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オンラインで「学び」をどう生み出すか?

 2005年から4年間ほど、あるオンラインでのコーチ養成トレーニングをボランティアで手伝っていた。当時はZoomもSkypeも無かったので、オンラインといえば電話会議システムを使ったものだった。1時間のクラス運営ということで、タイムラインと喋る内容を書いたスクリプト(台本)を書いて、それを読む形で進行させていた。参加者にも自由にしゃべってもらいながらタイムラインちょうどにクラスを終らせるためには、そんな準備が必要だった。

 コーチングのトレーニングというと、どういうものを想像するだろうか? それぞれ毎回、学ぶべきテーマがあり、テキストがあったが、実際のクラスでは、何か実際にコミュニケーションを行ってみるようなワークやディスカッションを行い、やってみてどうだったか、の気づきを得るような展開だった。要はいつものコミュニケーションではなく、いつもとは違うコミュニーケーションをとってみて、そこから自ら学んでもらうという成人学習のモデルに基づいたクラスを設計していた。

 その後、コーチングの本を出した後、ある国立大学教育学部付属の中学校で研究授業のお手伝いを3年くらいお手伝いする中で、成人学習ではなくても同じモデルが使えるんではないか、と思った。

 これまでの学校のモデルでは、学校の先生が学習指導要領を見て授業を設計し、それをこなすことで、学習指導要領のポイントを学ぶようにし、本当に学んだのかをテストして評価する、そういうモデルだった。このモデルは成人には使えない。なぜなら、大人がそんな扱いされたら、ムカつくから。

 私たちがまだ20代の頃の自動車教習所を思い浮かべると、こういうモデルであったように思う。しかし、今はどうだろう。いかに教習者にモチベーションをアップしてもらい、通い続け、友達を紹介してもらうべく、悪戦苦闘している。小中学校いえども、同じことになるのではないか。

 反論もあるだろう。学校はサービス業ではない、と。それはそうかもしれない。しかし、私が言っているのは、もはや情報の非対称性による権力は使えなくなってきてますよ、ということである。

 学習指導要領のポイントなんて、ネットで検索すれば出てくる。何を期待されているのかもわかる。塾に行けば、親切に大人がそれも教えてくれる。この段階において、先に述べたような、学ぶべきポイントを隠して悟らせるような、それこそ小学生男子の初恋のようなやり方で、ホンマにええんですか、ということを、声を大にして言いたい。

 教科書も教材も何でもいいではないですか。学習指導要領に書かれていることを身に付けられれば結果オーライである。そのために最低限必要な、先生と生徒とのコミュニケーションは何か?

 人が何かを学ぶとき、それを学ばなければ得られない知見を、学ぶ前に知ることはできない。先生がすべきことは、そんな目標を生徒と一緒に設定し、方法を自分で考えさせ、あるいは探させ、自分に合った方法を選ばせ、やりとげることによって、学習目標をクリアすることを、支援することではないのかと思う。

 人は無料動画や無料コンテンツだけでは学ばない。そもそもにおいて、コンテンツはあふれかえっており、学ぼうと思えばお金を掛けなくてもいくらでも学べる。必要なことは主体的な目標設定と内発的な動機づけ。そして成長の喜びへの承認である。

 これらのことができるのであれば、こと学習という面については、教育の現場はリアルじゃなくても良い。オンラインで十分だと思う。

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