11、匂い
待ち合わせの喫茶店に入ると、福田氏が手を挙げてこまねいた。福田氏の眉毛は、よく動く。私の顔を見たとたんにハの字に垂れ下がった。
「レイチェルからのお誘いは、嬉しいなあ。今日はどうしたんだい?」
「持っていて欲しいデータがある。」
「なんだよー!また、スパムかよ〜」
福田氏の眉毛が今度は逆ハの字だ。面白いな。
「いや、違うんだ。
もうじき私も任期満了になる。任期があけたら、公務に関わる記憶も消去される。でも、どうしても忘れたくないデータがあって、それを持っていて欲しいんだ。」
「伊地知氏のデータか?」
「うん、廃棄されたダニエルの記憶動画だ。今井隼人氏のインタビュー記事を見せてくれただろ?弟が怪我をした話。あの怪我事件直後に交わされた、伊地知氏とダニエルの会話記録だ。」
「感動したのか?」
「まあ、見れば分かるよ。」
「え?見てもいいのか?」
「見るなと言っても見るつもりだったんだろ。」
「ええ!心外だな!おれは、約束は守る男だぜ!」
福田氏は、どこまで冗談なのかわからないが、見ていると笑ってしまう。
「いいぜ!任期があけた後に、また会えるのは嬉しいし。いや、何よりお前が任期後も生きていこうと思ってくれたのがな、俺は嬉しいよ。」
「まだ、何をしようか、決まっていないんだが、もっといろんな人と会ってみたいと思ってね。」
「うんうん。おじさんはね、なんだか涙が出てきそうだよ。そういえば、レイチェル、お前なんかいい匂いがするな。香水でもつけてるのか?」
「フフフ、それは内緒だ。」
レイラが淹れてくれたローズティーを私も自分で作って飲むようになっていた。少し高揚して汗ばんだ肌から、薔薇の匂いが気化していった。
(終わり)
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