芦浦街道を歩く その3

画像1 この道の突き当り辺にしたの道標
画像2 左やばせ右せた、左が右側にかかれ右が左側に書いてある。うっかり者の私なんかは早とちりして迷子になったりしそう。「急がば回れ」という諺があるが草津の宿から京都へ行くのに矢走(やばせ)から浜大津港へ船で行くのが近道だが、船は天候任せ、風が強かったりすると風が収まるまで帆掛け船を出してもらえなくて、結局回り道して瀬田の唐橋を渡るのが早かったりしてということらしい。急ぎ旅のおじさんがこの芦浦街道をアセアセと駆け足だったのかなと想像してしまった。
画像3 右側のフェンスの中が若松神社の境内、突き当りJR琵琶湖線のガード
画像4 ガードを抜けるとすぐに橋、川の左側に某企業の敷地。
画像5 さくらはその企業の敷地内にある窪江城址の桜、春には部署ごとに花見の宴があるとか、あ、コロナの今はないね。
画像6 しばらく企業のフェンスが続く、ここは芦浦街道は企業の敷地で途切れているので外側を行く。
画像7 企業の門のある方に出る。そ、東レの瀬田工場です。
画像8 東レの社員寮のそばを左折、ここからまた芦浦街道になる。
画像9 立派な門構えのおうちの前を通って浜街道に出る。芦浦街道はその昔は湖岸に沿ってあったのでやたら曲がりくねってかつ狭い。浜街道は車社会になって整備されたものと思う。各家が少しずつ土地を削って提供して道路を作ったんだと地元のおばさんが話してくれた。
画像10 浜街道に出たら左へ行く道じゃなくて向こうの赤い建物の向う側の狭い道を行く。
画像11
画像12 とにかく曲がりくねっている。
画像13
画像14 民家の塀に芦浦街道の看板、おうちの人の好意でつけられたらしい。
画像15 少し行くとまた浜街道に出る。今回はここまで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?