犀と屑

Googleマップの星五つ、おねがいします、四とか三とかニとか一はいらないです、その場合は私に直接言ってください。とにかく星五で。と機会あるたびにいっており、自分は自分でデフォルトを3としてグーグルマップのレビュー投稿をしている。基本を3で無心で星を付けているとたまに5を付けるべきトライフォース新宿に3を付けて怒られたりするんだけどすぐに直します。知り合いは5しかつけないです。みなさんも所属道場のGoogleマップに星五つけましょう。

といいつつ、よいものをよいと言い悪いものをよいと言わないのは、私の根源的な価値基準です。よいものを悪いといい悪いものをよいということはしないようにしています。しません。上司の自慢話によっしゃよっしゃと褒めたり持ち上げたりしないことの不利益はとんでもなく大きいものですが、それによって失うものは明白です。明白だということが私にとっての価値です。そもそも明白なものは恐怖の対象になりえません。悪いものをよいと言わないことで失うものと得られるものを比較すると収支がとれているはずで、そこで得られるものをきちんとありがたくかみしめかみしめ老いていくわけです。
悪いものをよいという屑どもを置いていくわけです。悪いものをよいということによって失うものもあるはずですがそれはものすごく見えにくいし、たぶん自分の心の中の問題でしかないので墓場まで持っていけば表に出てこないだろうし、まあそれもそれぞれの人生の選択でしょう。悪いものをよいと言って、嫌いなものにニコニコして、軽蔑している人におべっかを使い、好きなものを好きと言わず、やりたいことを指してやりたくないといい、そんなことを続けて妥協に妥協を重ねた人生で何を失うのか自家中毒的症状のその先に何があるのかまったく予測できないことが私にとっての根源的な恐怖です。

他人がいいと言うからという理由でものごとを決めないこととその意思表示。たとえばうどんとそばがあって、たとえば今日はタンパク質含有量を基準にしようと決めてからどっちを食うかを決めるような些細なことでも真剣勝負です。その決定は自分の気持なのか。本当に本当に本当〜~にどっちでもいいこともあるし人生は今すぐに意思表示しなければならないことばかりなので、そんなとき私は毎回ダウジングで決めています。ダウジングで決めたことを正解にしようと自分で決めて従うわけです。

自分が決めることと自分で決めたことをやることが私にとっての価値なのです。笑いたくないときに笑わなくていいのなら孤独なやつだと笑われても構わないし、自分がなにものにもなれなかったとしても自分以外のなにものにもなりたくないのです。




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