菊池くずれ4段
第四段
隆信公はしばらくの間思案}に}暮れ給う
三郎丸 汝はこの文をかいたるおぼえがあるか
あるならば 隠さず申せ」
「もうしあげます 我が君様 かきたることも みたることも
ございませぬ これは 何者か我になにやの思いあってかきた
ることであるまいか
われは 国をたつ時父がかえすがえす申すには
総体 肥前の佐賀の城にては朋輩方の教えうけ いたらぬ身を
精進せよ 又くれぐれ申しつけられしことは
奢り高ぶりは身の破滅 身の清さ を保てとの
かえすがえすも父の言葉なら
このようなことはかならず いたすはずはなし
いかなる者の仕業やら
必ず 詮議 正してくださりませ」
「なるほど 左様であろう五条隈部田島の守 三郎が申す通り
何者か 三郎の顔かり 不義いたずらいたしたることと
思われる 厳しく詮議されよ 」
「申しあげます 我が君様 三郎丸殿はどうして左様のことを
申される」
「三郎はまだ一二歳のことなれば 必ずさようなことはあるま
いぞ」
「たとえ三郎が致したにせよ 無罪にのがせ とは曖昧のこと
申し給う なぜそれなれば 七つよりの男女の理をなきものな
りや」
一二歳とて覚えありや 三郎に何の心清きがありやなしや
この段いかに 取り計らいなされましょうや
さても 隆信公 思案の上
「それならば隈部 三郎を二の丸に入れ後日のうちに きっと
詮議をいたし ことの誠あきらかにいたすなり」
心得ました と隈部
「やあやあ 方々三郎主従を二の丸に打籠め」
聞く人々は隈部味方の者ばかり
三郎主従に縄を打ち 二の丸さして曳いてゆく
二の丸になれば扉を開き 中に打ち込み
五条隈部は三郎丸に向かい
「申し三郎丸殿この上からは片時も早う獄屋放免なさるように
七重の膝を八重に折り必ず獄屋放免に参ります」
口には優しく申して扉を閉め扉をハッタとねめつけて
「覚えておれ三郎丸おのが命を後日の内に取らずにおくべきか」
一同の者に打ち向かい
「いかにも方々五条隈部もおおいに 疝気が下がった。
この上からは肥後菊池に駆け下り三郎の妹耶蘇姫を
たばかり佐賀の城に連れ参り兄妹もろとも殺さねば気が済まぬ
万事よろしく頼むぞ」とそのまま隈部は菊池隈府と急ぎ行く
菊池隈府になりければ 駒は門前につなぎとめ
「お頼み申す」頼もうと申す言葉に赤星殿は立ち出でて
「どなた様かと思えば隈部様 先ずはこちら」
と五条隈部は
「申しあげます赤星殿このたびは肥前の君の使者として罷り出で候」
「左様でござるか先ず奥に」と案内し一間になれば
「五条隈部田島殿 肥前の君より使者としてはるばるのところ
ご苦労千万君の使者の儀はいかなる子細にて候か」
「申しあげます赤星様三郎殿は御前お側役を致し結構な日を
遅らせ候何より幸いにて候がこのたび三郎殿の申されるには
君の御殿が退屈さに肥後菊池に休息に下りたいと申されるに
殿様は汝が菊池に帰るものなれば汝の妹やそ姫を代理にのぼせば
暇えお得さす。そのように申し給う故に隈部使者として罷り超
したるに候
早く妹やそ姫殿を肥前に差し出したまえ」といえば
「何と申し候や隈部殿総体三郎丸には一六人の家来を共にして
肥前の君に差しあげ候が そういう時のために家来十六人は共
いたします
このたびは君の使者として隈部様のお出はどうも合点いかじと
思いまする
家来の竹若丸か七郎なりと一人でも隈部様の供をして参るもの
なら疑わねども 御一人隈部様がお出とはどうしたことや」
「しからば何と申さるるか赤星殿 異心を申せば阿蘇南郷郷千
両牟田で
鷹の争いを致し貴殿と争いのその時は織田竜蔵寺山城の守隆信
公のおなかいりで和睦となる この隈部はなにごとも不服で候
かそれほどまでも隈部を疑い給うなれば起請文一通したため
候」
言うより早くあたりにあたし硯引き出し おのがままに墨すり
手早く一通したため起請文
「これではいかがで候か そもそも日本60余州神祇閻魔大王
天の岩戸に月を読み日読み 星の位置をさきとして空を鳴る神
八竜王 祇園牛頭天王 祇園清水加賀春日住吉宮とつけしるす
赤星氏神阿蘇の宮 隈部氏神ちりく八幡 三郎兄妹に指でも
差さば この目は無限地獄に落ちゆきて一生浮かばぬ
くろがね武者
赤星宮内様 隈部但馬と血判し右の通りに候 赤星殿いかに」
と差し出す
赤星はこの由をご覧じて
「これほどれっきとしたる起請文 したため あそばす上から
は 嘘ではあるまい。」
かかるところに やそ姫は唐紙障子をひらき
「申しあげます 父上様五条隈部様おお出の様子は一間のうちから
残らず聞きました。兄の大事とあるならは肥前の佐賀はおろか
どこどこまでも参ります」
「天晴れ でかした耶蘇 その儀にあらば早う用意をして
隈部殿のお供をいたし 佐賀の城に参られよ」
耶蘇姫はよろこび限りなし
我が部屋さして下り行く
腰元にうち向かい
「いかにも 小菊 自らは佐賀の城に参るゆえ供の用意を致さ
れよ」
仰せにはっと腰元方十二人の供揃い
耶蘇姫は十二人の腰元方が付き添い千歳の髪を油でつやとらせ
白肌に薄化粧 燃え立つばかりの緋ちりめん 12の単衣で身
を飾り
十二人の腰元方も おもいおもいに用意をして
十二人にいざなわれ 母の部屋へと上がり行く
耶蘇姫は母の一間になりければ
「申しあげます母上様 ただ今これに参りしは耶蘇にてござります
ただ今より肥前の佐賀の城に参ります花の暇を給われ」
と申す言葉に母親は
「何を申すぞ肥前の佐賀の城に参ることは思いとどまってくら
れよ
母はそなたと別れとない」
「なにをのたまうか母上様 自ら参れば兄上様が佐賀の城から
お下りになります 兄の帰りをたのしみに
なにとぞ 花の暇を給わりませ」
「何を申すぞ のう 耶蘇姫 佐賀の城というところに十にも
足らぬそなたが 参りても兄の代理はつとまるまい」
「愚かをのたまもうな 母上様 一刻も早う参ります
侍の家に生まれて 君の勤めなら肥前国はおろか唐国までも参
ります」
「それほど申すものならば とめても とまるまい それでは
暇をとらすぞよ」
「それでは お暇致します おさらばでございます母上様」
「もうし 十二人の方々よ まだ九つの耶蘇姫を肥前の佐賀に
参らす段よろしくたのみますぞ」
「申しあげます御台様 我々十二人の者がじきじき お供致す
上からは姫君さまにはご心配くださりますな それでは
おいとま致します 」
「いさらばでございます 母上様」
「御台様 おさらば」
と 立って行く あと姿 母は見るに見かねて走り寄り
もう一度こちらを向いてたも
母に抱かれて たもと 引き寄せ 抱き上げあげしめて
虫が知らすか母親はこれが 別れか見納めかと 我が子の頭に
頬げに当て声も惜しまず泣き いだす
耶蘇姫は
「申しあげます 母上様 門出にお嘆きは何事で候や
耶蘇のことは忘れて兄の帰りを早くお待ちくださりませ」
と 母の手を振り放してぞ立ち上がる
十二人の腰元も方々は姫の手を取り
赤星殿の御前と上がり行く
御前になりければ
「申しあげますお殿様 ただ今より姫君のお供を致し佐賀の城
に参ります」
「腰元方 姫の身の上 よろしくたのみますぞ」
「娘 用意が出来たなら 隈部殿のお供を致し 早く佐賀の城
に参られよ」
「ありがとうございます 父上様 それでは お暇いたします」
「おお娘よ さらばさらばであるぞ 」「おさらばでございます」
赤星殿は隈部に向かい
「五条隈部医但馬殿十にも足らぬ娘耶蘇姫をよろしくおたのみ
申し上げ候」
「必ず必ず 赤星殿 三郎丸様御兄妹のことは 気遣い遊ばし
給うな五条隈部がいる上からは 御兄妹に指でも差す者あらば
隈部が目が動くそのうちは どいつこいつの容赦は致しませぬ
こくじゃく みじゃく に致し 御兄妹は必ずお守り致すべし
それでは 耶蘇姫殿 おいとま つかまらん おさらばでござる」
と立ち上がり門前さして急ぎ行く
赤星主従の人々門前まで見送り
「おさらば おさらば」の暇乞い
耶蘇姫主従の身の上はいかが始末になりますやら
感ぜぬ人はなかりける
これから 降りかかる赤星主従の艱難辛苦の物語り
今日はこれにて 読み終わり