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日本式経営腐敗論②:戦後の日本人は経営をどう学んだのか?(1940年代後半)

ちょっと時代をさかのぼって1940年代後半。戦争に負けた当時の日本の経営ってどうだったの?という話です。

歴史の教科書には財閥解体とかが書かれていて、なんとなくそれまでの日本の経営が、「どうだ明るくなったろう」でイメージされるような、成金金持ちが羽振りを聞かせていたのが解消された、なんてイメージもありやなしや?

参考)どうだ明るくなったろう

ピクシブ百科事典より

紡績工場の女工哀史なんてイメージもあり、戦前の日本は、決してみんなハッピーな経済ではなかったような気がします。

CCS経営者講座

さて、そこで敗戦です。まず、紹介したいのが、CCS経営者講座です。

日本を占領してこれから民主化しようと考えていた連合国軍最高司令官総司令部、いわゆるGHQ(まあ、実質はアメリカ軍なんですが)は、決して日本のメーカーの製品の品質が高いものとは考えていなかったようです。

(一応、余談ですが、戦前はそうは言っても、日本軍の飛行機がばんばん飛んでいたのですが、戦後何十年もして、日本が国産飛行機を作ろうとしても作れないのは不思議ですよねぇ。まあ、安全性に疑問のある飛行機が飛んでいたのは事実らしいですが。)

裏の話はわからないので、表の話で行きますと、GHOは日本を民主化するためには、国産のラジオが全国に普及しないといけない、と考えていたようです。

当時、テレビもケータイもJアラートもありませんから、国民に広くメッセージを、と考えると、新聞やラジオくらいしかなかったんでしょうねぇ。

で、そのためには、通信機メーカーの経営レベルを引き上げなくちゃいけない、ということで、アメリカで最先端の先生方を呼んできて、経営者に連続講座を受講させたのでした。これをCCS経営者講座と言います。

以下、書籍から引用します。

CCS(民間通信局:Civil Communication Section)とは、戦後の日本における連合国最高司令本部(GHQ)の一部局の名称である。CCS経営者講座は、CCSが通信機メーカーの経営幹部を対象として1949年に始めた、わが国での最初の近代的マネジメントに関する教育プログラムであった。CCS経営者講座自体が広範な産業へ普及していっただけでなく、戦後一時期におけるトップ・マネジメント向け教育ブームのきっかけを作った点でも画期的であった。CCSがトップ・マネジメント教育の代名詞となるほど注目される時期が、しばらく続いた。それは、CCS経営者講座それ自体が目新しいコンセプトを満載していたからである。品質管理もCCS経営者講座によって、戦後初めてわが国へ紹介された。統計的品質管理という概念は、当時の我が国企業には目新しいコンセプトだったのである。品質管理はCCS経営者講座の重要な構成要素であり、講座全体の時間の2割弱を占めていた。しかし、さらに驚くべき史実が隠されていた。このCCS経営者講座では、コーポレート・ガバナンスについても、すでに明快なメッセージが流されていたのである。

後藤俊夫『忘れ去られた経営の原点』P.12

このとき、日本の経営者に品質管理を教えに、デミング、ジュラン、サラソンと言った学者さんが来日するわけですが、では、この当時、彼らの統計的品質管理の手法はアメリカでメジャーだったかというと、そんなことはなかったそうです。1980年代、日本企業が成功し、日本製品がアメリカを席捲した後で、日本の経済成長の要因としてこの講座が紹介され、彼らの思想はそこからアメリカでも広まったとか。(その辺のことは、アンドレア・ガボール『デミングで蘇ったアメリカ企業』という本に詳しいですが、今回はテーマがズレるので、引用はしません。)

日本の占領政策をする部隊に選ばれたとすれば、やはり、それはその道のエリート達なわけです。そのときのアメリカの最先端の理論をぶち込んだのでしょう。そう考えると、戦争に負けて占領されたことが日本経済の発展の要因になってしまうわけで、何やら複雑な思いにもなりそうです。

それはさておき、このCCS経営者講座の前の日本企業のマネジメントについて、調査結果がありますので、こちらも引用しておきます。

調査の結果によるこれらの会社経営上の欠陥は次のとおりである。
①最高経営者の経営としての研究が不十分である。
②最高経営者が忙しすぎて、創造に費やす時間があまりに少なすぎる
③企業の目標、方針、標準執務規定が明示されず、また部下までこれが浸透していない。
④企業組織の研究が不十分である。
⑤各経営管理段階の責任と権限が明示されていない。
⑥企業各部の協力ができていない
⑦監督力、指導力が弱い
⑧監督者教育が無い
⑨品質管理、原価統制、技術管理などの統制手段の研究と実施が不十分である。
 要するに、不良率が高く、コスト高で、一人当りの生産高があまりにも低なすぎ、経営上のあらゆる面に根本的な欠陥が包蔵されている。

社団法人日本産業訓練協会『産業訓練百年史』P.332

というわけで、CCSは日本電気通信工業連合会に相談し、その同意を経て、東京・大阪でCCS経営者講座を開催した、という流れになります。

MTP管理者訓練

CCS経営者講座はその名のとおり、経営者ですから、トップマネジメントに対する講座です。一方、ミドルマネジメント層向けに開発された講座がMTPと呼ばれるもので、こちらは対象者が多いということで、インストラクターを養成してそこから普及させる、という方法が取られました。

MTPとは、Management Training Program の略。シンプルですね。日本語訳は、管理者訓練計画だそうです。こちらも書籍から引用します。

MTP作成者の1人、武沢信一氏、現在立教大学教授によれば「MTPの前身はアメリカ極東軍(FEAF-Far East Air Force)で作られた監督者訓練(ST-Superviser Training)である。この監督者訓練方式は、アメリカ人監督者向けの訓練方式を、空軍基地に働く約2,000人の日本人監督者のために翻案したものである。その内容の大筋は、アンリー・フェイヨールの管理者の5機能(計画、組織、指令、調整、統制)と、TWI監督者訓練方式の3項目(仕事の教え方、改善の仕方、人の扱い方)とを、20会合、40時間のコースにまとめたものである。このコースを行なうについて、米空軍内に日本人インストラクター(講師)を育成することになった際、日本産業から約10人がオブザーバーとして参加した。このコースが日本側に紹介されたのはこれが最初である。」昭和25年6月には、通産省を通じて、わが国産業の職場振興方策として採用することとなり、10月23日より4週間にわたり、極東空軍立川補給司令部において開かれたインストラクター講座に、はじめて産業界から13名、官庁から、1名が参加を許されて受講した。

社団法人日本産業訓練協会『産業訓練百年史』P.334

通産省、やるなって感じですねw
ついでにこちらも引用しておきます。

MTPは極東空軍の中では監督者訓練であったが、これが日本産業に対してはミドルマネジメント・コースすなわち部課長訓練として紹介された

社団法人日本産業訓練協会『産業訓練百年史』P.334

TWI現場監督者訓練

上にも記載がありましたTWIも紹介しておきます。こちらの旗振りをしたのは、労働省だったようです。

TWIは、Training Within Industry の略称である。これは産業訓練あるいは企業内訓練と訳される一般用語であるが、MTPがそうであると同じく、TWIとなると特定のコース(複数)を意味することになる。TWIという言葉が出てきた元は、アメリカで戦時動員のため素人工を入れて訓練する(Training Within Industry)ことにしたところから生れたといわれる。(中略)戦時中アメリカでは、TWIを戦時入力局(War Manpower Commission)で行政として普及させ、延約200万人の監督者を訓練した。(中略)戦争の末期にTWIはイギリスに伝えられ、労働省がこれを行政として普及させ現在に至っている。昭和24年にGHQから提供され、労働省で翻訳されたTWIの訓練手引書は、イギリス労働省発行のものであった。

社団法人日本産業訓練協会『産業訓練百年史』P.336-337

細かい経緯は省略しますが、このTWIの「仕事の教え方」「改善の仕方」「人の扱い方」の普及が「経済復興上重要である」ということになり、職業安定法にも取り入れられて普及したもののようです。

さて、かくして出揃いました、CCS、MTP、TWIですが、知り合いのメーカー系の方にお聞きしたところ、TWIだけは知っている、との話でした。

CCSについてはその後、トップマネジメントセミナーのような形に推移していき、MTPは昭和30年代に各会社が人事制度を整えるにあたってだんだんと下火になっていったようです。

ちなみに、日本が独立してサンフランシスコ平和条約が発効し、独立を回復するのが、昭和27年(1952年)4月28日ですから、1945年から1952年までの7年間の間に、日本の産業界でいろいろな教育プログラムが取り入れられ、その後の日本の経済発展の礎を築いた、ということになります。

というところまではいいお話なのですが、ちょっと待って、と思うポイントは、優れた経営手法がアメリカにあったとして、なんで、日本ではそれが導入されたり普及してなかったの?というところが気になります。

まあ、統計的品質管理はアメリカでも普及していなかったのだから、まあ、そういうものなのかな、という解釈もできますが、逆な言い方をすれば、会社組織や産業界が今、やっているやり方を見直して新しいやり方を取り入れることが、いかに困難なことなのか、を示しているとも言えます。

大戦の敗北を経て、経営のレベルをがらっと刷新した日本ですが、その後、その繁栄が続くことがなかったのは、どうしてなんでしょうか?

さらに調査していきたいと思っています。

現場からは以上です。

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