いたみxからだx哲学
1.フランスのポンティさん
医療関係で論文を書いたことある人などは、哲学者のメルロー・ポンティだとか現象学だとか、聞いたことはあるのではないでしょうか。
私は理学療法の専門学校に通っているときと、継続教育でレポートを書くときに叩き込まれた記憶があります。(でも難しくてなかなか理解できなかったので叩かれただけで込まれてない。。。)
現象学というのは、簡単に言えば私たちが体験することや感じることに焦点を当てた哲学の一分野のこと。
2.タイトル回収
なぜタイトルが「いたみxからだx哲学」にしたかというと、ひとは生きているから「いたみ」をかんじるのであるから、「からだ」についてはなすときに、「いきる」ということを無視することはできないというわけで。「いきる」ということを理解するとき「哲学」を切り離すことはできない。というわけです。
3.メルロー=ポンティのいう「からだ」とは
メルロー=ポンティの考え方は、特に「生きた体」という概念を通じて、なぜ「体」について話すときに「生きる」ということを無視できないのかを説明しています。デカルトという昔の哲学者も、「心は頭の中にあるけど、特定の場所にない」と言いました。でも、メルロー=ポンティは、「自分や意識は頭の中だけでなく、体全体で感じるものだよ」と説き、「生きた体」とは、私たちが鏡で見たり、体重計で量ったり、薬で治療するような「物としての体」ではなくむしろ、脳や感覚器官、そして私たちが日常的に使う道具(たとえば、目の不自由な人が使う杖など)を含めて、私たちが世界を感じ、体験するための体のことを指しています。
メルロー=ポンティは、私たちが「意識」というものを、ただ頭の中にあるものとして捉えるのではなく、体と一体となって世界とつながっているものとして考えるべきだと言っています。
彼の考えによれば、私たちの意識や自分自身というものは、体と一緒に世界の中で生きている存在であり、内側に閉じこもったものではないのです。要するに、私たちの意識や「生きる」ということは、体と切り離せないものであり、世界との関わりの中で初めて成り立つものだということです。メルロー=ポンティは、意識や自分自身を頭の中だけに閉じ込めず、もっと広く体全体と世界とのつながりの中で捉えようと呼びかけています。意識や自分というものが、体と一緒に世界の中で生きることで初めて成り立つものだというわけです。
4.哲学は苦手です
と、つらつら書いてみたものの、だからといって「あーそうなんだ、だから痛みってこうなのね」とはなるはずもなく。でも実はこの辺の哲学分野を少しでもかじっていると、前知識が増えるので論文なども読みやすくなります(^u^)
Embodiment(体現)物事や考え方が具体的に体や行動を通じて表現されること
Phenomenology(現象学)主観的な経験や意識のあり方を研究する哲学の一分野
Lived body(生きた体)単なる肉体としての体ではなく、意識や経験が伴う体のこと
とか、あまり日常生活では触れない言葉なので突然論文などで出てくると一回一回辞書を開いて、でもなんとなくよくわからなくて・・・みたいなパターンも多いですが、今回のこの記事であーなんとなくそういうことね、と理解が深まってもらえると嬉しいです♪
結構、慢性の痛み関連で認知療法系の論文を読んだりすると、Embodimentとか多用してる論文に出会うことが多いです。
参考記事はこちらから↓
それではまた!
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