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愛するモノとの付き合い方について

もうお高い時計や楽器を買うことができる年になったのだけれど、27年前に買ったギターを今も使い続けています。

このギターはヴァレイアーツ Mシリーズという今はもう存在しないメーカーのストラトキャスターで、大学4年生の時に近くの楽器屋さんで一目ぼれして買いました。クリアな音は「カツーン」という音、ひずませると「ジャキーン」という何とも神経質な音がするのですが、それがずっと気に入っています。この27年間で、男子ならだれもが憧れる黒のギブソンレスポールやリッケンバッカ―のオーナーにもなったのですが、結局ここにまた帰ってきています。もしこのギターに出会うことなく今欲しいものを尋ねられたら、きっと俺は「アップルキャンディレッドのフェンダーUSAのテレキャスター!」と叫ぶでしょう。今となっては全然手が届く値段です。しかし、たとえそれが手に入ったとしても、このグリーンのヴァレイアーツからフェンダーに乗り換えている自分を想像できないのです。俺にとってはこのギターはまさに「本妻」で、運命的なものを感じています。

本当に長い間弾いているのですが、弾くたびに新しい発見もあり、また、思い出させてくれる存在でもあります。たまに浮気をした後に帰ってくると、少しだけふてくされたような違和感を持ったりするのですが、またすぐに手になじんできます。エフェクターはギターにとっては「化粧品」のようなものなのですが、エフェクターを変えたり、その設定を変えたりするとまた知らない側面が見えてドキッとしたりします。

俺はギター以外にも魅力を感じてドキドキする「モノ」がいくつかあります。たとえば、腕時計。パネライとダニエルジャンリシャールとオリスのユーザーですが、普段身に着けているのは小柄なGショックです。ただ、時計に関しては「君が本妻」みたいな感覚はなくて、それぞれがそれぞれなりの魅力を持っていて、並列に愛情を注いでいる感じです。どれも7-8年以上はつき合っているのですが(Gショックは太陽電池+電波時計なのです)。

世の男子は車に対する強い愛着がある人がおおいなあとよく思いますが、俺は車についてはそれほど強い愛着はありません。ただ、「移動のための道具」でもありません。いままで30年で3台の車を買いましたがそれぞれに愛着はありました。ただ、車に対する愛着については、「いずれ来る別れ」を前提にしていることや、「つき合っているときには基本唯一のモノで、二股以上はない」というところが、俺の中ではたぶん距離感を生んでいるものなのかもしれません。

腕時計についての愛情は基本博愛である一方で、ギターについては、常に「本妻」と「その他の愛人」を意識している違いはなんでしょうね?おそらくそれは、「モノとの一体感」なのだと思いました。時計を装着するのもそれなりに一体感はあるのですが、ギターというのはまさに相性が大きいです。ギターと自分との相性に気付くことで、自分の性格に気付く、という側面もあるかもしれません。その意味では、たぶん俺はナイーヴで神経質な人間なのだと思います。

今俺の所有するエレクトリックギターは3本です。今日は「3番目」のテレキャスターの弦を「あまりいじってあげられなくてすいません」と言いながら張り替えてみました。モノとの付き合いですから(人でもそうですが)、どこかで別れが来たり、順位が入れ替わったりする時があるかもしれませんが、もう少し本妻のストラトキャスターとの旅を続けてみようと思います。


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