見出し画像

3月-5/6 5月、山登り、『C‘mon C’mon』

間があいてしまった。

5月

 5月になるとほとんど毎年、うつについて考える。芽吹きの季節は人を不安にさせてしまうようで、メンタルに関する話題が持ち上がる時期だからか。かといって自分がうつになるわけでは今はなくて、あれはいったい何だったんだろう、と考えるようになっている。そもそも歳を取ると振り返る経験が増える。あの頃は考えが浅はかだったな恥…と思うこともまあるが、一方であの頃の感覚が圧倒的に正しかったなと思うこともよくある。

 自分の場合はいわゆるうつ状態になったり回復したりを繰り返していたのは10代後半から30前後にかけてなのだが、そのくらいの年齢の人って中高年の人間と比較すると、まわりからの期待値が大きい。流行と言われるものの多くを若者が担っている(と思われている)わけだし、何に興味があるのか、何になりたいのか、将来をどう思っているのかといったことだけでなく、恋人はいるのかいないのか、子供を作るのか作らないのか、など、やたらいろんなことを期待されてる。うまくいったらいったで喜ばれ、うまくいかなかったら落胆されたりしながらも、「若いからなんだってできるよ」などと言われるのって今考えると結構な地獄である。自分の頭で考えたいのにロクに考える時間もなく、何のために生きているのか…といったループにはまってしまうのは当たり前なような気がする。外を歩くと他人にじろじろ見られているような気がし(当時は自意識過剰なだけだと自分を責めたけど、単純に事実として、容姿に関係なく若い女性は視線を浴びる機会が多いんだと思う)、学校に行けばあれも知るべきこれも知るべきと教わり、家に帰れば親の期待が待っている。あまりにもトゥーマッチな毎日。楽しいこともあるにせよ、あんなキリキリに張り詰めた毎日、もう1回できるチャンスがあったとしても見送りたい。

 最近はまわりからなんの期待も見返りも求められなくなって、心から、今私は自由の身なんだなと思うことがある。いま私はオンナでも若者でもなく、ただここにいる、ただここにいるだけの存在なんだな、と。座っていても立っていても裸で走り回ったとしてもさして関心を持たれないだろう。周りの人たちがなんの関心も持たずに素通りしてくれる。それは当時を思えば祝福すべきことだと思う。

 そういえばあの時期は「テキトーなことを言うおじさん、おばさん」が好きだった。もちろん正論を真っ向から説く人で尊敬する人もいたけど、なんかテキトーなことをテキトーな調子でしゃべって、気が付いたらあれ!?いない!?みたいな人のほうが信用できる気がした。今もその感覚はあまり変わらないけど、毎日教わる、受け取る、期待されることに嫌気がさしていたのかもしれない。人って追い詰められてる時には具体的にありがたいアドバイスをしてくれる人よりも、なんの役にも立たない話をしてくれる人を信用したくなるものなのかもしれない。

倉見山

 という三つ峠近くの低山を上った。往復5時間くらい。快晴で富士山の足元まで見えそうなくらいだった。フデリンドウ、タチツボスミレ、ヒトリシズカといった可憐でけなげな雰囲気の山野草にほっこり…。枯れ切った?ハートにポッと灯をともしてくれるような可愛さ。道の歩きやすさと、汗をそこそこかくけど暑すぎない快適な気温もあいまってご機嫌な登山だった。帰りに絶滅危惧種であるという幻の花クマガイソウを拝んだ(たどり着くまでに結構な時間がかかった)。ランのような食虫植物のような、艶めかしい感じの花だった。というか形が…これ、写真に撮っていいんですか…という感じであった。群生地に着くとわりとたくさん生えていた。もともと管理されていた区画だったみたいだけど周囲のフェンスや入口が完全に崩壊していたので、いずれ本当に絶滅してしまわないか心配。

『C’mon C’mon』

 観てから時間がたってしまったけどいい映画だった。主演のホアキン・フェニックスは記者という設定で、本流のストーリーの間にホアキンが取材という設定で各地の子供たちにインタビューをするのだが、おそらくそのシーンは本当に取材したドキュメンタリー映像で、これがすごくよかった。さきほどの期待、の話とも少しリンクするが、子どもって大人が思っているよりすごく本質的なことをよくわかっているんじゃないかっていう気がする。そして成長の過程でどうやってなぜそれを忘れていってしまったのだろうか…ということも考えてしまう(ようにできている)。最後に(ネタばれになるが)二人が分かれたあとにホアキンが甥にあててメッセージを送るのだけど、君はこうやって過ごした楽しい時間をいつか忘れてしまうと言うと君はすごく怒ったね、でも僕が覚えているよ、(大意)というシーンがあり胸アツだった。

 連休最後は実家でBBQしたり、夏の旅行の計画をたてた。山で学んだことを応用するときがきた。旅行の半分は計画である。ワクワクはいつだっていい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?