鬼は怠け者の道 ~鬼滅の刃・遊郭編を終えて
鬼滅の刃、遊郭編が終わりました。
鬼滅の刃、遊郭編では、竈門炭治郎と禰豆子と、鬼である妓夫太郎と堕姫が同じ兄妹で対比が注目されました。
炭治郎も鬼との戦いの中で、自分と妓夫太郎を対比し「一歩間違えれば逆の立場になっていたかもしれない」と考えます。
テレビアニメ「鬼滅の刃」遊郭編エンディングテーマであるAimer「朝が来る」の中にも、2つの道の対比について触れています。
何かことが起きたときに
やさしい道と困難な道の選択肢が2つあったら
どちらを選ぶでしょうか
『私は、人生の岐路に立った時、いつも困難なほうの道を選んできた。』
芸術家の岡本太郎さんが残した言葉です。
岡本太郎さんはそうかもしれないけど…
いつもリスクをとって困難の道を選ぶことはできるでしょうか。
そんなことはしないようにと教えられてきたのではないでしょうか。
なぜ大人は「リスクを取れ」と教えてくれないのか
自分だけでなく、私たち大人は、子どもに対してリスクを取れと言えるだろうか。
リスクや困難というと、とてつもなく危険なことに思うかもしれません。
そうした思考が「リスクを取れ」「困難な道をいけ」とは言えない背景にあるのではないでしょうか。
困難に挑むとは「心の声を聞き、声に従い行動すること」
困難とは、そのひとが乗り越えるべき試練であるのなら、
それを乗り越えるために生まれて来たとも言えるのであるのなら
実は避けてはいけない問題なのかもしれません。
しかし乗り越えるべき試練かどうかを判断するのは自分以外にはありません。
判断するには、心の声を聞く必要があります。
声に従い、行動することこそが
(超えるべき)困難に挑むということなのではないでしょうか。
人はなぜ生きるのかということにもかかわる話ですね。
他人を支配し自分は楽して生きるというのがゴールである西洋的な考えもあるでしょう。困難に挑むことを考えず、とりあえず楽な方ばかりに傾くまたは楽なステージへいくために生きるのも人生でしょう。
これはなかなか大変なテーマで自分を省みて考えさせられるテーマです。
少なくとも、自分の心の声を捉えられるようにしておく必要があると思います。
わかりやすければいいのか
分かりやすさをうたうメディアが跋扈し、便利さを売りにする製品が売れる時代においては、人生において何が重要かが見失われがちにならないでしょうか。そんな社会では、芸術を観る力を含め、判断をする能力が衰えてきてはないでしょうか。
能楽師の辰巳満次郎さんは、能の魅力についてこう教えてくれます。
触れた芸術の隙間をうめる人間の持つ想像力、創造力が豊かに花開いていくことが、芸術を深め理解していくことだということです。
鬼は怠け者の道
心の声を聞くことは楽ではないかもしれない。特にそういう教育を受けてこなかった人にとっては大変なことなのかもしれません。でも人間固有の能力、人間の美しさを感じ、根源を感じることを放棄するのは、人間としての道を放棄することなのではないでしょうか。
鬼滅の刃・遊郭編を終えて、改めて自分の中の「鬼」と対峙、まさに鬼タイジしてます。
※追記)この記事は鬼滅の刃・遊郭編10話が終わったあとに書き始めていたのですが、なかなかまとまらず、11話が終わったあとの「吉原の遊郭の今」のあとにやっと書くことができました。
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