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1年経った

三寒四温が続くと「あ、もうすぐ春なんだな」と実感するのだが今年は「ハイ冬終わり!」という感じで春になってしまってなんだか情緒が無いなと思う。黄砂警報が出ていたのに自室の窓を少し開けて外出してしまい、帰宅してパソコンのキーボードを打つと表面が少しざらついていた。

自分はすぐマイナス感情に支配されるタイプなので定期的に嬉しかったことを忘れないように書き留めた方がいいのか、それとも清算のために辛かったことを吐き出した方がいいのか…文章を書きたいと感じたときにその方向性にいつも悩んでいる。今日は…特に決めてない。もしかしたら、たまたまこの文章を目にした人が自分の素性に気づいてしまうかもしれないが、あの時の感情に素直に書きたいと思う。


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私はほんの1年前まで京都で絵の修復士として暮らしていた。

ちょうど1年前、新卒入社して4年働いた会社を辞めた。絵の修復士の仕事を辞めた。
きっかけは4年目の夏に、昇級試験について受けた面談だった。自分のいた業界は業界内でのみ通じる資格制度があり、学部卒は4年目で最初の昇級試験を受けられる。
ある日の朝、昇級試験についての面談を行うと会社の偉い人に言われた。自分には行間を読む癖があるので、面談の方向性は多分「今年はあなたに試験は受けさせない」だろうと踏んでいた(その資格制度のルールとして、会社から推薦を貰えないと昇級試験を受けられない仕組みだった)。実際その予想は的中したが、想像よりずっと辛い時間だった。3人の先輩から「今のあなたに足りて無いもの(=あなたが昇級試験を受けられない理由)」について1時間ほど言われ続けた。心身に不調をきたすのでなるべく思い出さないようにしていることもあり、もう具体的に何を言われたかについては忘れつつあるが、「冷めて見えるけどこの仕事が本当に好きなのか?─」とか、「年齢の近い先輩と比較してあなたはここがダメで─」とか、「いい子だけどもっと馬鹿になれ─」とか、そんな感じだったと思う。向こうがパワハラにならないよう気を遣って色々話していたのは伝わったし、かつ指摘自体は論理的に筋が通っていた。こうして抽象化して文章にすると案外大したことなかったような気もする。

ただ、自分の意志で変えられない人格の部分をやる気の欠如のように言われたこと、自分のそれまでの仕事ぶりが全否定されたような気がして強いショックを受けてしまった。「来年こそ昇級試験を受けるぞ!」と奮起する気は全く起きず、自分に強く失望した。丸3年とちょっと、迷惑を沢山かけたし力不足な場面はたくさんあったけど自分なりに必死に仕事に向き合ってきたつもりだった。きっと先輩たちの期待を裏切ってるんだろうなと思いながら。人格否定したかった訳ではないのはもちろん分かっていた。もっと頑張ってほしいからこそ厳しいことを言ってくれたんだと頭では理解していても、心が完全に折れてしまって自分の現状を受け入れられなかった。そんなに自分は役立たずだったんだ。先輩たちみたいな仕事はまだできなくても、静かに周りを見渡して人の見えないところで黙々と努力を重ねる人間でありたい。そんな信念を持った自分を信じて仕事をしていたけど、何も伝わっていなかった。その日は7月の3連休目前、重たい曇り空が広がる木曜日だった。

その日からしばらく、休日に外出すると強迫的な気持ちになるようになった。あれだけ言われたのに遊んでいい身分じゃないだろ、と。
それからもう1つ、課長と副課長はしばしばヒソヒソ話を作業場でする癖があったのだが、それを見かけると自分が悪口を言われていると感じるようになり、動悸や息苦しさを覚えるようになった。
それらの症状は幸い「自分はここではダメだったから転職するぞ!」と割り切ったのもあり1ヶ月ほどで落ち着いたが、この業界で自分が成長して将来活躍する未来を完全に想像できなくなった。

それから5ヶ月ほど経った12月末に上司に辞意を伝えた。年を跨いで1月末まで待たされたが、社長面談で3月31日での退職が正式に決まった。

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と、長くなったがこれが退職の経緯である。

退職してから同年代で転職した人の話を聞くと、案外こざっぱりしている人が多く、中には引いてしまうほどの怨念を前職に抱いている人もいることに驚いた。
なぜなら自分はそれなりに未練を引きずったからだ。学生の頃から憧れていた職業だったことや、長い歴史を持つ会社に愛社精神を抱いていたこと。あとは、自分のやりたい職業像にかなり当てはまる仕事だったからだろうか。
あんな形であれこれ言われなければ…とか、もし続けていたら…とか、必要以上に自分を責めてしまって勿体無い形で退職したことへ思うところは多少なりともある。最終的によく考えた上で自分の意志で退職を決めたので後悔はしていない。社会人として大切なことを厳しく教えてくれた会社には感謝の気持ちでいっぱいである。

一応やりたいことを決めて転職したものの、あまり上手くいかなかった。
自分がずっと憧れていた職業を自分の心の弱さを理由に諦めてしまったことにひどく落ち込んでいて、それに気付かないうちに無理して努力しようとして失敗してしまった。無理して頑張ろうとしたのは、自己表現が下手な自分を勝手に汲み取られて、「本当にこの仕事好きなの?」なんて言葉を2度と他人に投げつけられたくなかったからだ。

今は色々あって、去年の10月から友人の会社で美術品の撮影のバイトをしている。去年の4月に入学した通信制大学では別のことを学んでいるが、将来また転職するつもりで、経験を活かせる職場に勤めながら勉強をすることにした。大きな挫折をしたこと、人生や人間関係で思うようにいかないことが続いて心が荒んで棘が出過ぎてしまったと思う。そんな私の言動で更に色々な人を傷付けた1年で、守りたいものは何も守れなかったし、失ってしまったものの方がずっと多い。もう変われないかもしれないと諦め掛けているが、色々なことを受け入れて穏やかに過ごしたい。



明日は4月1日、月曜日である。
私が社会人になった5年前の4月1日も月曜日だった。
三条寺町の靴屋で買った新品の革靴を履いて安っぽいリクルートスーツを身に付けた23歳の自分は、急な坂道の多い地元の横浜では見たことがない、緩やかな長い上り坂の先に寺院の山門が立ち桜が舞う美しい景色にわくわくしていた。

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