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公助、共助、自助、そして超助⁉

デジタル基盤の確立と共助のビジネスモデル

デジタル基盤の確立と共助のビジネスモデルという図をぼーっとみていて思ったことがあります。

そうか、
自助領域は競争領域、つまり資本主義
共助領域は協調領域、つまり共産主義か⁉
そして公助領域は公共領域、つまり社会主義
ともいえるか⁉

イデオロギー的には違うかもしれませんが、言葉的にはそんな感じにもとらえられるのではないかと思います。

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https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/digital_denen/dai1/siryou4.pdf

自立を支える公助と共助

国民が、自由意志で生き、自由に働き、自由に能力を発揮できる社会がいいとしたら、競争社会は欠かせません。でも生まれた境遇や身体的な能力によってそれが達成できない場合もあるでしょう。自立することを前提に、支援するシステムとして共助が必要だと思います。そしてそれができる環境を提供するインフラが共助です。

次女の先には長女(笑)

自由意志は確かに尊重すべきことだと思います。しかし自分の能力をふんだんに使い自由に生きることは自分の欲を増大化するためだけに使っていいのでしょうか。

新自由主義が世界を支配しようとするなかで、そんな問題が思いうかびます。自由に生きる行き先というか、ありたい姿というものが必要なのではないしょうか。

それは宇宙というか、神様というか、突き動かされる原動力というか、自助をこえた「超助」ともいうべき存在です。

自力を超えた他力みたいなものでしょうか。

キャプチャ

人はひとりで生きていけないし、ひとりで生きれるわけではない。自分だけでなく、自分の周りの人だけでなく、自分を支えてくれている存在とともに生きているのです。日本の伝統的なあらゆるところに神様がいて、それらを尊重しあって生きていることに通ずるように思います。

でも食料の飢餓、医療の飢餓、教育の飢餓といった飢餓の状態では、人間は正常な判断ができません。そうした飢餓から脱するサポートをして、自助、つまり自立すること。人間が本来もつ行先にあるはずので超助の世界へいけば、人類は自然に助け合うことができ、真の平和が訪れるのではないか(願望)と思います。

でも、それを実現するのは、長男(^^♪、いやいや超難でしょう(笑)

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