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井の中の蛙は空に希望を見る

東京の中心にある高層マンションの最上階に呼んでいただいたことがある。東京でも有数の高さなので、まさに東京全体を見渡すことができる。富士山も見える。

その場所で僕が見た風景は、自分が立っている場所よりも下の風景である。僕に限らず、その部屋にいた人は全員が下を見ていた。

人は上に上がると下を見る生き物なのだろうか?

高層マンションだけでなく、東京タワーでも、高い山に登った時でも、人は下の風景を見る。人類で初めて月に行ったガガーリンさんも、月から地球(下か??)を見て「地球は青かった」と言っている。おそらく、最近宇宙に行った人も同じく地球を見ただろう。

高いところに登ることができる人というのは、何らかで成功している人であることが多い。高層マンションは家賃も高い。払うことができる収入があるということだ。エベレストに登ることができる人は、登山のセンスとお金を集めることができる人になる。宇宙旅行も、金額は知らないけれど、庶民が気軽に行ける物ではないだろう。

これは僕だかもしれないけど、上から下を見れば、それがわかった気になってしまう。地面を歩いている時に東京を認識できるのは、人の多さと見上げるタワービル。しかし、高層マンションからの風景は、東京を一望できるだけに、東京全体をわかった気になってしまう。上から下を見る、全体を見る。こうしたものの見方は俯瞰と言われて、全体を把握しやすい重要な視点である。しかし、僕は新宿や渋谷は知っていたけど、大久保や竹の塚は住んでみるまで何も知らなかった。今も知らない東京がある(埼玉に引っ越したし)。逆に高層マンションの最上階の部屋にお邪魔するまで、東京全体を見たこともなかった(東京タワー、スカイツリー、都庁などに行けば同じような風景を見ることができるけどね)。

人間は成長や成功をしていくと、より高みを目指すものらしい。しかし、高みに上がったからと言って、下を見てわかった気になるのは注意が必要だと思う。

僕個人は自分が井の中の蛙だと思うようにしている。というか、実際に井の中の蛙である。住んでいる部屋が3階だからという理由だけではない。少し勉強したことを相手に話したら、相手の方がよく知っていたというオチがついた時など、顔から火がでる。

ところで、井の中の蛙に続きがあることをご存知だろうか?

「井の中の蛙大海を知らず」に続くのは「されど空の深さ(青さ)を知る」

井の中の蛙は、海を見ることはないけど、見上げた空を知っている。もちろん、蛙に空がどこまで続いているのかはわからない。とてつもなく広い世界はあることしかわからない。知ることがあっても、知り切る(変な日本語だけど、全部知るという意味)ことはない。

逆に小さな世界を知っていき、極めることで、実は広い世界を知ることにつながることもある。イチローさんや大谷翔平選手が多くの物事を言っているとは思わないけど、野球を極めたら、世界で名前を知られる存在になった。一流の料理人が大統領に招かれることもある。何かの達人とかプロフェッショナルと呼ばれる人は、その人そのものの日常が物語になる。その物語は多くの人に伝播して、その人が見える空の形を大きくしていく。

僕は52歳になっても海の広さも知らないし、見上げた空がどこまで続いているのかも知らない。期待を込めてお話をすると、空がどこまで続いているのかがわからないことを希望と言うのではないかと思う。

もしかしたら、希望という名の元に空を見上げたまま、何も知らず、何も得られないまま僕は死んでいくのかもしれない。もしかしたら、足元を固めて、目標をしっかりと持ち、努力をしていくことを勧められるかもしれない。どっちの人生でもいいのだけど、下を見るよりは空を見て生きていきたい。


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