菊池くずれ一段


あーーつらつらと、世をひそかに、おもんみるに
    
人は善悪のともによるべしか

人は悪(くう)をたのめば

おのずから天の戒めを身に受けて末に我身を滅ぼすと

これはこれ、故人の金言なり

そのころ、人皇(にん)の御代は始まりて

めでたくは 百六代の                        
帝正親町(おうぎまち)の院の御宇(ぎょう)にあたりて

頃は天正四年

天下を仰ぎ奉るは

織田内大臣、織田信長公とて日本の兵(ひょう)を切りしずめ

従う武士を味方につけ おのがままに
 
天下の位を受け 音にも聞こえし石山城にござ据えたもう

その頃、九州、吟味のそのために 下しおかるる 大名には

信長公のいとこにあたり 織田龍造寺山城守隆信公とて

音にも、聞こえし、肥前国佐賀の城に御座据え給う

さてもそのころ九州は筑前、筑後、肥後、肥前 合い従う郎党には

鍋島加賀守輝綱公

じんばや ひぜん たけのおと

土肥の江上に花田の宮部、五条隈部但馬の守
     
田尻直純をはじめとして 

名も高き肥後の国 菊池の城主 赤星

宮内 宇土殿 相良殿有馬ありやに下総守

入り江入り船ろっかの右近 橘左近 蓮の池

菊池左右衛門

同じく重住 本庄某  松原右近 牧目の弾じょう

駿府の諸侍

君の御前にあいあつめて 君を拝したてまつる
                                                                                     (かまちにざえもん みずしま かいしま おがわのむさし
いりえ いりふね ろっかのうこんたちばな さこん はすのいけ
その他諸侯あまた、ござそうろう)

隆信公のご威勢は、はなはだしく 飛ぶ鳥おとすか           
野なる草木の春風の 吹かれてなびくが風情なり

( 飛ぶ鳥落とすか、草木なびかす、風のごとし)


 さてもいよいよ 豊かに、つつがなく日をくらせと おもえども

隆信公ある日のことに 家中残らず御前に招き

「いかに方々 弓は袋、矢は矢坪、剣は鞘に収まる理なる

謀反も起こらぬ 世なれどもとは 言うものの

謀反を起こす世の中なれば

謀反起こさぬ証拠には 下家老 士席以上の者どもが

人質持ちし人々には人質を一人を予が御殿に取り置くならば

例えば反逆謀反起こすとも親は子の煩悩にほだされて

とどまるのがいつでも、世のならい

このよし、回状せよまわされよ」

とのおおせに 

はっと ご家来衆はさてもお前にて、料紙引き寄せ

墨すりながし

にわかに家中に 回状したためて めぐらすなら

人々 回状 みるよりも 一人ずつの人質を

我も君のつとめに ささげん 我もささげん

我も我もと君の御前に送るの有様なり

先ず一番に五条隈部の世の末 熊寿丸とて一五歳

じんばやびぜんが 世の末に 虎若丸とて一五歳

蒲池左右衛門の 世の末に 千代若丸とて八歳なり

田尻直純の 世の末に 千若丸とて 三歳なり

いまだ 御前のつとめも かなわぬならば

乳母やめのとを あいそえて 御前のつとめと送らるる

熊寿丸は器量すぐれし者なれば

君の側役をじゅんぜられる

ある日のことに隆信公 田尻直純をお側に招き

「いかにも 直純 肥後菊池赤星は二人の子どもを産みながら

一人の人質を出さぬは 主に二挺の弓ひくか

但し 謀反の企てあるやとて 大義ながら

その方は 菊池隈府に駆け下り 赤星が所在の程を

きっと 聞き取られよ 」との仰せに

はっと直純すぐさま 用意をいたし 佐賀の城をまかりたち

日数 3日にあたる日は菊池隈府に着きけり

駒を門につなぎとめ

頼む 頼むと呼ぶ声に 宮内きゅうない いざ立ち出でて

誰かと思えば 田尻様 まず これにこれにと

奥の一間に案内を致す

赤星殿は寝間着のまま 立ち出でて

「珍しや直純様 肥前の佐賀より使者として 

はるばるのご苦労千万 君のおもむき 仰せ聞かせ下さるべし」

「あいや 申し 赤星殿 それがし 使者に下る段

御身もご承知の通りとおぼえたり

このたび 一人ずつの人質を君に差し上げ候が

貴殿一人なんの おとずれもこれ 無く候ゆえ

君のご意見には 赤星は二人の子どもを産みながら

一人の人質を出さぬは主に二挺の弓ひくか

但しおのが 心の内に謀反の企てあればとて

きっと聞き取りまいれとのこと 使者の儀はこの通りにてそうろう」

「なるほど直純様

その回状は存じていれどもそれがし永の患いゆえ

さてもご無沙汰を致してそうろう

まだ三郎とて一二歳  やそ姫とて九つ田舎育ちの藪鶯

それがし病平癒次第に兄なりと妹なりと

一人召し連れまかりこし 君が万事頼むその頃は

差し控え候とお伝えくだされ」

「なるほど赤星様 親が子に煩悩のほど限りはござりませぬ

御身は二人の子でさもそのとおり。

かく申す直純はせがれ 千若とてわずか三歳

御前のつとめもかなわねば、お乳やめのとを合い添えて

御前に差し上げそうろうが、今日は無礼は致すまいか

明日はお手討ちにはなるまいかと親の煩悩は限りはござりませぬ。」

語りる折から 三郎丸は唐紙障子を開き

「父上様お許し下さいませ。様子は残らず聞きました。

田尻様のおんいでは肥前の君より

それがしにつとめに登れとの使者とつかまつる。

侍の習いなら 肥前の佐賀はおろか 唐国までもまいります。」

「あっぱれ でかした せがれ さすがは 宮内の子にてある

その儀にあらば 一刻も早く用意して田尻様の御供を致し

佐賀の城に参れよ」

と仰せに はっと三郎丸は我が部屋さして下りゆく

第一の家来 竹若丸に打ち向かい

「いかにも 竹若丸

それがし今日より佐賀の城に参らん共の用意されよ」

仰せにはっと 竹若丸はそのしたに ふれをなす

一六人の御供で三郎丸の出で立ちは

肌に一重の絹を召し

山鳩色の御あわせ ひたち細帯五重に廻し

大名結びに引き結び 二尺八寸の大太刀に黄金造りの添え差し

御身の流儀にたばさんで 父の御前と上がらるる

「父上様 ただ今用意ができました」

「おお 三郎丸 総体 肥前国ともうするは 朋輩

あまたある中に朋輩方に憎まるるな

君に不忠義を存ずるな

申すころにはなけれども

最後に酒と女に心許すな

酒と女に心許せば 己が命を失うぞ

それを申さばいうことない。」

「ありがとう}ございます

それではあさらばで候 父上様」

「おお せがれ さらば」

さらば さらばのひとま 乞い

「これいな申し 直純様 三郎の身の上をよろしくお頼み申す」

「これはしたり 赤星様 我々かくて いるからは

三郎殿に気遣い遊ばし給うな おさらば申す赤星殿 」

「おさらばで候」と一同の者は門前まで見送り致し

さらばさらばと出でらるる

三郎丸のおん身の上 いかがなるべき次第なり

ここらあたりで 次の段

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