M-1を神聖視する価値観への疑問

わたしはコロナ禍に入ってからお笑いにハマりはじめたニワカですけども、
どの賞レースも、しょうじき全く信用していないし、興味もない。

この記事のタイトルはM-1にしているけど、KOC然りR1然りTHE W然り
まず「賞」として、そもそも破綻していると言って良い。
まずは、前段として破綻している賞の事例を紹介する。
どうでも良いという人はスキップ推奨。


破綻した賞その1:モンドセレクション(食品・美容品などの賞)

これは最も有名な、権威の無い賞の一つだと思う。
よく通販や衛生チャンネルのCMなんかで「モンドセレクション金賞!」という売り文句を使っているが、モンドセレクションとは何か知っているか?

モンドセレクションとは、ベルギーの民間企業が創設したもので、
ベルギーのJISみたいなものといって良いだろう。
実はコンクールではなく”認証”なのだ。

”相対評価ではなく絶対評価を用いているため、定められた技術水準を満たした商品には全て認証が与えられる。”

wikipediaより

絶対評価なので、みんな基準を満たしてれば、みんな金賞なのである。
日本では、あたかもこれをコンクールのように作為的に宣伝している。
なので、モンドセレクション側には罪はないとも取れる。
それでも私はモンドセレクションなるものを全く信用していない。
だって、ベルギー人の基準で認められたものが日本人に合うのだろうか?
ベルギーの食文化も知らねーし。そう思いません?


破綻した賞その2:芥川賞・直木賞(本の賞)

芥川賞は文藝春秋が創設したもので
「芥川賞・直木賞は半分は雑誌の宣伝にやっているのだ。そのことは最初から明言してある」と公言しており、自社出版の本を売り出すための賞である。もちろん、選考を行うのも、文藝春秋の社員20名だ。
だから芥川賞の受賞を蹴る作家が居るし、
賞を貰っても授賞式に出ない人がいる。
こんなものに権威など無いと知っているからに他ならない。
このことを知らない情弱達は「芥川賞受賞!」と聞くだけで
「ほえ~すごいな~」という。実に哀れだ。

破綻した賞その3:日本アカデミー賞(映画の賞)

これも、バカげた賞の一つだ。
「日本アカデミー賞」は日本アカデミー賞協会が主催するが、
この創設はいわゆる"五社協定"の五社が前身にある。
2019年の会員数3,959人のうち、
東宝社員(298人)
松竹社員(298人)
東映社員(281人)
角川(旧:大映)社員(133人) 合計1,010人、なんと4分の1が社員である。
298/3,959=7.5%で、それだけで組織票として十分強いが、
あらかじめ「受賞は五社持ち回りで」と談合されていた、という話は著名人からの発言で度々触れられており、山本晋也や北野武もインタビューで言及している。黒澤明が賞を辞退した事実もある。

実際の受賞歴を観ると、五社の配給ばかりである。
ただ、ここ数年の受賞作品は5社以外も多く、公平性が出てきたのかもしれない…

破綻した賞その4:ファミ通クロスレビュー(ゲームの賞)

ファミ通クロスレビューおよび、ゲームアワードの評価も、ゲーマーなら全く信用に値しないことを知っている、悪い意味で有名な賞の一つ。

ファミ通というのはゲーム雑誌であり、
出版誌なので、とうぜん広告で成り立つ。つまり、スポンサーが居る
出資者に逃げられたら困るわけで、出資者に配慮していないとは断言できない。無論、この出資者=ゲームメーカーである。

点数をつけるのは、ファミ通のライターだ。
ちなみにファミ通の出版は角川(KADOKAWA)で、
ファミ通のライター≒KADOKAWA社員だ。以下略。

このレビューは10点満点であるが、その基準・要項は不明であり、
どうだったら10点なのか?どうだったら0点なのか?全く不透明だ
しかも、たったの4人で決めている。
たったの4というn数は、統計的には絶望的に信憑性の無い数である。
全て噂に過ぎないが、このクロスレビューにはメーカーへの忖度や裏金などの疑惑が付きまとう。
クロスレビューの評価と実際に遊んだ人の評価が大きく乖離している事例をあげたらきりが無い
民意と乖離しているレビューに、なんの意味があろうか?
ちなみにゲーマー歴20年以上の私は人生で1,000か1,500ぐらいのゲームをやってきたけど、ファミ通のレビューを信じて買ったゲームは一つもない。

やっとここから)M-1の話

ではM-1の開催・設立はどうか、振り返ってみよう。

M-1は、吉本興業とテレ朝が主催だ。
この時点で、吉本やテレ朝が影響が選考に影響していないと言えるのか?

決勝戦までの謎

まず、テレビで放送される決勝戦までのフルイにかける準決勝までの審査について、これが全くの不透明である。
誰が審査しているのか?どのように審査しているのか?
これが全く明かされない不透明さは、非常に不健全であり、懐疑的だ。

いったい誰が審査しているのか?芸人のラジオなどでたまに聞くのは、Base吉本(=劇場)の作家や、放送作家=つまりテレ朝社員だという。
主催側の社員が審査しているのだとしたら、
これは公平性において、そうとうな問題である。
上記であげた芥川賞や日本アカデミー賞と同じように、組織票や談合が無いと誰が断言できようか?

決勝審査員の謎

そして、問題の決勝戦。
7人の審査員による得点で決められるが、そもそもこの審査員がどうやって決まっているのかも不透明だ。誰が、どのように審査員を決めているのか?

裁判員制度のように、ランダムで抽選されたわけでもなく、審査員はみんなが知っている著名な芸人・芸能人だ。なので当然、主催であるテレ朝や吉本が審査員の決定に関与しているはずであり、ここの公平性においても疑問だ。

決勝の観客の謎

決勝戦は有観客で行われ、この会場の雰囲気=笑いの量が採点に影響するというのは、審査員のコメントでも度々触れられる。
この観客も、一般の応募者をテレ朝が決めている。
会場のウケも点数に影響するのに、ここの公平性も不透明だ。
若い女性が多いのか、それとも中年の男性が多いのかで、ウケる層は変わって来るのだから、有利な組・不利な組が出る可能性はある。

決勝の採点の謎

そもそも明確な採点要項・基準などは無く、絶対評価でもない。
各々の感性でもって、決められる。
近年ではトップバッターの点数を以て、相対評価しているようであるが、
どんなに客観性を心がけても人間には好き嫌いがある
テストのように絶対的な正解があって、審査員が変わっても点数が変わらない仕組みがあれば良いのだろうが、そうではない。

そもそも、よくわからない謎の88点?89点?みたいな最低点の付け方もとても違和感を感じる。一番最初の頃は、つまんないネタには50点とかつけてたのに、いつの間にか80点以下の点数は見られなくなった。
これは、決勝に来た人への配慮であり、明確な忖度に他ならない。
どんなにつまんなくても80点を切らないというのはおかしい。
明確な採点要項・基準があるわけでもないのに、
その88点どこから出るの?と何度思ったかわからない。
つまんねーと思ったんなら、正直に10点でも0点でもつけろよ、と思う。
最初から10点満点にするのもいいだろう。

みんな大好きな松本人志だって、体調が良い日もあれば悪い日もあるだろう。松本人志の中でのマイブームもあったりするだろう。
どんなに軸がブレない人だって、気分やコンディションで点数が変わらないと断言できない

そして、最大の問題は、たった7人の点数で優勝を決めるシステムだ。
ファミ通クロスレビューの4人は論外
さきほど例にあげた、芥川賞でさえ20人で決めている。
日本アカデミー賞は4千人だ。
このたった7という数字は、統計的にも非常に問題がある。
(統計的手法では、n数は最低でも50が好ましい)
7人の好き嫌いの好みが偏っていたら、点数は偏る。

この7人が、公平性・透明性のあるシステムで選ばれた7人だったらまだマシだけど、そうではない。
この7人が、どれだけ客観性を心がけようとしても、人間なので限界はある。彼らが客観性を心がけようとしているかどうかも、性善説に沿って信じるしか無いのである。

まとめ:M-1とは

M-1とは、
吉本・テレ朝の社員(作家)が予選通過者を決め
吉本・テレ朝が選んだ観客と、
吉本・テレ朝が選んだ決勝審査員が、
明確な採点の基準・要項もなく
たった7人で決めている。

これは、賞=コンクールとして全く成立してない。
なんの公平性も信憑性もない

全く信用に値しない無い賞である。
このようないい加減なものに人生を振り回される芸人達は本当に可哀想である。

M-1はどうあれば良いのか

一番面白い漫才を決める、という趣旨なのであれば、
やっぱりウケの量や数で決めるのが、公平性があると思う。
M-1を「決められた時間内で、どれだけ多くの人を多く笑わせるのか」という競技であると捉えれば、自ずと採点方法も決まってくると思う。
その第一歩は、笑いを可視化することだ。

たとえば心拍数や体温、笑い声の音量、脳波などを計測し、
それを可視化。嘘発見器の要領で嘘笑いも取り除く。
この辺は、現代技術とAIも合わせれば、できないことでないはず。

つぎに計測対象は、ランダムに抽選した100人以上であるべき。
(n数は多いほど好ましいので、可能なら1万人でも10万人でも)
対象者は国民の中からランダムが好ましいけど
お笑いファン=一般応募者からの抽選でもサイアクは良いかもしれない。
でもその場合は「お笑いファンによって選ばれた」というバイアスが発生するので、日本国民全体とのギャップが生じる危険性がある。

もちろん、この抽選は透明性のあるシステムで厳正な抽選が行われるべきだ。(抽選システムのアルゴリズムは公開され、第三者機関によるチェックが入るべき)

これぐらいやれば、いくらか公平性・信憑性が出てくるはずで
「多くの日本国民が一番面白いと感じた漫才師」が選べるはずだ。

プランBとして、「人間には好き嫌いがある」ことを前提のうえ、それを盛り込んだ形にする案もある。
つまり単純に審査員を百人や千人に増やすことだ。
審査員は己の好みで好きに点数をつけて良い。
普段から好きなやつは満点、嫌いなやつ・おもんないやつは0点でいい。
でもこれが何百人、何千人と集まれば、全体の傾向が見えてくる。
多くの審査員が面白いと思った/あるいは好きな漫才師」が優勝する形になる。やはりバイアスの発生は避けられないけれど、これでも今のシステムよりはマシだろう。

実際、映画の米アカデミー賞や、ロッテン・トマトはこの方式で、
「多くの映画ファンが面白いと思った/好きな」というバイアスのもと、評価が決まっている。

繰り返すが、ここまで読んでまだM-1というものを信じているならば、
それは大馬鹿者であり、ものごとを評価・判断するに値しない。
そのような人間は選挙に行かないで欲しいし、何事にも意見しないで欲しい。黙って死んでくれ。

「これは問題だ」「これはおかしい」と感じたなら、あなたは正常な判断ができている人間だと思う。

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