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旧奥州街道ウォーク⑨ 芦野宿→白坂宿

こんにちは、ばーどです。

2024年5月5日(日)。
いよいよ関東脱出、東北へ。



1.奈良川

芦野宿を出てすぐ、奈良川を渡ります。

高橋で奈良川を渡る
奈良川の流れ

芦野宿はこの奈良川に沿うようにあり、宿場町に入るときにも渡り、出るときもまた渡ったことになります。
この先のルートも、この川沿いです。

国道の道の駅 左へ
国道294号
左の未舗装道が旧道の痕跡か
ここから側道に入る
明治天皇東北巡幸に随行した岩倉具視の歌碑
田植えの真っ最中
今日はこどもの日
防災無線
石蔵を改造した消防小屋
トラクターが走る
緑の世界
愛宕神社 鳥居と石段

丘の上の本殿までは、かなり急で長い石段が続くが、危険のため通行禁止の札がありました。よかった。

べこ石 形がべこ(牛)のよう
説明板 需教的な人の道を説いているらしい
「行き止まり」とあるが進めそう
ガードレールで塞がれて国道へ繋がらない?
と思ったら、梯子で下りられた
左の旧道へ入る
「落石注意」がひしゃげてる
水田を回り込むように進む
真っ直ぐに伸びる竹
国道に合流 左へ

2.板屋の一里塚

旧道は右の脇道を進む

この先の国道は直線化整備が進み、旧道が脇道に分岐する所が多くなります。
街道ウォークはなるべく旧道をたどるように進み、国道から脇道に入ると何だかホッとします。

道標
左右の水田に挟まれた旧道
下川原橋で奈良川(3回目)を渡る
奥の杉林もこうなるのだろうか
リンゴの木
小さな石仏
石碑

旧道に残る、板屋の一里塚。江戸から四十三里めにあたります。
今は切通しになってますが、元の山の高さにあるので、当時は山道を登って一里塚で休憩、だったのでは。

板屋の一里塚 両塚が残る
白河に向かって右 東塚
反対の西塚はわかりづらい
説明板(四十四里とあるが…)
石碑
一里塚を振り返る 高低差が明らか
高原のような風景
民家の脇のシバザクラ
旧道の曲線美 地形に沿って左に右に
水田の向こう 直線化された新道

旧道を歩きながら、新道やバイパスを見えると、「こっちの方がいい」と絶対思ってしまいます。

1567年創建 高徳寺
お地蔵様の前で小休止
出荷前の薪
旧道から分かれてさらに右の脇道へ
旧道を進む
こちらの薪はたぶん自家用だろう
元の道に合流 さらに国道にも合流

3.間の宿 寄居

脇沢の地蔵様 どこにある?
細い坂道を上ってご対面
電話ボックス(なぜここに?)の先の脇道を進む
大きな石灯籠 石材店の看板代わりかな
旧道の風景
国道に合流 右へ
八幡社

坂でもないのに「観音坂」と呼ばれる場所。かつては山で急な坂があったが、今はご覧の通りの切通しになってます。

観音坂と呼ばれる地点
切通し

少し左に迂回すれば、坂も切通しもなくてすみそうな気もしますが…。

街路樹の刈込み 鳥だろうか?
森沿いに右に進む旧道痕跡
その手前に「高電圧 きけん さわるな」!

新道と旧道痕跡の間の周囲に、高圧電流線が引かれているので、断念。
それにしても、何の目的なのだろうか。 
森のタケノコ泥棒を防ぐため?、イノシシよけ?、それとも街道ウォーカーが踏み荒らすから? 

くぼ地の中にある「べこ石」
旧道痕跡の終点
座り地蔵尊

間の宿だった寄居集落に通じる道が、国道から左に分岐します。

左の道を進む
二宮金次郎像があるから学校跡地?
街道の風景
1546年創建 興楽寺
岩がご神体?
寄居宿の問屋跡
寄居宿の茶屋本陣跡
国道に合流 左へ

国道合流地点の手前から正面の山へ入る道があり、古代奥州三関のひとつ「白河の関」に通じています。松尾芭蕉は「おくのほそ道」で白河関を訪れており、その道を歩いたのだと思われます。


4.泉田の一里塚

江戸から四十四里めにあたる、泉田の一里塚は、チェーン着脱所の真ん中にありました。

チェーン着脱所の案内板
泉田の一里塚 関東最北端の一里塚
福島県の地名しか出てこない
栃木県最北端にいることを実感
右の旧道に分け入る
すっかり森の風景
道は荒れ放題 人も通らないのだろう
国道合流地点では道も消えている
国道294号
旧道はこの角を左折
奈良川を渡り(4回目)すぐに右折
街道の風景
石仏と石碑 計10体
岩肌が露出している
初花清水
国道に合流 左へ
瓢(ふくべ)石 ひょうたんの形
戸板橋で奈良川(5回目)を渡る

この先は支流に沿って進むため、付かず離れずだった奈良川とはここでお別れ。

右の旧道へ入る
明治天皇山中御小休所碑
花が見事に整備されている
国道に合流

いよいよ県境の峠が近づいて来ました。


5.境の明神

森友交差点を越え、また杉並木へ。

野生の藤の木
馬頭観音
段上に鎮座する「明神の地蔵様」
栃木県内最後の集落
那須町デマンド型停留所
北から来る車に「ようこそとちぎへ」
北へ向かう車に「お気をつけて とちぎ県」

栃木・福島の県境を挟んで、栃木側の玉津島明神と、福島側の住吉明神の、二つの神社が並んでいて、合わせて「境の明神」と呼ばれています。

玉津島神社 1053年創建
和歌山の玉津島神社の分霊だそうだ
鳥居と拝殿
静かさが印象的だった
福島県白河市に入る
ちょうど県境に旧国(下野・陸奥)領界石
領界石 白川=白河
住吉明神 1595年創建
説明板

県境の名所で広い境内を想像していたけど、どちらも小さく素朴な神社でした。前の国道を通過する車はありますが、参拝客はほとんどなく、静かな神社です。福島側の住吉明神は特に木陰が深く、緑が印象的でした。

白河二所之関碑

有名な「白河の関」が奥州街道にない、という事実を知った時には驚きました。
中世以前の陸奥へ通じる道は、山を越えた東側でそこに白河関が置かれていました。江戸時代に奥州街道が整備されて、機能を失った関所は長らく場所が不明でしたが、現在は「関の森公園」が整備されています。
昭和になって、境の明神も含めて「二所の関」とする説が出て、この石碑が建てられたというわけ。歴史は不思議です。

福島県(陸奥)の最初の風景
福島県最初の集落
境の明神 当時の記録が残されている
衣がえの清水
山中に現れた福島空港の案内表示
自販機コーナーで小休止しよう

6.<第九番>白坂宿 

白坂宿 南木戸跡
福島交通バス停
旧屋号の石柱
旧屋号の木札
旧越後屋は今も「えちごや」だった
脇本陣跡は水田に
説明板
本陣跡は民家に 14:40着
説明板
観音寺 1408年創建
白坂宿 説明板
白坂宿 北木戸跡

素朴で静かな白坂宿を過ぎると、次は五街道の奥州街道の終点、白河宿です。
正直疲労困憊ですが、最後の区間はやっぱる楽しまないとね、と自分に言い聞かせて進みます。

芦野宿→白坂宿
 距離 12.1km
 所要 3時間10分(休憩除く)

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