それは似ているようで異なっている)、ただ憐れむように同居人は彼を見て、「虫みたいなものだね」と言う。

 そう、わたしは向田忠夫という名前を聞いても、最初、幼馴染だということさえ思い出さなかった。そういえば近所に向田という家はあった、実をいうとそれはわたしの実家のむかいだったのだが、そのことをわたしは思い出さなかった。わたしはだいたい知己となったあいての歳すらろくに聞かない、その習慣がない。ただ、わたしたちは同じ家でうろうろ暮らし、まさか疑うわけでもないが力はどう考えても向田くんのほうが強いので同居人とふたりきりにしないように気を配り、そうこうしているうちにわたしたちはそれぞれの仕事をしながら時間を埋めるただそれだけの目的で語り合うようになり、その結果、「あれっ」と言うことになった。彼もわたしを覚えていなかった。

 わたしはまわりの人間のことをあまり覚えないし、向田くんは実家に縁が薄かった。ただそれだけのことでしかないし、地元に深い愛情を持ちあわせたふたりでもない。しかし同輩であることは意外とわたしたちの仲をふかめた。ふかめたといっても相変わらず座って一定の距離を保ってお互いの仕事をし、思いつくことを思いつくまま、一定のルールに従ってしゃべり続けただけだったが。

 彼はずいぶんあちこちへ旅をしているようで、しばらくのあいだ顔を出さないことはしょっちゅうだったが、すくなくとも一か月に一度程度は新作を手に顔を出しそしてわたしの家でもいくつか作り、わたしが買っておいた新しい資材に時折「かなさん間違ってる、全然違う、誤解してるよ」と不平を漏らし、しかしそれをいつもそっくり抱えて、またどこかへ行ってしまう生活を繰り返していた。「この世に行けない場所なんかどこにもないんだよ、あの世にだってないかもしれないよ」彼はごくまじめに、信じ込んでいるように言った。彼はそれを本当に信じていたのかもしれないし、すべて嘘だったのかもしれない。あるいはすべて、なんらかの寓意が託された、彼なりの御伽話だったのかもしれない。なにしろ彼の語る物語のなかにはあきらかに彼の年齢を超えた彼のエピソードも、孫子の話までも、含まれていたから、事実ではなかっただろう。

 わたしの職業は寓話作家である。彼の物語を寓意をこめて書き記してもいいかと尋ねたら、彼は化石の色を、砂金のかがやきにかざしてひとつひとつたしかめながら、「テイク ワン フリー」と、まんざら冗談でもなさそうな至極無関心な口調で、言った。


 架空装飾商 ポルノグラフィとアクセサリー ふまんじゅうやさん

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