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恐山に行ったときのこと、あるいはわたしたちの日記

●女優にもなれざりしかば冬沼にかもめ撃たるる音聴きており「テーブルの上の荒野」

 もうだめだとおもって安いバスを探して青森に行った。夜に出て朝に着く。野辺地でバスを降りる。わたしは恐山に行く。恐山は灰色と硫黄のにおいに満ちている。硫黄のにおい。『かもめ』の劇中劇をおもいだす。人もライオンも、鷲も雷鳥も、角ある鹿も鵞鳥も蜘蛛も、水の中に棲む物言わぬ魚たちも、海に棲むヒトデも、人の眼でとらえることのできぬものも──つまり、生きとし生けるものすべてはそのはかなき命の経巡りを終え、消え失せた……。灰色の空と灰色の地面のあいだで色鮮やかな風車たちがまわっていた。わたしはまだ『かもめ』の舞台を見たことがない。映画なら見た。わたしたちはクロード・ミレール監督の『リリィ』を見た。現代のフランスの田舎を舞台とする『かもめ』の翻案だ。どうだったと訊くと、「外国人にも童顔の子っているんだね。かわいかった」と片方が答えた。わたしはこの映画の物語の現在(それはわたしたちの現在によく似ている)の持つ過去にはチェーホフはいなかったのだろうかと不思議におもった。それともチェーホフはいて、そのチェーホフもやはり『かもめ』を書いた、そしてその物語とまったくおなじようなできごとが、呪いのように、このフランスでも起こっているのかもしれない。映画が言ったのはただ別のバージョンの『かもめ』だったけど、言われなかった、別のバージョンの過去たちのことが心に灯った、それがなんだかとてもおもしろかった。そういうことが好きだとおもった。
 恐山はわたしたちの好きな映画の舞台だった。
 春に大きな地震があった。わたしたちの片方は神戸にいて、もう片方が東京にいた。わたしの妹は、そのとき東京に暮らしていたのだ。テレビにはずっといろんなニュースが流れていた。よくわからないけどとりあえず窓も換気扇も閉めました、と妹は家族みんなに宛てたメールで言う。コンビニもスーパーも売り切れだらけです、どこにも電池が売っていません。
 ほとんどおなじ遺伝子を持った姉妹がこうやって離れて暮らす。これからの日々はきっとなにかの実験みたいだなとおもった。たぶん妹もそうおもっていた。そして不謹慎な実験の結果を待たずに妹はじぶんから実験場を降りてしまった。
 それはほんとうにわたしではないもう片方、妹のほうだっただろうか、となんどもおもう。わたしたちは双子だった。お互いの持つ身体や言葉の多くが似ており、錯覚としてだったけれど、入れ替え可能であることに気づいていた。


●つばくろが帰り来してふ噓をつきに隣町までゆくおとうとよ「家出節」

 安いバスを探して青森に行った。ipodに入れた映画『田園に死す』のサウンドトラックをききながら恐山の灰色のなかを歩いた。生きとし生けるものすべてはそのはかなき命の経巡りを終え、消え失せた。わたしの他にもひとりで歩く女のひとが数人いて、そのうちのひとりにシャッター押してくれませんかと頼まれた。知らないひとの笑顔と崩れかけの地蔵の写真を撮った。お返しに撮りましょうかと訊かれたけれど断った。わたしはいつかわたしの顔の写った写真を妹の写った心霊写真に読み違えるだろうとおもった。そういうのはよくない。
 嘘に対することができるようなほんとうを、わたしたちはほんとうに持っているのだろうか。歩いた恐山は寺山の映画のなかの恐山とおなじ色をしていた。わたしは寺山修司に憧れる。寺山をかっこいい嘘つきだとおもうからだ。ちがう。そうやって寺山に憧れたのは妹だ。
 わたしは妹喪失以後、妹の使っていた名前で短歌をし始めた。妹とわたしはたった4分違いで生まれ、だいたいおなじような顔と身体を持ち、大学入学に合わせて離ればなれになるまではだいたいおなじものを食べおなじ物語を読んで育った。だから、その短歌をつくったのがどちらであっても、そんなに変わりはないだろう。また、わたしの手元には妹がつくった未発表の短歌が残されている。
 短歌ではその短歌のなかの主体と作者はおんなじひとだってされることが多いんだよと妹に習った。そういうことにするちからの正体をわたしはまだわかっていないのだけれど、そのちからがあるとして、短歌があって、そのなかに主体が生きていて、その短歌の作者の名前が妹であるなら、そのちからを信仰する読者たちのなかで、妹はいるのとおなじになるのかなと考える。じっさいにその短歌のいくつかは妹の短歌そのままだし、妹の短歌をもとにつくった短歌もたくさんある。


●叔母はわが人生の脇役ならん手のハンカチに夏陽たまれる「チエホフ祭」

 恐山の地獄を見てまわる。血の池の血はさいきん枯れかけとのことできれいに澄んでいた。つぎのバスまでは時間がある。来た道をいちど戻る。これは逆順に歩いていい道なのかと少し不安になった。いちど地獄で産まれ直したのに、また産まれ直りの以前まで戻って、産まれ直り直る。昼が近づき、団体客の姿も見え始めて、極楽浜で楽しそうに記念写真を撮る老人たち。シャッターを切る老婦人の顔も笑っている。すてきだ。
 二度目をめぐり終わってもまだ時間があったので、まずおみくじを引いた。大吉だった。なんでもうまくいくよってことが書いてあった。つぎに温泉に入った。小さい小屋は男用と女用のふたつある。女用のほうに入る。何分以上浸かるとよくないです、とか、必ず風通しのある状態で入浴しましょう、の注意書きがあって、どきどきする。窓の外はふつうに人通りのある恐山なので、豪快に開け放つわけにもゆかず、少しの隙間をつくる。窓の隙間から見える景色を死者が通るのだという噂をインターネットで読んだ。ぼんやりと隙間を見張りながら濁った湯に数分浸かった。湯からあがると肌から硫黄のにおいがした。これは帰りのバスで隣のひとに申し訳ないぞとあわてる。でも恐山のいちぶになったようでおもしろくもあった。わたしたちにとって恐山は映画や歌集のなかの土地だったから、このときわたしが映画や歌集の噓のいちぶになったようで、おもしろかった。
 窓の外には誰も通らなかった。


●何撃ちてきし銃なるとも硝煙を嗅ぎつつ帰る男をねたむ「祖国喪失」

 わたしだって寺山に憧れていたのだ。妹だけじゃない、わたしだって嘘つきに憧れていた。
 寺山の連作の主人公たちはそれぞれの境遇と物語を持って言葉のなかに生きている。だけどみんなそろって寺山に切り貼りされた言葉につくられてもいる。短歌のなかの視線や感情からの逆算に浮かぶ顔としてではなく、短歌に向けられる作為として浮かびあがる作者像。また、その顔と作為、ふたつのずれから生まれる、読者にとって彼が噓つきであることの可能性(彼には短歌の実作のほかにも騙る場があったのだから、なおさら)で、寺山はじぶん自身を虚飾したのだ、とおもっている。読者の想像力を翼にして、きっとじぶんの想像力よりも高く飛んでいった。
 寺山の嘘つきとしてのパフォーマンスや、寺山の短歌たちに通底する作為のことが好きだとおもった。でもそうでなく、そうやって噓をつかなければ生きられなかった寺山のほんとうの悲しみ、の錯覚が好きなのかもしれない、とときどきおもう。もちろんその悲しみだって寺山の演出のうちだと感じている。だけど悲しみに魅かれる気持ちは悲しい。悲しみなんてないほうがいいし、誰も死なないほうがいい。


●だれの悪霊なりしや吊られし外套の前すぐるときいきなりさむし「冬の斧」

 物語に終わりがあることとひとが死ぬことって、なにか関係があるのだろうか。
 物語がないときも、ひとは死んだだろうか。


●兄弟として憎みつつ窓二つ向きあえりその他は冬田「老年物語」

 妹がむかしのことをおもいだして「世界の終わりみたいな流れ星を見たことがある」と言ったことがある。赤く燃える大きな星が海に落ちて、夜なのに空がオレンジ色で明るくて、もうダメだとおもった、でも生きてた、なんとなく誰にも言ってはいけない気がして、黙っていた。でも、わたしもまた、おなじ夜に明るいオレンジの空を見たのだった。「あれは雷だったよ」とわたしは言った。「そう」と妹はつまらなさそうに応えた。


●帆やランプ小鳥それらの滅びたる月日が貧しきわれを生かしむ「季節が僕を連れ去ったあとに」

 それはほんとうに妹のほうだっただろうか、となんどもおもう。
 わたしの妹はわたしのロミイじゃない。
 こうやって妹の存在(または不在)を仮構して、わたしはなにをしたいのだろう。こんな告白をすることで、みなさんは、妹の(わたしの)歌そのものよりもきっと、片方を失った双子が失われた片方として創作をする、そういうことの悲しみに魅かれるだろうとおもう。もしくはこれがまったくほんとうでない、噓のことがらだったとして、そんな噓を披露することの痛快さをよろこんでくれるかもしれない。また、その影にほんとうに失われたなにかを予想して、書かれもしなかったそのほんとうの悲しみらしきものを悲しんでくれるのかもしれない。
 ほんとうのことがあるなら、それはひとつしかないのだろうか。ほんとうのこと、と過去は似てる。過去もひとつしかあり得ないのか。わたしと妹の記憶はたびたび食い違った。じぶんの記憶が正統だとお互いに主張したけれど、どこかで正統なんてつまらなかった。どちらかが噓で、どちらかがほんとう、なのはよくない。寺山が嘘つきだったことの証明みたいに使われるときの寺山の母が切なかった。彼らもまたかわいそうに平凡な双子だという気さえした。
 いいえ、どれも正解だ。どんなほんとうだってあり得た。きっとどんな過去だって起こった。


●かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭「子守唄」

 みんなほんとうとも噓ともつかない暗闇に光っていろとおもう。あるいはそれらの光に照らされてやっと現れるまったく他人の姿こそがほんとうなのかもしれない。


●一人死ねば一つ小唄が殖えるのみサボテン唸り咲きてよき町「血」

 下山してからもずいぶん余裕があったので、電車に乗り、降りて、タクシーを捕まえて、寺山修司記念館に行った。閉館まであと一時間ですがよろしいですかと訊かれた。かまいません。館内には引き出しのある机がいくつも並んでいた。展示物はその引き出しのなかにある。展示を見終わったらきちんと閉めておいでくださいと説明された。机を一通り見終えると庭に出た。木々やトンボ、湖を見た。石でできた飛行機の模型、本、犬を写真に撮った。閉め忘れた引き出しのことをおもいだしたとき、記念館は燃え始めた。振り向くと夜なのに空が明るいオレンジだった。蛍から机に、机から建物に、火が移ってしまったのだった。ちょうど迎えに来てくれたタクシーの運転手が、呆然と火柱を見つめていた。ぜんぶ噓だから大丈夫ですと言ってわたしはタクシーに乗り込む。三〇〇〇円かけて駅まで戻る。電車に乗って、野辺地まで戻る。青い森鉄道と書かれた切符を買って、はじめ、なんて素敵な名前なんだろうとおもった。これは単に青森だったのだな、とこのとき気づいた。さっきめちゃ素敵だって書いて切符の写メ送ったけどあれじっさいはただの青森だったよ、と姉にメールを送る。双子の姉はつまらなさそうに、知ってた、と返信をくれた。

※短歌はすべて寺山修司『寺山修司青春歌集』(2005年、角川書店)からの引用です。また、文中にチェーホフ『かもめ』(浦雅春訳、2010年、岩波書店)からの引用があります。

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2014年11月発行の短歌の同人誌「率」7号に寄稿した散文です。