【雑談】"小説が書けない問題”の決着をつけようじゃないか

お久しぶりです。ここ数年の「小説が書けない」問題について、気づいたことを話します。

「小説が書けない」問題の根本的なもの――それは、"不安定なメンタル”と"疲れ”であることがわかったのですよね。コロナが始まって以来、抑鬱感や希死念慮に苛まれていたわけですが、そのような状況で小説を書くのは難しいよね、と(今少し心が安定してきたから)思ったわけです。

まあ、"毎日「楽しい」と思えることがほとんどない”という状態で、普通のメンタルではないよね、と。もともと精神的な病気を持つ身であるから、普通のメンタルとは? と考える節もあるのですが。

現在は実家に定期的に通ったり訪問看護を利用したり、眠剤を増やしてもらったので「睡眠」と「人との交流」はある程度確保されています。社会的な生き物である人間にとって、「人との交流」が遮断されると、生命レベルに関わることなのでみなさんも気をつけてください……(体験者より

それで(お気づきの方はいるかとは思いますが)、春頃になってから小説を少しずつ書けるようになりました。うれしいね。

まだ、まとまった長さ(中編・長編)は書けないものの、少しずつ「小説を書く」感覚を取り戻しています。またnoteに短いものを投稿したいなとは思いますが、秋の公募のほうも気にはなるので未定(もしかしたら秋の作品上げてからかも)です。

春頃から小説を書きだして、「ああ自分変わったなあ」と"いい意味”で思えるようになったのは、「プロットが書ける」ということ。今までも書いたことはあるのですが、性格的にずぼら&気が短いので、見切り発車で書いてしまった……というのも多々ありました。「プロット書かかない」派の理論(平たく言うと理由ですね)をかき集めたりしてね笑

いや、でも今は書けるやん。書いたほうが小説が(トリートメントした艶やかな髪のように)するっとまとまるやん。と感動しています。あくまでも主観なので、小説として完成されているかは疑問ではありますが。

プロットが書けるようになったターニングポイントとは? ――答えは明確です。"小説に集中できるようになった”から。

つまりどういうことかと言うと、

今までは小説のミクロ的なところ(わかりやすく言えば、文体、言葉の選び方、描写など、全体ではなく細かい部分ですね)に気を取られていたのですが、何があったのか(言い方はアレですが、たぶん薬がうまくハマったのかと)、小説の構成を考えながら読むことができるようになった――ということです。

構成を捉えられるようになると、小説がめちゃくちゃ面白い。とくに海外文学は面白い。(日本文学はどちらかというと、言葉に意識を置くものが多いという印象なので)

それで読書も現在ハマっています(微力ながら啓蒙運動としてブックレビューも少し書きました)。

やっぱり「構成を考えられるようになる」と、エピソードの繋げ方をどうしようか、と考えられるようになりますね。まだ実践(プロット立てて書く)経験が浅いので巧くなったわけではないのですが、登場人物の心理から行動(エピソード)を考えられたり、小説の主題からどこに話が落ちていくのか(結末をどうするのか)を考えられたり。

今までほぼ無意識に書いていた、あるいは書きながらその場で考えていたのですが、"構成を考えること”があまり苦にならなくなったかな。これは喜ばしいこと。

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話を元に戻すと、

「心(頭)が疲れると、小説に集中できない」のは当たり前のこと。逆に言えば、自分の心(頭)と身体をいたわることができれば、小説を書けるようになる、小説を書くことが楽しいと感じられるわけで、あれこれ抗わずに「休む」ことは大事なのだなあ、と感じましたね。

自己管理(ヨガ・瞑想)をしていると思っても、疲れるときは疲れるので。心の赴くままに疲れたら「寝る」「何もしない(現代人の難題)」と、選択できるようになるのが、賢いやり方なのかな、と。わたしの場合「寝る(睡眠)」ができていませんでした。なので、今では(寝れなくとも)疲れたら目を閉じて横になることはしています。

考えれば「やる気がない」という状態も、単に心が疲れているからでは? と思います。「やる気の源」を必死に探した時期もありましたが、身体(脳)を回復させることが最優先なのだなあ、と思いました。

加えると、今でも「小説を書くこと」のやる気はないです。喜ばれたい、認められたい気持ち(承認欲求)はあるものの、「作家」というステータスに興味を持てない、作家になって何かしたいという野心や目標がないので。

憧れの作家は何人かいるのですが、正直に言えば作家志望の人のほうが楽しそうにしているように見えるのですよね、、、なぜか。

「書く楽しみ」や「喜んでもらう幸せ」を軸にすれば、「小説家」になるよりも自分の仲間に読んでもらうほうが正解なのではないか、とか考えてしまう。だから、"小説家になって〇〇をする”という野心のある人のほうが、結果的に強いのかなあ、と最近では思います。

まあ、その点で言えばわたしは「やる気がない」。でも"小説を書く楽しさ”は最近になって捉えられつつあるので、あれこれ考えずに「今を楽しむ」ために「小説を書く」と思考を単純化させれば、うまくいけるかも?(と考えている時点で余計なことを考えすぎ

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こんなことを考えています。結論:「ふじこはやる気がない」です。心(感じる)よりも思考を優先させてしまうのが課題ですね、、、


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