見出し画像

日記(2021年3月)

3月の日記です。3月はシゴトがつらかった。働くのはもう働き始めたときからずっとつらいんだけど、とくにこの3月4月は単純に人が足りなくてしんどかったですね。「じぶんが体調崩したらどうなるんだろう」とおびえてしまうのがつらかった。わたしは感染症対策のために遊びに行くのをできるだけ控えているタイプの人間なんだけど、それは感染して重症化して死ぬのがめちゃくちゃ怖いからで、お上の言うことをきいてるとかではないし、会社の人員確保のためでもないぞっておもってる。なのに「いまわたしが抜けたらシゴトがやばいから気をつけなきゃ」っておもっちゃって嫌だった。だからシゴトつらかった思い出しかない……とおもったけど、ネトフリで韓国ドラマを見たり、キンドルで百合の小説を読んだり、美容院に行ったり、献血に行ったりもしていたみたいだった。
あと同性婚訴訟、「結婚の自由をすべての人に」の訴訟の札幌での判決が出て、それが「実質的な勝訴」だったことになんだかすごく感動した。わたしは婚姻制度自体にいろんな否定的な気持ちがあるので、ゆくゆくは異性婚も同性婚もない世界がいいなあひとりで生きていくので経済的にみんなじゅうぶんがいいよなっておもってるけど、「異性婚はあるけど同性婚はない社会」ってのはやっぱ嫌じゃん。それをみんなが「社会ってそういうものだから」って納得させようとしてくるところとかもさ。「それは差別だよ」っておもって大丈夫だったんだね、「そういうものだから」ってじぶんを無理に納得させなくても。でもこの「実質的な勝訴」に、じぶんがこんなにうれしくなるとはおもってなくてびっくりした。よく考えると「同性婚がない」社会におもってた以上に傷ついていたのだなあって振り返ったりもした。たとえば、二次創作BL読むの好きなんだけどさ、よく「同性同士で恋愛する物語」を盛り上げるための要素みたいに「同性同士では結婚できない=幸せになれない」が出てくるんだよね。「それでもいい、そんなことで幸せは決まらない」ってなるのがだいたいなんだけど、でもそういう「幸せ」のありかたが示されるたびに、「う……」て暗い気持ちになってた。異性と結婚することをしないだろう者としてね。「う……」てなるとき確かに感情を揺さぶられてはいるので、それがフィクションの力のように感じられてたこともあったのだけど、でも単純に現実の傷つきを傷つき直してるだけだったみたいね。創作百合として「異性愛者に恋をして涙ながらにあきらめるレズビアン」的なものががバズるのをながめるときもそういう複雑な気持ちになったものだった。現実が変わって、フィクションが完全にフィクションになるか、フィクションも変わるかしたらうれしいよね。
ネトフリで見た韓国ドラマは「Sweet Home」。パニック系のホラーで、姉とキャーキャー言いながら見て最終回を迎えたら全然終わってなくて、でもシーズン2の発表もなくて「これが海外ドラマ……」と呆然とした。「ツインスター・サイクロン・ランナウェイ」と「ピエタとトランジ」という家父長制破壊の百合を立て続けに読んだりもした。美容院には1年以上ぶりに行って、ドキドキしながら髪型カタログの中から男性のしてる髪型を選んだけど、「女性らしさが残るようにしますね」みたいなことひとことも言わずにきっぱり短くしてもらえてうれしかった。献血では血液バッグストラップをもらってうれしかった。ストラップねらいで400ml献血可能になった瞬間に献血予約したんだけど、実はもう1日待ってれば献血カートミカももらえてたと気づいたときはちょっとショックだった。
こう挙げてみるとなかなかいい月だったような気もしてくるね。
でも書きませんかと誘ってもらって書けなかったようなことがあって落胆した。意思のある抜け殻になったような気分でさ、中身はもういなくて、中身を慕ってくれていたひとに書かないかと誘ってもらい、でも抜け殻だから書けなくて、もういない中身のふりをし続けている、みたいなかんじがある。って書くとなんかエモいね。いま日記をこうやって書いてるけど、夢日記を書くみたいに、無から文字をとりだして並べてるようなかんじがあって、もうちょっと頭のなかに文字があって書いてた気がする、その状態に戻りたい。2月の日記に書き忘れたけど、「ねむらない樹 vol.6」に短歌の連作を載せてもらっていて、2月はその発売日だった。連作は去年の冬につくったのだけど、なかなかつくれなくて全部折句になった。でも短歌がつくれないってなるのはもう何回もやってて、慣れたから、まあ大丈夫だろうって気がするし、同じように散文も思い出すとおもう。