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日常の記録より:非生産的な独りごと

昨夜、浴槽の窓から月を見ていた。ちょうどよく見える時間帯だったよう。
こんなことが浮かんでいた。

この月を、ヨハネもベーメも、ベルジャーエフも見ていたんだな。
今見ているのと同じ月が、何千年前にも夜空に現れていて、ずっと。
イエス様も、この月をご覧になっておられていたのだ。
それはすごく不思議に感じると同時に、すごい事に思えて、見上げられていた光景を想像しながら、自分も暫く月を見つめた。
同じ月、一つしかない月。
この月の光は、また一つしかない太陽の光。空も、水星も金星も一つ。

キリストへの愛は…キリストが私を愛して下さるので、その愛が私に乗り移るので、私はキリストを愛することができるんだな。

いまや「愛」という単語は私にとって、特別なものになってしまった。
月並みで使い古されたような響きだったものが、私にとっては特別なものを指すようになって。
愛、と聞くと、振り向きたくなる。
それは私にとって、無条件の愛を指すから。
十字架を見つけると、ただ、じっと見つめていたくなるのと似ている。
十字架は私にとって、キリストを指すのだろう。

少しの間、目を閉じてそんなことを思っていた。ふと月を見上げると、いつしか雲の覆いが去っていて、月の周りに光の線が見えた。十字架みたいだなと思った。
何かに似ている。#2のイシスが手を広げているみたいなんだ。
網戸越しに見えるのが、ヴェールのよう。一方自分はハングドマンみたい。

6本の光はティファレト、愛の応答が顕れているように思いました。

悪魔はキリストを死に追いやることに成功した。
でも悪魔には、復活の力、生命という力を持たない。死の力しか有しない。
死までで終わり。
キリストは、死で終わらなかった。
父なる神の愛によって、死から生命へと復活された。

昨日のデイリーは①Cups 8 ②Wands 10 ③#19 The Sunでした。

Cups 8、本には「"生かされている"ということが光」という、師の講義での言葉が書きこんである。
朝、示されたカードを見て、自分のやっていることは確かに何の役にも立たないなと思った。だからダメとかでなく、ただ実に生産性と対照的である。と納得する。
ここ(note)でも、書いていることはますます異様で、師以外、ほぼ誰にも伝わらないだろう(師でも「?」なことがあるかもしれません)。


私という仮象の存在は Wands 10、そして、世に対しても、非生産的な自分という側面でも Wands 10 で申し訳ないけれど、構わない。#19 The Sun 、とくに双子をみていて、生きている姿勢において、自分の意志は放棄し、この光に委ねることへの確証をますます感じました。
私にはCups 8 の光があれば生きていける。この光だけが、仮象の私の向こう側にある世界を見せて下さる。そこには絶対的な信頼がある。
障害のカードも「愛」に変わっていってます。

お風呂から出たあと、デイリーを振り返っていて、裸で月に向かっていた自分は、Cups 8そのものだったように思いました。
Wands 10、現実に映ることは一見まともなようで、実際には#2 The Priestessの見かけの豊かさや虚偽の価値観が織り込まれている。ヴェールのようにこの道にとっては仮象。だから相克の障害、この世では矛盾していることも、宇宙的には逆説的にそれで結構、それは日常でもたらされる#12 The Hanged Man的な気づきです。
月の光は、太陽の光が放射されているもの。いろんなことを示されていますが、#19 The Sunの異世の物質化のことを思いました。「生かされている」という太陽の光が真実のものである。
象徴はこのような形でも符合するのだと、タロットの自由な創造性に触れた夜でした。

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