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他人から見た自分が面白かった

最近、えっ?そうなの?と思ったこと。

内省癖があるからか主観の世界で生きがちで。人から教えてもらった自分では見えていない自分の姿に驚いた。

まめめさんは、子育てされながら男性社会色の濃い会社で他の方々と対等に仕事されようと考えてらっしゃるんですね。

えっ?そうなの?である。

たったその一言で、私の見えてない自分の姿に輪郭がくっきりと描かれた。こういうのを他己分析というのね。なるほど。

なかなか人から自分の姿を語ってもらう経験がないので新鮮だった。

振り返って考えると、今までだって機会は沢山あったのだろう。だとしても、自分側に受け入れる態勢が整ってないからスルーしがちだったのかもしれない。聞く耳を持たないというのは、まさにこれをいうのかと。

今回に至ってはなぜ聞く耳を持ったかと言うと、まぁ、そう言う場だったからなのである。相手の言葉が私にきちんと届いた理由は、聞く姿勢があったから。ただそれだけの理由だった。

せっかくなので他人からよく言われる一言をふと思い返してみる。

無理しなくていいだとか、今はお子さんが小さいからだとか、もっと大らかにのんびりとだとか。

ふーん。

わたし、無理してるのね。背伸びしてるのね。生き急いで焦ってる・・?

ふむふむ。面白い。

この感覚をぜひ共有できたらとと思い、今回記事にしてみたのだった。

家族から、同僚から、知人からの何気ない自分へのフィードバックに多少、耳を傾けてみようかなと。取捨選択しそうだけど。そう思えた出来事だった。

主観ばっかりでじぶんの足元ばかり見て生きてきたことにようやく気づいて、立ち止まって周りをみたら、景色が広がっていた。大袈裟だけどそんな気がした。

気づかない自分の一面に気づけて良かった。一言をくれた方、気づかせてくれてありがとう。

人から自分がどう見えるか、他人からの評価を気にしてる割には、聞く耳持たないっておかしな話だなと気づく。相手のことを、信用していないからなのか。だったらひどい話だ。せっかく言ってくれてるのに。そこらへんの理由はまたしっかり考えたい。


話が逸れてしまうのだけれど、子どもが私の言葉をスルーする気持ちも分からないでもない。呼んでも返事してくれない子ども達も、聞く耳の準備ができてないのかもしれない。場を作ることが必要なのかもしれない。たぶん保育園だと、音楽に合わせて場を整えたり、子どもとの呼びかけ合いの遊びで場を切り替えたりしているから、応用してみよう。


さて、話は戻って、これ見よがしではあるけれど、自分へのフィードバックをもう少し拾ってみようと思う。断片的な私の一面かもしれないけれど、そんな風に見えるんだ、そう言うところあるかも、なんて発見を期待して。

いまさら自分探ししてるの?って、笑う声も聞こえてきそうだけれど。自分探しという登山口があっても、まだ登ってなかったのだから仕方がない。どんな風景が広がるか、山登りに似たワクワクを感じる。

人のフィルターを通じた自分を知るのも、たまには悪くない。





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