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自然をたたえる春分の日
昨日(2022年3月21日)は春分の日でした。
春分の日は、日本大百科全書によると「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日です。
「自然をたたえ、生物をいつくしむ」趣旨の国民の祝日。
毎年3月21日ごろ。太陽が黄経0度の春分点を通過する日で、真東から出、真西に沈む。昼夜の時間がほぼ等しく、二十四節気の一つ。
春の彼岸(ひがん)の中日にもあたる。宮中では春季皇霊祭がこの日行われ、1948年(昭和23)国民の祝日となる前は、同名の国の祭日であった。
太陽が真東から真西に進む日
春分の日の3月21日は、太陽が真東からのぼり、真西に沈む日です。
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自然のあらゆるところに神様を見出す日本人は、自然とともに生きていました。自然とともに生きていた古代の日本人は、日の出と日の入りが真東から真西に進むのを見て何を感じたのでしょう。
春分の日、秋分の日は「此岸と彼岸が最も通じやすい日」と考えられたことから、この日に西に向かって拝むと、功徳が施されると信じられたそうです。それから、春分の日を中心に供養を行うようになったといいます。
これがお彼岸です。
祖先をうやまう日
お彼岸の中日である春分の日は、彼岸に逝かれた「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」祝日です。人は生まれるときに、彼岸からやってきて、此岸で人生を過ごし、死ぬときにまた彼岸に帰るのです。彼岸は目には見えないけど、何か偉大な世界なのです。
日本の行事である「お彼岸」の期間は、何か偉大な畏れ多い世界へのゲートが開く期間であり、太陽が一直線になる春分の日、秋分の日は、その世界(彼岸)へ通ずる最大の日と考えたのではないでしょうか。
やがて皇族でも、歴代の天皇、皇族の御霊が祀られる皇霊殿にて祖先をうやまう儀式「春季皇霊祭の儀」など祭祀行事が行われるようになりました。
こうした日本人の感覚はすごいと思います。ちなみに彼岸には、邪気を払う効果がある小豆(あずき)をゆでてもち米にまいた餅(ぼたもち)をご先祖の供養の際にお供えをします。
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彼岸は、現世にいながら悟りへ至る修行をする期間
お彼岸は、ご先祖に感謝を捧げるだけでなく、この世に生きる私たちが六波羅蜜を実践すべき期間でもあります。
「波羅蜜」は般若心経に出てくる「波羅蜜多」と同じ意味で、サンスクリット語の「パーラミター」を音写した語です。日本では「至彼岸」と訳され、大乗仏教における悟りの境地、すなわち彼岸へと至ることを表します。
「六波羅蜜」は、この世に居ながらにして彼岸に至るための6つの修行のことです。
彼岸とは悟りの境地だとしています。
此岸における人生からみたら彼岸はたどり着きたい悟りの境地かもしれないけれど、感覚的なことなのですが、もともとの自分というものは、本当は彼岸にいて、そこから投影されたのが此岸における見えている自分であるのではないでしょうか。そして此岸のこの世界でどれだけのことを実現できるかというのが人生ではないでしょうか。
ぼくは時々ですが、ふとした瞬間に、何かにリンクして「あ~生きているんだな(生かされている)」と感じることがあります。
不思議な感覚です。
ちょっと違うけどアニメ「炎々の消防隊」のアドラリンクみたいな感じ(^^)です。このアニメみたときに何か畏れ多い感じがしてびびりました。
虚・実・現の世界
別の観方をすると、彼岸の虚の世界から、此岸の実の世界にやってきて、使命を現に示していく感じです。
虚・実・現は別の世界のように見えて、本質は同じものです。
桜は1年のうち咲くのは春の限られた日だけど、実はいつも咲いているとも言えるのです。
春分の日は何か不思議な日だな~と思います。
春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」とされていますが、その本当の意味は、生命の根源たる存在を感じる日なんだと思います。
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