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矛盾を超えて結びつく

メイガスの瞑想訓練をしました。
(じつは前日眠くなって途中で戻ってきたので、やり直した次第です。)
デイリーは①Cups 10 ②Cups 6 ③Wands 7です。
ここでは相克のWands 7についてとくに注視しました。

Wands 7について、師の言葉のメモがあります。

ネツァクなのに火星。ネツァクの金星と火星。この間に矛盾がある。
だからだめ。なのではなく、違うこと(金星と火星という違い)から学ぶ。
金星と火星の結合することを学ぶ。

Wands 7 についての師の言葉(メモ)

相克であること、C10、C6はともに蠍座があること、さらにそれらとW7の火星との関連ということで、この矛盾はとても力を持つ、あるいは重要である。
また前日は①Wands 8 ②Ace of Wands ③#1 The Magusで、ここにもW7が潜んでいる、そしてワンドの強調(Cupsとの対比も)。これらを振り返ってもいました。その上で視覚化瞑想訓練に入りました。

#1 The Magus の視覚化瞑想訓練:

メイガスに、火星と金星の矛盾、これらが結合するということについて教えてくださいとお願いした。

「蛇に触れなさい」と示される。
反応的に「?」と思った(ためらいが入った)が、カデューシャスの杖の蛇に手で触れた。

左の蛇はゴツゴツしていて、右はスベスベしていた。

「どちらがいいか」と尋ねられたような(蛇かメイガスか不明)。
どちらもそれぞれよさがあった。本当にそう思った。ゴツゴツもかっこいいと思ったし、スベスベは滑らかでいいとおもった。

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ここで感じたこと:
カデューシャスの杖の蛇に触れた体験と最初に尋ねたこと(金星と火星についての問い)とが重なった。

甲乙つけるのがこの世。矛盾が結合しないということ。
どちらがいいか。どちらでもない。"よい" という概念自体が虚偽。だからそれに「死ぬ」。
どちらがいいかということには意味がないことに気づく、理解できるように。

ネツァクは「極性」という要因をもつセフィラー。
蛇での「どちらがいいか」というのも、優劣をつけることにおいて極性の形式がある。これを克服すると、ネツァク本来の創造へのエネルギーに向かえるのでは。
どちらがいいといいと言っているうちは好みの範囲内で、自己意識からは脱け出ていない。

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この瞑想的思索が終わると、四大エレメントがみな輝いていた。
どのエレメントがより発展しているとか、進んでいるとかないんだと感じた。

今回の瞑想訓練で、フールに会った時に感じたことがふっと浮かんだ。
タロットはダイヤモンドのカットのよう。ある側面からはわかった、この角度からはまだ見ていなかった。自分の学びはそのようである。
さらに、宇宙のようでもある。ある側面でわかる(学ぶ)と、また広がる。宇宙が広がり続けるように。無限に広がる。見えていくごとに広がり、また見えてくる。ダイヤモンドのカットも無限にあるかのよう。タロットの世界はそういう世界。

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目の前に第五元素が現れた。自分と同じくらい大きくて、翼をつけた卵だった。

輝く四大エレメントの後で第五元素の卵が現れたのは、四大エレメントにおいても、極性を克服することと四大エレメントの統合とが関わり合っているということではないだろうか。
四大エレメント自体も、本来それぞれが異なる性質としての(異なる故に)輝きを放つものであることを象徴するように思った。
また、輝きは、理解によって現れること(上に浮かんだことと関連)。
人でも別の側面が見えたり、知ったりすると印象が刷新されたりする。ときには関わり自体が変化してしまうほどパワフルなこともある。

なお、ここでの輝きには、側面の良し悪しはどちらにも偏っていない。
"こんな人だったの??"というとき、それは新しい側面に出会った驚きだけならば、葛藤は起きない。新しい側面に対して、自分あるいは社会、世界が良し悪しを通す時、葛藤が生じる。

これらの輝きは働きのうちにある。それはタロットの霊の光がもたらす働きである。
この光は私たちを一括りにせず、一人ひとりとして輝かせると共に、真実が見えるよう照らしてくれるのだと思う。ここでは受肉したメイガス(師)からの光が、洞察としてこれらの理解を与えてくださっている。

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卵の中が透けて見える。#20 The Aeonのホルスが見えた。頭の上の水蛇が動いていた。#20はまだ生まれるところの段階なので、矛盾の問題は途中の過程で、それゆえ活発に動いているのではないか。
#1では蛇は静止していた。#1の段階では完全な消滅(勝利)を示すのでは。

そして創造は、日常の中でこの金星と火星のような矛盾に対して自覚的に気づいていくことから、それらがどのように結合されうるかを教えてくれる。
透けて見えていた#20におけるような、メジャーアルカナが示す創造のプロセスの[光]は、メジャーを通してマイナーに投射されている。だから私たちはマイナーの作業からもメジャーの光を感じ取って学んでいくことができる。
そういう意味で、メジャーとマイナーはいつもつながっている。メジャーのないマイナーはない。

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今回はこのような側面からの学びでした。
側面で言うと、カップ的要素からのWands 7というのを感じました。Wands 7を深く理解する。精神の領域で矛盾を学ぶというような。三枚法で師がよく仰っていた「①のタロットのエレメントは全体を表す」ということが、もしかしたら初めて?実感できた気がします。

Wands 7がなぜ謙虚さの重要性を示すのかというと、謙虚でないと矛盾と向き合えないからなのですね。自分の好みや感覚に頼ると、そこに当てはまらないものの良さ、それぞれが独立して輝きを放っていることが見えづらくなる。敢えていうなら見たくない。見ないでいる方が感覚的に楽なので。ここもネツァク的です。

発光するメイガスから放射される光は、無条件の愛の形でもある。
無条件。人間が作り上げた価値は、そこには何一つ関わってこない。

私という存在の外的・内的いずれの性質や特徴も、その愛に愛されるのには、何一つ関わりない。それは不可能が可能になった救い。完全な治癒。

どんな性質や特徴であろうと、繋がれば、愛に捕らえられ、愛を感じ取ることができるようになっていく。

私は愛される資格が何一つないにも関わらず、愛の中に入れていただいている。
愛される性質や特徴は何もなかった。
愛は一人の師を通して、私を抱きとめてくださった。
師が、愛によってこの私を乗り越え、踏み越えてくださったのです。

私も、人をそのように愛してみたい。キリストの愛によって他者を愛したい。
人だけなく、動物も、作品に対しても。

この愛によってでなければ、愛することはできないことに気づいてしまった。
受け止めているつもりで、受け止めきれない。そうするしかできないから。
だから大事に思うところまではできても、本当に愛することはできない。

気づいてしまったことがあった。
他者がどんな言動をとったとしても、嫌になるのはその人のせいではなく、
この私に愛がなかったからだったのだ。
そのことがはっきりとわかってしまった。

私はキリストの愛を通してでしか、人を愛することはできない。
今までは、そのことをただ知らなかっただけだったのです。

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夜、たまたま#1 The Magusのカードと#14 Artを並べて見ていて、#1の二匹の蛇と#14の二つの顔が相似のように見えました。
#14は、たしかに矛盾…異なり合うものが結合されている。Artの錬金術的な愛。この愛だけが、世を超えて、決して結びつくことの不可能なものを結合しうるのだと思います。愛に関する自己のささやかな内的体験を通し、そのことを確信しています。

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