見出し画像

次席の言葉

次席みたいなとこまで行くのって初めてなんだけど、次席だと知ったとき別にうれしいってならなかったのはまあ当然よなと思ったから。でも選評を読んで30首抄の選歌を見て、すごくうれしくなっちゃった。うれしい。うれしい……!
何の次席かというと「第11回 現代短歌社賞」の次席です。受賞作が歌集になる賞で、300首を章立てして応募する賞です。「未発表・既発表は問いません」というのも特徴的だな。
短歌の連作の賞に応募するってことをやり始めてもう10年以上経つけれど、この賞に出すのは初めてでした。300首も用意する自信がなかったのもあるし、「新人賞」がとりたかったのだ。かっこいい連作で新人賞をとって、かっこいい受賞の言葉を書き、超かっこいい受賞後第一作を発表する。夢じゃんね。でも今年この賞に出したのは、ちょうど選考委員の切り替わる年で、新しい選考委員のなかに平岡さんがいたからです。
平岡直子さんは短歌の先輩で、好きな歌人で、一緒に鍋をしたりする友だち。友だちの選考する賞に応募するって……?という戸惑いはないわけではないけれど、そこは友だちの公正さを信頼しているので。それで本当は、天才的な300首、それもすべて未発表!を応募し、座談会まで残り、蓋を開けたら「これってちせだったの? ちせっぽい歌だなあとは思ったけど、全然見たことない歌ばっかりじゃん」ってびっくりされたかったのだよね。でも歌集にするのかと思うと悩むところがいっぱいあって、気づいたら締め切りも近く、最終的には既発表作のきらきら詰め合わせのようなかたちになった。折句も入れたし、どう読まれるか不安になるような歌も入れた。
歌をつくることが。違うな。歌を発表することが不安になったのはいつからだっけ。
早く賞をとりたかったし早く歌集を出したかったって思うようになってからもだいぶ経った。賞をとりたいとか歌集を出したいというのは自分の場合単なる名誉欲で実にくだらんのだけどそれは置いておいて、なんで「もっと早く」そうしたかったかって、不安になる前にそうしてしまいたかったのだ。
歌を作り始めたときとてもとても楽しかった。始めたばかりで、まだ他の才能にぶちあたってショックを受ける経験も少なかったし、短歌というもの自体が積み重ねてきた時間に圧倒されるってことも知らなかった。それにさ、ただただ頭のなかに池の水みたいにまだ作ってない歌があふれててそれをコップについでいくのはそりゃ楽しいよね。
ってのもある。
でも、何より、今みたいに不安には、ならなかった。
不安っていうのは「この歌を発表することはほとんどカミングアウトではないかな」という不安だ。しかも最初、この不安について、歌と自分を同一視されることへの不安だと自分自身誤解していた。自分の力だけでふりはらえると思っていた。気にしなければいいんだって。どんな立場のひとだってその不安はあるでしょうって。
そうかな?
(ずっとひとりで「ああ気にしすぎてしまうな……」てくよくよしてたのだけど、この不安についてめちゃくちゃ遠回りだけど友だちに話してみる機会にめぐまれた。「それは考えすぎだ」って意味のことを言われて、(マイノリティとしての葛藤に「考えすぎ」ってあんまりよくない働きをすることのほうが多いとおもうからもろ刃のつるぎですが、でも私と友だちとの関係にはとりあえず私の側には安心があるのでね)「やっぱりこれは本当に〈考えすぎ〉」で、つまり「こんなに考えずに済む人生もあるんだ」ってことを思ったのだよね。)
この不安は、もっと言うと、「レズビアンだと〈バレ〉て、作者自身が奇異の目を向けられるかもしれない」「世間にあるくだらないステロタイプのレズビアン像のなかでしか読まれない不幸を歌たちに課してしまうかもしれない」って不安なわけです。
自分の力でどうにかできるか?
「もし受賞したりしたら気心の知れた友だちには知らせたいけど、インターネットのひとにはイエーイって言いたいけど、たとえば職場のひとに知られたら?(※私は社会的にはクローゼットの人間です)」
うーん……。
「もしこういう歌で歌集を出して広く読まれて、自分自身でそれを自分の才能や努力だと納得できるだろうか。差別される側に立っている〈弱さ〉を武器にした(嫌な言い回しだよマジで)と自分ですら思ってしまうんじゃないか」
どうでしょうね……。
とかさ、こういう不安に掴まる前にシュートを決めておきたかった。
不安に掴まってしまったら、その前には戻れなくなった。自分にとって「発表しても大丈夫」と思う歌を作るときも、逆の側から「でもここは本当には大丈夫な遊び場ではないかもしれない」ってことを意識せざるをえませんでした。まずは大丈夫な遊び場をつくること、私のようなのもここにいますぜって知らしめることをしなくちゃいけないんじゃないの……?(そんなことしなくてよくなってから生まれたかったが)
「まず天才的かつ〈そういうふうではない〉連作で受賞し、受賞後第一作でぶちかます……」とかの計画を思いつくけど、なかなかうまくいかないし、自分にとってこの立場にあるってのは自然で当たり前なことで、自分のことを書かなくったって、自分にとっての自然な人物をフィクションに描くのはふつうのことだよね、ふつうのことだもん、やっちゃうよ。
それでさじ加減をわからないなあと思いながら新人賞に応募するのを続けて、なかなか箸にも棒にもで、でも続けてるだけでえらいよとか、続けてるだけでえらいなんて悔しすぎるよ……とかを繰り返してきました。
でも現代短歌社賞に応募する300首に、不安になる歌も入れたのは、300という必要な数の多さからの要請でもなく、さじ加減の研究結果でもなく、選考委員への信頼です。とくに平岡さんと北山さん。大丈夫な遊び場は、世間とかのでかいところでなく、小さいところにはすでにある。誌面に載ってしまうことになっても、座談会と一緒の掲載であることは知っています。安心できる選考委員のフィルタ越しになら、まあ、いいんじゃないんでしょうか?既発表作を出すと決めたからにはもう誰の作かはわかるだろうし、ほとんど私の夢を知ってるようなひとに審査させてしまうことへの心苦しさはあったけど、読まれたい欲望のほうが大きかったな。
それで次席で、今までの歌のいいやつを並べたんだから当然じゃん受賞ではなかったんだね、ていうかんじだった。けど選評を見たら、なんか、想像以上だった。突っ込みたいところがないわけではないけど、それも楽しかった。思ったように読まれることも、思わないように読まれることも、びっくりされることも、私にとっての創作をする楽しみだと心底思う。
受賞ではないことは、全然悔しくない。
猶予ができたと思いました。
早く受賞しなくて、不安になる前に歌集を出せてしまえなくてよかった。
もっと戦えると思いました。自分で自分の戦い方を決められる。私は。
私の夢とか野望をたぶん少しでもわかってくれていながら、たぶん覚悟みたいなものを察しながら、作品だけに向き合ってくれたこと、覚悟にトロフィーを持たせるようなことを決してせずにいてくれたこと、、本当に感謝します。短歌を続けます。

*『現代短歌 2024年1月号』で応募作「脱出の最中」300首のうち30首抄や選考座談会が読めます