見出し画像

【雑談】どちらの性に感情移入するのか

お久しぶりです。秋に入ったというのに、厳しい残暑が続く日々ですね。早く新しく買った秋物の服に袖を通したい気持ちです。

さて、今日の雑談テーマは「どちらの性に感情移入するのか」です。

昔、ある作家さんがブログで「歌詞を読むとき我々はどちらの性に感情移入する(している)のだろう?」と書いていた記憶があります。作家さんの名前は失念しましたが、その議題を今までずっと考えていました。たとえば、歌詞の主人公が男性であるとするなら、わたしは主人公(男性)に感情移入するのか、それとも主人公が想っている相手(女性)に感情移入するのか?

興味深い問いです。

結論から申し上げると、わたしは基本的に性別がどうであれ、主人公に感情移入するタイプだと思います。たとえば、韓国の歌手10㎝の「ストーカー」という曲があるのですが、あの歌詞を確認したときどうしても”相手の気持ち”にはなれなかったです。歌詞を粗く説明すると、眼鏡をかけたシャイな男の子が自分とは釣り合わない女の子を好きになる――という話。主人公は彼女を見るだけしかできなくて、それは彼女に対して(おそらく見る以上のこともしたのかも)迷惑なのではないか、と考えているのですよ。

自分がこの歌詞を読んだり、カラオケで歌うときは完全に主人公の気持ちですね。そういう体験をしたわけではないけど”自分の卑しさ”や”一方通行の思い”に共感できたから、だと思います。

そういえば、小説を書くときも主人公が男性なら、主人公(男性)の気持ちに感情移入して書いています。生物学的には違うのですが、自分が男だったらどういうことが障害で、どういうことに悩み、どういう女性(男性でもいいですが)を求めるのだろうか? ――こういう問いかけは、常にしていて自分がなれない性別(男性)だからこそ、想像するのが楽しいのですよね。

わたしの小説では「弱い男性」がよく登場してくるのですが、それは自分のなかにある男性性を投影しているからなのかも。自分が男性であるなら、元恋人の写真を消さないだろうし、学歴コンプレックスを抱えていたり、社会の一員として活躍できない負い目があり、きれいで高学歴な女性を「バカにされている気がするから」という理由で嫌ったりするだろうし。まあ、そんな小さな器の男性像が浮かびあがるのですよ。

そして、わたしは誰しもが生物学的にどう生まれたのであれ「男性性」「女性性」というものを両方備えていると思っていて。それを意識的に見ている、細かく分析できている人ほど、異性の描き方が上手になるのでは?――と仮説を立てています。

わたしが好きな作家のひとり(たびたび登場しますが)のウィリアム・トレヴァーは、よく「女性の半生」を描いたりしますが、彼は(女性のことが)よくわからないからこそ、書きたくなるのだそうです。実際にトレヴァーの作品の女性像は立体的で、女性ならではの(その当時の古いしがらみゆえの)心の揺れ動きがよく描かれています。

このことから異性に「関心がある/ない」の違いなのかなあ、と思います。異性をうまく描けるのは。そう考えてみれば、わたしは基本的に人間に興味があるので、この調子で人間観察を続ければうまく描けるようになるのかも? なんて楽観的に考えたり。体験は圧倒的に乏しいので、YouTubeなどで眺めている「箱男」状態ですが。(それこそ、ストーカー体質

少々脱線しました。最近、kpopをよく聞くようになったので、こんな雑談をしてみたくなりました。男性として生きたら……という妄想は楽しいですが、やはり男性には男性のしんどさがあるよね、とも思うこの頃です。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?