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旧東海道ウォーク⑮ 吉原宿→蒲原宿

2022年10月8日(土)~9日(日)
三島を朝出発して、吉原宿まで到達。日没までもう少し歩いて1泊し、翌9日(日)の朝、富士川を渡ります。

1.富士市の市街地を抜けて
2.再び、富士市の市街地を抜けて
3.富士川を渡る
4.岩淵
5.東名高速・東海道新幹線
6.<第十五番>蒲原宿


1.富士市の市街地を抜けて

吉原宿の西木戸跡を過ぎ、現富士市の市街地を抜けます。
富士市は製紙や自動車関連を中心とした工業都市。旧吉原市と旧富士市の間にあたるこの辺りは、近年市街地として整備された地区のようで、市役所・中央公園・病院・ショッピングセンターなどが集中しています。

橋を渡り、吉原宿を出ます
錦町北の交差点で国道139号に合流し、いったん左(南)へ
錦町の交差点を渡り、右(西)へ
すぐ10mほど先を斜め左(南西)へ
この図のような流れで、上のほうから現在地まで来ました。
(かつては直進していたのでしょう)
夕暮れ時の旧東海道
道祖神
高嶋交差点の五差路を右折し、県道396号に入ります。
150mほど進み、右折案内表示に従い、小道に入ります。
今度は100mほど先を左に。案内表示が無ければわからない。

富士宮市北部、富士山西麓から流れる潤井川(うるいがわ)を渡ります。

潤井川にかかる橋
水もきれいで、土手でピクニックなど、いいかも。

2.間宿

県総合庁舎の前に、間宿(あいのしゅく)の案内板があります。
吉原宿は前後どちらも隣の宿場までは10㎞以上。西の蒲原宿までの間は、ここ本市場が間宿として機能していたようです。

茶屋で一服しながら、富士を眺めていたのでしょう。
少し山影も見えるようになりました。

この先、南北を走る4車線道路を越えるのですが、中央分離帯が行く手を阻んでました。

市街地整備で、広い道路を設けたようです。
分離帯の切れ目には「旧東海道」とありますが、渡ることはできず。
案内板に従い、北側に迂回して渡りましょう。
潤井川の手前で別れた県道396号に合流
しかし、信号を渡ってすぐに左折します。(一方通行の道へ)

まもなく1本の道と交差します。JR身延線の旧線路跡です。

富士緑道という名称です

身延線は廃線になったわけではなく、このあと現線路とも交差しますが、東海道線の富士駅からの分岐ルートを変更したことで、旧線跡が生まれました。

工場の煙突が目立つようになりました。

王子製紙の関連会社の工場脇を進み、本市場の一里塚跡がありました。

本市場の一里塚、日本橋から三十五里め
地名は書かれず、シンプルな碑です

なお、次の三十五里目の一里塚は、存在したのか不明とのこと。
旧道を歩き始めてから、一里塚を楽しみにするようになったのですが、これは残念ですね。

富士駅前につながるアーケードにぶつかりました。時刻は17時30分。日も暮れてきたので、今日はここで中断します。
ホテルまで少し距離がありますが、コミュニティーバスがこの近くから出ているので、利用しましょう。

富士駅まで500mの地点です。
バス停前にあった、雰囲気ある旧家。もとは酒屋のようです。

2.再び、富士市の市街地を抜けて

10月9日(日)、3連休の中日。
昨夜の天気予報では、これから向かう静岡市方面は夕方から雨予報。予定を早めて6時にホテルを出発。

ホテルの窓から、ようやく拝めた富士山の全容。やはりいい形です。

富士市の観光スローガンでしょうか。
今日の行程は、富士山を背に西へ向かいますが、気持ちを奮い立たせてくれます。

シンプルですが、わかりやすくていいですね。

昨夜の中断地点まで来ました。時刻は6時40分、スタート。

ここからも、富士山がバッチリ。
1週間後は、秋祭り
ここも趣ある旧家ですね。
道祖神
遊漁券の販売
曹洞宗金正寺
街中を流れる水路。水は割と澄んでいます。
常夜灯
立派なお屋敷
再び県道396号に合流、左(西)へ進みます。
天白神社
朝7時、地元の方々が集まりました。お祭りの準備でしょうか。

昨日、旧線跡で出会った身延線。今度は現役の路線と交差です。

左は富士駅、右は身延駅を経て甲府駅まで。
柚木駅
自動車教習所の前から見た、富士山。電線がなくすっきり。
富士川へ向かいます。今のところは、快晴。
橋下交差点を越えて、次の信号を斜め右へ。
2つめの交差点、ここは左へ曲がります。
道なりに進むと、再び県道396号へ。歩道橋下をくぐり、右へ曲がります。

富士川の流れが近づいてきました。


2.富士川を渡る

富士川の東岸に、明治天皇御小休止の碑があります。

明治11年の東海北陸の御幸の際、川越え前に休憩したようです。

富士川を越える場所は、水量や季節により、多少異なっていたようです。なにせ日本三大急流を越えるのですから、最も安全かつ効率的なルートを使うのは、当然のこと。
川を見下ろす水神の森にある、その名も水神社。富士川越えの発着地の一つでした。

水神社の鳥居
本殿
説明版
渡船場の跡碑

現在の富士川橋(県道396号)は、実際の渡船ルートのやや南側になるようです。

昭和63年竣工、意外と新しい
富士川の表示

さすが日本を代表する大河川、川幅も広く、水量も豊かです。

東側から北西を望む。赤い橋は東名高速道路。
振り返ると、富士山のシルエットが美しい
橋の中央から北を望む。水量に圧倒されます。
あともう少し
渡り終えました
突き当りを右へ向かいます。
この一瞬だけ、富士山を正面に進みます
すぐにこの角を右(一方通行)に入り、川とお別れ
河岸段丘を、上がります。
下から上ってきた道を、振り返ります。渡船場跡は正面左側の方向。

この先、蒲原宿へ向かう道を少しそれて、渡船場跡の方向へ向かいます。

日蓮宗光栄寺。日蓮宗の総本山、身延山は近い。
立派な常夜灯。川越えした旅人を迎えたのだろう

西岸の渡船城跡は、正確にはわかっていないようですが、おそらくこの辺りだと思われます。
江戸から来た旅人は、川岸からこの道を上り、身支度を整え、西へ向かったのでしょう。
当時の風景を想像するとなんだかわくわくしてきます。

旅人と同じ目線で、眺めています。

それでは、旧東海道に戻り、蒲原宿を目指します。


4.岩淵

富士川を越えた西岸の集落は、岩淵という地名です。
かつては、富士川の渡船場として、また間宿として、栄えたとのこと。

坂を上り、突き当りに表示がありました。ここは左折ですね。
国道や鉄道とは離れた、閑静な集落を進みます。
この新聞受けと牛乳配達受け、懐かしい。

この辺りは立派な常夜灯がいくつも残っており、かつての街道筋であることがわかります。

このあたり、岩淵も間宿だったようです。富士川越えの西岸として栄えたのでしょうか、立派な旧家がいくつも残っています。

入口には、枡形も残っています。
岩淵の全体図
常夜灯

日本橋から三十七里目、岩淵の一里塚が現れました。一つ前の三十五里目は見つかっていないので、久々の一里塚です。
東西の両塚が残っているのは、うれしいです。

西塚は堂々たる古木
東塚は二代目ですが、これも立派です。
交通量が少なく道路拡張を免れたから、両塚が残ることができたのですね。
まだ青いですが、みかんの産地、静岡を感じさせます。
観音堂入口の石碑
「秋葉山」と彫られた常夜灯

「秋葉山」と書かれたものが多く、静岡県遠州を中心に全国に広まった「秋葉信仰」が、この辺りにも多かったようです。


4.東名高速・東海道新幹線

進んできた道が直進すると下り坂になる、その手前の角を、右へ曲がります。

この角、案内板もなく、見落としそうになりました。

この先を下りると今の富士川河口近くに出ますが、江戸時代は富士川の流れが変わったり、太平洋の高潮の影響を受けやすく、危険を避けるために山側を通るようになりました。
その山のほうへ進むと、東名高速の下をくぐります。
さきほど富士川橋で遠望しましたが、この旅で初めての遭遇です。

初めての東名高速
くぐって、すぐの三叉路は左へ
高速道路の緑色の案内板、もちろんこの旅で初めて。
小池橋を渡り、三叉路をまた左へ。けっこう山深くなりました。
足元に、東海道を示す案内を発見。助かります。

かつてのこの辺りの茶屋の名物だった、「栗の粉餅」。東海道の旅人や富士川の舟運人足に喜ばれた味を、旧道沿いの和洋菓子店、ツル家さんで販売しています。
朝9時前で、残念ながら買うことはできませんでした。

昔の味を今に残す、素晴らしいことですね。いつか食べに来たいです。

旧道が鉄道によって分断されている場所は、これまでにもあり、迂回して踏切を渡ったりしてましたが、今度は新幹線が相手です。

画面右が旧道。左に車が通れるガードレールがあります。

しかし、左へ行かずそのまま右の旧道を進んでると、こんなアンダーパスがありました。

行き止まりかと思ったら、階段で降りて行けそうです。
中はこんな感じ。人ひとりがようやくです。
反対側に出てこれて、ほっと安心。

みかん畑の中を進みます。

ここのみかんは、少し色づいていますね。日当たりの違いか。
富士川を越えたら、東京電力から中部電力に変わっていました。
新幹線を迂回した車道に合流。
だんだん登坂がきつくなりました。
平らになったあたりで、右にカーブ。実は左側の下は東名高速の掘割です。
掘割にせず山が残っていたら、旧東海道がここを通っていたはず。

道なりに進み、東名高速を跨いで反対側へ出ます。

この橋を渡ります。
寂しげな案内表示
東名高速の上から富士山を望むと、山頂付近が雲に覆われてきました。

橋を渡り、富士市から静岡市へ入りました。

市境標識はなかったですが、間違いなく静岡市清水区です。

すぐに急な下り坂となり、その向こうに太平洋が。
絶好のロケーションです。

小田原宿手前の国府津で見て以来の、太平洋。
しかし、急な坂坂道。住宅や畑を水平に保つのも、大変です。
言われなくてもわかってます
お寺の壁も段々に下ってます。

静岡県に入って、緑色の松のマークが増えました。
貼る場所が決まっていないのか、あちこちにあるのが面白い。

電柱
細い電柱
消防用ホースBOX
坂を下り切り、T字路を右折。ここの路上にも「緑の松」が。

日本橋から三十八里目、蒲原の一里塚跡です。
塚は全く残っていませんが、塚跡の碑は個人宅の一角にあり、住宅の建物もそこだけ凹型になっています。

住民の方の「残そう」というお気持ち、ありがたいです。

まもなく、蒲原宿に入ります。


6.<第十五番>蒲原宿

一里塚を越えてすぐ、東木戸跡がありました。。

小さな枡形になっていますね。
説明版

蒲原宿については、事前にあまり調べてませんでしたが、小さい街並みを丁寧に大事に残して、それらを見せる工夫が感じられる集落でした。

宿場町全体の案内図
来月は宿場祭り
山の上から太平洋に繋がる放水路。かつては水害に悩まされたのかもしれません。
放水路をまたぐ橋は、昭和16年に竣工しています。

蒲原宿の問屋を勤めた家の土蔵が、木屋江戸資料館として紹介されています。
当時の貴重な資料が多く残っているようで、事前に連絡すれば拝観できるようです。

これが土蔵。建物自体も市の重要文化財指定。
案内板
東海道のルートが、洪水と大地震の影響で変わったようです。
旧商家、佐野屋
なまこ壁
問屋場跡
雨どいと自販機と車が無ければ、江戸時代の街並みです。

本陣は一軒。9時20分に到着。

いかにも、大名の宿泊場所という雰囲気があります。
本陣跡の説明

江戸時代だけではなく、その後の明治から大正期の建物も、多く残されていました。

手づくりガラスと総檜の家
これは明治時代の建物だが、街並みにマッチしています。
旧五十嵐歯科医院。大正3年の建設。
貼られている札が、いかにもレトロ
志田家住宅。味噌や醤油を扱う商家。
蔀戸など、日本の旧家ならではの工夫が、残されています
木造建造物が多く、重厚感が漂う集落です
道なりに左へ折れます
県道396号にぶつかり、次の由比宿は右(西)へ。
曲がり角には、蒲原宿の西木戸跡がありました。ここははっきりした桝形。

蒲原宿はここで終了。もっとじっくり訪れたい場所でした。
次の由比宿まで、ウォーキングを続けましょう。

吉原宿→蒲原宿
 距離 12.0km
 所要 (1日目)1時間10分+(2日目)1時間40分
    合計:2時間50分

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