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【雑談】6月読んだ本/創作・読解力の話

お久しぶりです。みなさま、体調はいかがでしょうか。

わたしは比較的安定しています。まだ涙が止まらない日があったり、感情の浮き沈みに波があるものの、創作活動や読書はまあまあ捗っています。

ちなみに6月読んだ本はこちら。
・「イェメンで鮭釣りを」ポール・トーディ(白水社)
・「心の病と脳科学」林(高木)朗子、加藤忠史(講談社)
・「シャルロッテ」ダブィド・フェンキノス(白水社)

それに加えて、
・「ソーラー」イアン・マキューアン(新潮社)
・「アンナ・カレーニナ(中)」レフ・トルストイ(新潮社)
を読み途中。アンナ・カレーニナに関しては、今年初めから読み続けていて、「いつになったら終わるんだよ」って話ですが……。図書館本を優先してしまうため、どうしても購入本は優先順位が下がってしまうのですよね。これからは図書館本を少し控えたいです。

どれも面白く読めているのですが、「イェメンで鮭釣りを」「シャルロッテ」は真逆の作風で(作者が違うから当然なのだけど)、前者はコメディ要素ありの皮肉ききまくり。でも読み進めていくうちに、深いところに落ちていく(主題の意味がわかる)作品です。作者のトーディさん長生きしてほしかったな、と悔やまれるくらい。

後者の「シャルロッテ」に関しては、身が引きちぎられるような、すさまじさがあります。シャルロッテの生涯の追体験をしたような感じ。追体験、と言えるくらいのめり込んで読みふけってしまいました。(読みながらも読み終えても、涙が止まらなかったです

でも、この痛みを言葉にするのはとても難しいなあ、と思います。言語化すれば、体験した感覚とズレてしまうものがあるので。そこを避けずに、感じとったものを慎重に言葉にしていくのが、物書きたるもの、とも言えるのですが。

冊数にすれば、大したことない読書量ですが、なかなか楽しませてもらい、同時に心がえぐられる読書でした。

そして、創作活動のほうも進めています。現在原稿用紙換算34枚(いちいち報告してしまうのですが)。書き始めた時期は覚えていないのですが……、Twitterのログを見てみると6月16日に開始しているから、およそ1週間で34枚いけたということですかね。序盤はいつもピッチが速いので。

時間を置くと、設定や人物像を忘れてしまいがちなので、できれば早めに仕上げたいと思っています。欲を言えば7月頭までにかな。そして文学賞に出したいですね。

最近文学賞受賞作読めていないので、それはそれで「そのスタンスで賞に応募するのどうなの?」と思うものの、作家のHさんによれば「文芸誌を読んでトレンドを追いかけるよりも、自分の関心のある作家(作品)を読み深めたほうがいい」とか、なんとか。まあ、それで自己弁護しているのですが(しかし、率直な意見を言えばそれじゃ文芸誌売れないよね……

選考通過の結果も見ていないので一応、群像は図書館で予約しました。

小説を書けるようになって、驚いたのは「考えすぎて眠れない」ことがなくなったことです。そう、今まで考えすぎていたのです、考えても仕方のないことをさまざま。本を読んでも、自分の体験から関心のある出来事からなにから、本の内容とぜんぶ繋げてしまい、頭が痛くなったことがありました。
逆に言うと、それまでは表面を撫でるような読み方しかしていなく、本当の意味で「本を読めた」とは言えなかったのかも。

心理学関連の論文をひとつ読んでみたところ、「(小説における)読解力は登場人物の心理を理解できるかどうか」に左右されるみたいです(英文⇒Google翻訳で読んだので、おおまかな意味です)。これが絶対的な条件、というわけではないと思いますが、読解力に関する視点のひとつとして個人的に納得しましたね。

小説を理解する以前に、「漢字がわからない」あるいは海外小説だったら「文化や背景がわからない」あるいは内容が科学的な小説だったら「用語がわからない」……と、知識における"わからなさ”はあると思います。しかし、ある程度、読書量を積めば読み飛ばしても補える(想像力で)ものがあるじゃないですか。

だけど、人の心理に関しては読み飛ばせないですよね。小説は登場人物の心理で動いていくので(と思っていますが、異論は認めます

「人の心理を理解する」って、子どものうちは覚束なく、子どもでなくとも、わたしは大学生の頃や20代前半の頃、「文としては理解できる」けど「面白いとは思えない」感覚がありました。でも、時間が経って読み返すと、「ああ、こういう感情わかるかも」と楽しめることも多くて。それって、勉強のよしあしではない、心の知性が育っていったからなのでは? と最近では思うようになりました。

主治医の先生からも昨日、「苦しみを体験するほど、洞察力が高まるから」というようなことを言われました。心が育っていくのは、(少し悲しくもありますが……)人生のすいも甘いも味わったからなのかな、と。

話がかなり飛躍してしまいました。本でいろいろ気づいて考えたことを、どんどん小説のなかに吐き出していくことをしていたら、かなりのデトックスになりました。気持ちが軽い。同時に精神的に弱かった小説家たちが、小説を書き続けた理由がわかったような気もします。精神の均衡を保つために、書かずにはいられなかったのではないか、と。それで報われる(本として売れる)かどうかは、その人の能力と運によるものだとは思いますが。(アマチュアの意見

とりとめない記事になってしまいました。どうやら、わたしはうんちくを語りたがる性格のようです。申し訳ない。

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