見出し画像

旧東海道ウォーク㊹ 四日市宿→石薬師宿

2023年9月16日(土)。
5月末以来の再開。梅雨と酷暑を避けて9月にしたはずが、とんでもない猛暑日の苦行になってしまいました。

0.スタート地点まで
1.浜田町
2.日永
3.日永の追分
4.四日市あすなろう鉄道
5.内部川
6.杖衝坂
7.<第四十四番>石薬師宿


0.スタート地点まで

2日間の旅のスタート地点は、四日市。

品川6:00発の始発 東京始発より先に着く
名古屋に7:27着
近鉄の急行に乗り換え
木曽三川を渡り三重県へ
近鉄四日市 8:15到着
駅は近鉄百貨店と併設
こにゅうどうくん
バスタ四日市を建設中
完成予想図

前回の中断地点は、スワ栄商店街のアーケードの西端。まだ土曜の朝だからか、人影まばらです。

スワ栄商店街西端 9:50スタート

ここから、次の宿場を目指しましょう。


1.浜田町

まず、目の前の大通りを渡るのですが、片側3車線で中央に広い緑地帯もあり、ここにバスタ造ろうとするくらいだから、簡単には渡れません。
50mほど東に迂回し、横断歩道で渡ります。

目の前の大通り
横断歩道で渡る
もとの道に戻り、西に向かう
阿瀬知橋で阿瀬知川を渡る
作家の丹羽文雄 ここの寺で生まれた
これから先のルート 四日市市は広い
東海道の幟り
格子戸に掲げられた「東海道」

この辺りは浜田町。かつては材木屋、紙屋、茶屋があり、賑わいを見せていた。今も連子格子の古い民家が残り、風情を感じさせてくれます。

浜田町
古い町並み
近鉄名古屋本線をくぐる
街道の曲線美
塩浜屋製菓
変則Y字路 左下から左上へ
新築住宅にも「東海道」

四日市の中心地から郊外に向かいます。


2.日永

市街地を離れ、街道沿いを進みます。
歴史的な名所旧跡はもちろん、小さな看板や、何気ない風景にも、様々な発見ができることは、歩き旅ならではの楽しみです。

しお味の万能調味料
有限会社八百景
自転車通学の少年たち
古民家の自家焙煎珈琲 kosanji drop
落合橋
すぐ上流で3本の川が「落ち合」ってる

この辺り、西の鈴鹿山系から東の伊勢湾に流れる小川が、多くあり、Wikipediaの「四日市市 主な河川」には、53本の川が紹介されています。
この川を使い周辺の農作物が運ばれて、毎月4の日に「四日市」が開かれたり、中京工業地帯の中心となった四日市コンビナートや、最近では半導体製造工場の進出など、四日市の町の発展を支えてきた恵みの川とも言えます。

川が多いから、当然ながら橋も多く、橋の手前ではいったん上り坂となり、橋を渡ると下り坂、というパターンが続きます。周囲の平野部の標高が低いことや、荒天時の伊勢湾からの逆流からの防災のためでしょうか。

橋の手前で坂を上る
鹿毛橋と鹿化川 「かばけ」と読む
橋の渡り詰めを斜め右に進み、坂を下る
大宮神明社 今日の道中の無事を祈り参拝
主祭神は天照大御神
緑が多く、静かで厳かな神社だった
広重の浮世絵 四日市の強風

日永(ひなが)地区に入ります。

旧日永村は、昭和16年に四日市市に編入
趣のある旧家
出格子に「東海道」の案内 旅情をそそる
自治案内板 ここまで詳細なものは珍しい
興正寺 創建は平安初期の864年
天白川 名古屋市内の川と同名
ほぐし屋、婚活サポート、空手道場
なかなかの組み合わせだと、感心
両聖寺 天白川の堤造りの「つんつく踊り」
白壁が続く旧家
日永神社
東海道案内図 四日市は広い!
歴史のまち 日永
日永うちわ製造技術の説明板

「日永うちわ」は、東海道の旅人や伊勢詣での土産として知られた名産。
明治期には10数軒あった製造元も、今は「稲藤」1社のみ。

丸竹をそのまま使う丸柄が、日永うちわの特徴

猛暑の今年は、室内にこもってクーラー漬けの日が続き、たまに外出するときも手にはポータブル扇風機が必需品。
でも、伝統に支えられたうちわや扇子などで涼をとる、そんな夏の過ごし方も風情がありますね。

少し手前には、「団扇(うちわ)最中」の店も

日永には、江戸からちょうど百里目となる一里塚がありました。
記念すべき百里目を楽しみにしてましたが、その碑は意外な佇まいで目の前に現れました。

日永の一里塚跡 建物のわずかな隙間に
説明板
名残りの一本松
説明板 「家は一軒もなく」だったとは
日永ならぬ「日がなビル」 アパレル系か
住宅街の中に向き合う、肉屋と茶屋

3.日永の追分

四日市あすなろう鉄道の泊駅

港を意味する「泊」という地名・駅名は、全国に多くあります。
ここは今の海岸線からは離れてますが、かつては海が近かったのでしょうか?

みそ・醤油・たれ 伊勢藏
伊勢藏の本社
仕込樽
三十三銀行

2021年に、三重銀行と第三銀行が合併して誕生しました。
両行とも三重県の地方銀行ですが、三重銀行は県北部の四日市に、第三銀行は中南部の松阪に、本店を置き、金融再編の流れで互いのエリアを補完するパートナーとして合併したようです。本店は四日市にあります。

こちらは津市に本店がある百五銀行
国道1号に合流

国道1号に合流してすぐ、旧東海道と伊勢参宮道の分岐にあたる、「日永の追分」があります。

右が旧東海道、左が伊勢参宮道
日永の追分 石碑と伊勢遥拝鳥居
大きな道標 すぐ江戸道
右京大坂道 左いせ参宮道

国道も数百m南で、国道1号(亀山方面)と23号(伊勢方面)に分岐。
また2kmほど南にある河原田駅では、JR関西本線(亀山方面)と伊勢鉄道(伊勢方面)が分岐しており、地理的な重要拠点になってます。

ちなみに、この追分には湧水があり、一口飲もうと楽しみにしてましたが、ちょうど地元の神事か何かがあり、湧水の汲み取りは一時停止されてました。残念。
追分を右、東海道を西へ向かいます。

間の宿として茶屋が並んでいたらしい

4.四日市あすなろう鉄道

しばらく進み、四日市あすなろう鉄道の踏切を渡ります。

日本橋を出て25カ所めの踏切
泊第七号踏切

大正初期に開業した軽便鉄道で、その後昭和40年に近鉄に吸収合併されましたが、平成27年(2015年)に第三セクターの四日市あすなろう鉄道として分離独立しています。
線路幅が762mmという超狭軌で、コトコト走る車両も可愛らしく、まるでおもちゃの電車のようです。

ちょうど列車が通過
追分駅のホームと、狭い線路幅
あすなろう鉄道内部線 追分駅舎
やって来た3両編成の電車

社名の由来は、明日に向かって進む希望と、狭軌路線(=ナローゲージ)から来ているそうです。
これからも応援していきたくなります。

追分駅の先で、左方向の道へ分岐
リサイクルショップの隣に、中古車販売店
親和性はありそうだ
ここの案内図は、古くてほとんど読めない
区画整理道、道路面と右側は新しい
小許(おごそ)神社へ向かう道
小古曽町自治会案内図 もはや白紙に近い
この角を道なりに右折
道標 右大治田 左追分
この角を道なりに左折
落ち着いた雰囲気を出す日本家屋
桜の木
県道407号を斜めに横断
内部(うつべ)地区
あすなろう鉄道内部線の終点 内部駅
日中は30分間隔で運行

あすなろろう鉄道は、ここ内部が終点。
延伸計画もあったようですが、この先の内部川を渡ることなくストップ。

駅隣の車庫 「ないぶ車庫」と読めてしまう
休憩中の車両たち
駅前のバス停 三重交通
鉄道より少なく、2~3時間に1本

5.内部川

この日の四日市の最高気温は33℃予想。9月中旬は残暑どころか酷暑でした。
内部駅前でしばし休憩、再び東海道で西を目指します。

右の東海道を進む
広い道幅

この先、鈴鹿川の支流の内部川を渡る部分は橋が架け直され、旧道のルートをそのまま辿ることはできず、迂回しながらなるべく忠実に進もうと思います。

内部川に突き当たる かつての采女橋の場所

采女(うねめ)は、川の対岸の地名。
天皇につかえる女官をさし、この地の出身者が多かったから地名になったとか。

迂回をゆる~く示す案内板
左折し、さらに左の道で国道の南側へ出る

実は、右へ進み、堤の上から国道の北側を通っても行けたようでしたが、国道の反対側(南側)にコンビニがあり、吸い込まれるように(笑)左へ進みました。

国道下で直射日光から一時避難
くぐって階段で国道へ出る
進む方向は左だが、右へ進みコンビニへ
現代の茶店で、水分と糖分、そして電力を補給
国道1号の南側の歩道で、内部川を渡る
内部川 下流方向を臨む

内部橋を渡ったのち、再び北側に出て、采女橋が架かっていた対岸に向かいました。現在は付近が「平成内部の一里塚公園」として整備されています。

采女橋で内部川を渡った対岸に到着
平成内部の一里塚公園
右の地図の赤いルートが旧東海道
対岸(四日市宿方向)を望む
国道1号の下をくぐり、南側へ
旧東海道は、右の階段を上る
小川を橋で渡る
橋から下の小川を眺める
東海道と杖衝坂の案内

6.杖衝坂

国道から左の側道へ入る
突き当りを右折
国道の手前を左折
杖衝坂(つえつきざか)の案内

杖衝坂の由来は、伊吹山で深手を負った日本武尊(やまとたけるのみこと)が、剣を杖のように衝いてこの坂を越えたことからだとか

旧街道を辿る旅で、感じたこと。
例えば箱根峠や鈴鹿峠など、県境や分水嶺なら、明らかに急な坂道があることはわかります。
静岡県の薩埵(さった)峠や宇津ノ谷峠なども、地図を眺めればその急峻な地形がわかります。
しかし、一般の地図上で平地を示す緑色一色の場所に突如現れる急坂が、いくつかありました。金谷宿~日坂宿の金谷坂、袋井宿~磐田宿の三ヶ野坂、白須賀宿の潮見坂など。ここ、杖衝坂もまさにその一つです。
その共通点は、「川を渡ってすぐ」「海岸線から離れてすぐ」に存在していること、そして「現代の国道や鉄道は、迂回やトンネルで難なく越えてしまう」ことで、実際に歩く身からすれば、「油断して隙をつかれた」感が非常に強いです。
というわけで、気を引き締めてこの坂に挑むことにします。

刻まれたオーリング 急坂の始まり

ちなみに、急坂の舗装がアスファルトではなくコンクリートなのは、勾配がきついとアスファルトの仕上げに行う踏み固めが難しいためです。

金刀比羅宮 急坂かつ急カーブ
うつべ町かど博物館
さらに続く急坂
杖衝坂の石碑
芭蕉も急坂で一句詠んでいる
弘法の井戸

弘法大師が杖でさしたところを掘ると井戸が出たそうです。
この方は、各地で井戸や温泉を掘り当てていて、どういう特殊能力なの?。

軽自動車もうなりを上げて登っていく
この急角度がわかるだろうか
やっと上り切った!
日本武尊が出血を止めた、血塚社
采女の一里塚跡 江戸から百一里目

ここは実際の一里塚があった場所。雑草がきれいに刈られた後で、ここまで「何もない」一里塚跡は、少し驚きでした。

国道1号に合流
坂を登り切ったから?「坂の上」バス停
采女の一里塚跡石碑

実際の場所から少し離れて、石碑が建てられていました。国道沿いにあるほうが、見てもらえますからね。

国道脇のわずかな旧道痕跡も、回り込んで歩く
亀山と大津が同じ方向 何となく違和感
日陰の無い夏空の下、国道を歩く
国分町交差点 左の道へ入る

国分町は、かつて伊勢国分寺があったことに由来しています。

広い四日市市を脱出、鈴鹿市へ
地蔵堂
こういう小川も、危ない

この辺りの民家の屋根を見ていると、1階の屋根と、最上部の屋根の間に、少し空間があるように見えます。
何か目的があるのだと思いますが、わかりませんでした。

民家の屋根
民家の屋根

再び国道1号に合流ですが、手前にあった案内板に従い進むことにします。

合流の手前、ミラーの右の小道に入る
茂みの中にあった案内板
国道1号をくぐるのは、今日すでに4回目
反対側に出て、国道を西へ進む
自由が丘バス停 鈴鹿市内の新興住宅地
国道1号
東京からいつの間にか400kmを越えていた
浪瀬川を渡る

ようやく石薬師宿の手前まで来ました。


7.<第四十四番>石薬師宿

石薬師寺の門前町でもある、石薬師宿。
江戸時代の東海道は、伊勢参宮道の役割も兼ねて、街道沿いは繁栄していたが、江戸方面から伊勢に向かう旅人は日永追分で伊勢道へ入り、逆の京方面からの伊勢道は、(3宿先の)関宿で東海道から分岐しています。
その間にある、石薬師・庄野・亀山の各宿場町は、伊勢詣での客が通らず宿場の経営は厳しかった、と書かれています。

国道から右の旧道へ入る
東海道の標識
石薬師宿の碑
北町地蔵堂 石薬師宿の江戸口

鉄道も通っておらず、地味な石薬師宿ですが、二人の偉人の出身地だそうです。
その一人が、歌人で国文学者の佐佐木信綱。唱歌「夏は来ぬ」の作詞、万葉集の研究などで功績を残しています。父の教育のもとで、何と5歳から短歌を作ったというから、驚くべき才能ですね。
その信綱の短歌が、旧道沿いに「信綱かるた道」として掲示されています。

信綱かるた道の起点と、第一作目
民家の軒先と、短歌
西日本に多い焼杉の民家と、短歌
格子戸と、短歌 (十歳作!)
民家の庭と、短歌
小学校と、短歌
お寺の門と、短歌
JAと、短歌
駐車場と、短歌

何となくほっこり優しい気持ちにさせる歌が、多かった気がします。

小学生の作品 ありがたく休憩
大木神社の鳥居
焼き物で作った、石薬師宿の軒並図
小澤本陣跡 13:00着
小澤本陣跡 石碑
小澤本陣跡 説明書
本陣と、短歌(五歳作!)

石薬師もう一人の偉人は、天野修一氏。
日本国内で初めてタイムレコーダーを制作し、その後「アマノ」を創設してグローバル企業の礎を築いた発明家です。

天野氏の記念館
信綱が地元へ寄贈した、石薬師文庫
信綱の生家の敷地の土蔵を改築した
その隣にある、信綱の生家
「夏は来ぬ」に卯の花が歌われている
家康の思案橋 説明板

堺にいた家康が「本能寺の変」の報を受け、三河に戻る際に安全なルートを「思案」したところのひとつとされている。
謀反と裏切りで混沌とした、戦国の世ならではの言い伝えですね。

かってはここに川があったとされる
焼杉と白壁の土蔵
大きく左へカーブ
石薬師寺の院号にちなむ瑠璃光橋
下は川ではなく国道1号 今回は上を行く
石薬師寺の裏門の横を通る
石薬師寺の正面

宿場の名前にもなっている寺に参拝。
ここはもともと「瑠璃光院」と呼ばれていたが、後から石薬師寺と改称したらしい。地名が先か、寺の名前が先か?

山門の先の、本堂へ
本堂で参拝
812年に弘法大師が薬師如来の開眼を行った

陽射しの強さに体力を奪われ、水分補給に時間をとられ、休憩を含めてトータル4時間以上かかって到着。予定より1時間近く遅れていました。

四日市宿(近鉄四日市駅周辺)→石薬師宿
 距離 11.0km
 所要 3時間20分(休憩除く)

次は4㎞先の庄野宿を目指します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?