フォーカルジストニア備忘録と決意表明
フォーカルジストニアのトレーニングはすごく地味。音楽的要素が薄く、ゆっくりを何回もとか、あんまり楽しさを感じない。それに何ヶ月、何年単位になるので、どうしても負の感情が湧く。
でもここ最近前向きな気持ちが芽生えた。自分にできない奏法はいくつかあるのだけど、一番気になる奏法は根が深いので、治しやすそうなところから練習しようと思った。それで2ヶ月ほど練習し続けたところ、まだ不安定ではあるけど、弾けるようになってきた。できないかもと思うと、体が硬くなるのだけど、最近は間違えつつも、硬くならずに弾けるようになってきた。半年前の演奏会では、この奏法はできないと諦めて、他の奏法に変えていた。
それから考えると、すごい進歩だと思う。
更に1年半前にあきらめていた演奏は今は音は出せるようになっている。ただ奏法に症状が思いっきり出てしまっているので、出来ているとは言えない。
もうこの代償奏法でいいのではないかと、思うことは多々ある。でも楽器の先生は治したほうがいいと言うし、やはり症状がでている状態は体の道理に合っていない動きであって、治したほうがよい。
しかも今演奏予定も何もないので、なんで時間あるのに治そうとしないのか、と言われたらその通りなのだ。
ただ最初にも書いた通り、長い年月がかかるので、このままやっていて、本当に治るのかという不安に襲われるし、楽しいほうがいいわけで
症状が出ても、リズムに乗った演奏がしたいと思ってしまうわけだ。
こんなことを何度も考えたりして、彷徨ってきた。もっと近道があったかもしれない。
でも少しでも、変化があったということは
彷徨いつつも、色々と考えてきたから
少しずつ軌道修正がされて、下がったり、進んだりしながら、改善の方向に向かっているのだと思う。
注意したいのは、情報に左右されすぎない、情報を集めつつ、改善するにはどうしたらよいかを、自分で考え続けることだと思う。インターネットやSNSの中にもたくさんの情報があるけれど、たくさんある中で自分に合う考えや、やり方を見つける、集めた情報をもとに、自分にあったやり方を自分で見つけ出す
ということが大切だと思う。
身体に変化を感じるには、短くても何ヶ月もかかるので、まずは継続していくというのは大事。
でも何ヶ月やっても、効果がなかったり
なんかわからないけど、違う気がする、
みたいな感じも大事にしたほうがいいと思う。
脳と神経が大きく支配してる病気だからだと思うのだけど
ちょっとした言葉の言い回しで、あ、この動きかもしれない、みたいな改善のきっかけを感じたこともあった。
発症時から振り返ると、情報収集したり、色々な治療を試したり試行錯誤(心は焦りと不安で雨嵐)→身体をほぐすことが必要と気づく→身体がほぐれてきて代償動作がうまくなる→代償動作では限界があると感じまた落ち込む→できないことがあってもいい、練習が好きなんだから、練習できているだけでも幸せという開き直りの気持ちが出てくる→楽器を習い始めた頃を思い出し、出来ないところは、以前できたのにと思うのではなく、最初から出来ないものとして、一から練習する→弾きづらいところが弾けるようになってきた(今)→一番症状がひどい奏法の地味練を続ける(これからの目標)
備忘録と決意表明のような独り言。
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