見出し画像

笑の大学@キャナルシティ劇場

2023年初の舞台観劇。
PARCO劇場開場50周年記念シリーズで再演された、【笑の大学】を観劇してきました。

以下、ネタバレを含みます。


舞台は警視庁取調室。
舞台セットは机と椅子、棚を含む少しの小道具のみ。
小道具の少なさから2人の会話劇に重きを置いているところがとても印象的でした。

大まかなあらすじとしては、
劇団「笑の大学」座付作家の椿(瀬戸康史)が舞台を上演するために警視庁検閲係の向坂(内野聖陽)に脚本を校閲してもらう中で向坂から出される無理難題に立ち向かっていく
といったもの。

時代背景は昭和15年で、国内外問わず激しい戦時中。
向坂は椿が執筆した脚本を検閲をする度に、「なぜこんな時代に喜劇を上演したいのか?」と何度も椿に問い続けます。
現代とは異なるものの、一致しているキーワードがあるように思えました。

「生きづらい世の中で喜劇は必要なのか」


このキーワードを胸に観劇を進めていきました。


検閲を続ける中で向坂は

  • 舞台を西洋→日本へ変更

  • 「お国のために」というワードを3回入れること

  • 警視庁官を脚本の中に出演させること

  • 警視庁官を笑い者にはさせないこと


といった無理難題を要求するのだけど、これらに共通するのは

戦時中だから

ということ。

現代でもコロナ禍であったり、過剰なコンプライアンスに対する制圧だったりと、時代は違えど重なる部分があるように感じます。

人それぞれ多様な立場があるのは理解し、尊重しています。
ですが、その立場を取っ払った先にある、その人の本質は見失いたくないなと思う昨今。

物語終盤にかけて、ふたりの関係性は変わっていきます。

ふたりは立場を忘れ、より良い脚本作りに奔走していく。
「こうすればいいんじゃないか?」「すごい良くなりました!」
喜々として脚本を作り上げていく過程の中、本音に触れた瞬間、ふたりの関係に暗雲が立ち込みます。

どうか、気のせいであってほしい。
そう願ったけど、願いは届かず、向坂は椿に最後の修正点を告げます。

笑いを入れるな


こんな時世の中、舞台団員に嫌われようと、お客さんに笑ってもらうために奔走してきた椿は、最後の修正点を告げられた時、どう思ったんだろう。

そして迎えた翌日。
椿はあの笑わない向坂を80回以上笑わせる脚本を書いてくる。
最後の最後に向坂からの要求を無視した作品を作り上げる。

その背景で、椿のもとに召集令状が届いていた。

色々な感情がひしめく中、最高傑作な脚本を書き上げた椿に向坂が最後にかけた言葉にこれまでの想いのすべてをのせたい。

この脚本は大事に預かっておくから。
生きて帰ってこい。
君は芝居をするんだ。
死んでいいのは、「お肉」のためだけだ。

「笑い」を規制する立場にいる向坂が、
「笑い」を生みだす立場にいる椿の心を支えようとしている。

ふたりの会話劇に笑って、笑って、笑い疲れた後のこの台詞。
わたしの中にこみ上げてくるものに目を背けることはできなかった。

どうか笑いを含むエンターテインメントを排除しないでほしい。
喜劇を不必要なものだと判断しないでほしい。
「こんな時代だから」こそ、心の栄養が必要なのだ。


あっという間で、なんとも素晴らしい、内野さんと瀬戸さんの巧妙な会話劇を観終えた充実感とともに抱えた少しの寂しさに、背筋をしゃんと伸ばして帰路につきました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?