聞け、話すな、の経営
最近、会議に懐疑的である。
会議懐疑論者である。(←半分、言ってみたかっただけ。)
さて、そんな会議嫌いも相まって、自分の頭の中でキーワード的に鳴り響いているのが、このタイトルの言葉。もう、商標でも取ろうかしらん、レベルで響いている。
元ネタが何かと言えば、ドラッカーの『経営者の条件』。
しかも、本文というよりは前書きみたいなところ。序章の最後の部分である。
引用してみる。
最後の部分、原著では何と言っているのか。調べてみた。
話すな、とは言ってないw
話すなら、最後に、と。
ドラッカーさんはそもそも、どういう文脈で言っているのかと言えば、この文章の部分は、ここから話が始まっている。
ここもわかりにくいので原文を。
私ではなく、わたしたち、と考え、言え。
と、考えると、この「聞け、話すな」の意味もわかる。
『経営者の条件』というのは、原題は、Effeftive Exertive、つまりは、効果的に成果を出す人、ということで、いわゆるリーダーのことを言っている。もちろん、ポジションではなく、リーダーシップを取って組織やチームに成果を出させることができる人。
例えば、社会問題を解決する組織だったとしよう。そこに集うメンバー、ボランティア、寄付者、ステイクホルダー、それぞれに見ている「世界」がある。
それらの世界は同じように見えている世界ではない。それぞれの視点で、視角で、視座で、視界で見ている。
世界はひとつかもしれない。しかし、その解釈はひとそれぞれ。
では、これらのバラバラな知覚を持った人をまとめるにはどうすればいいのか?
まず、話を聴き、彼らの話を頭の中でマッピングすることだろう。誰からはどう見えているのか。自分の知覚すらも限定されていて、世界のすべてを把握することができないのだから、話をきいて、なるべく世界そのままの姿を立体的に、可能なら、四次元的に、脳内で再構築する。
その再構築が出来てのち、話し始める。
その話で出てくるのは、自分だけから見えている狭い世界の話ではない。
私の話ではない。
われわれ、の話になる。
「われわれ」という感覚を得るために、
その感覚を言葉に宿すために、
聞け、話すな
なんだと思った。
つづくかも?
現場からは以上です。
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