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旧東海道ウォーク㊶ 鳴海宿→宮宿

2023年5月27日(土)。
今日のゴール、名古屋市の宮宿まで、ラストスパートです。

1.天白川
2.笠寺
3.呼続
4.<第四十一番>宮宿
5.(番外編)熱田神宮


1.天白川

鳴海宿の京口を通り、西に向かいます。

秋葉常夜灯を越えて鳴海宿を出る
住宅街の中 右側の一段高い歩道を進む
右側は崖
鉾ノ木貝塚 崖からはよく貝塚が発見される
三王山交差点 右から来て左(駐車場の前)へ
バス通りに合流し、正面方向へ
名古屋市のごみ処理施設 鳴海工場
天白川

名古屋を流れる川と言えば、北は庄内川、南が天白川、という印象があります。行政上はすでに名古屋市内に入ってますが、この川を越えるといよいよ名古屋の中心に近くなったという実感です。

東海道/知多郡道

ここで突如現れた「東海道分間延絵図」(とうかいどうぶんけんのべえず)のモニュメント。
原本は東京国立博物館に所蔵され、鳴海宿から宮宿の区間のみの展示ですが、それでもかなり横に長い。

日光や雨風にさらされて色が薄くなっている
ここが現在地(名古屋市南区笠寺町付近)
今日のゴール、宮宿

街中の普通の道が、実は旧東海道だった、ということがわかるモニュメントですね。


2.笠寺

笠寺の一里塚は、西塚が取り壊されてますが、東塚は現存していました。
塚も木も、立派に存在感を示しています。

笠寺の一里塚 江戸から八十八里目

八十八里目。
末広がりで縁起がいいですね。

太平洋戦争時、名古屋市内も何度も空襲がありましたが、笠寺付近はその被害があまりなかったようで、街道沿いには木造の旧家も残されています。

格子戸が歴史を感じさせる
街道の左右に、古い住宅が並ぶ

笠寺の地名は、笠覆寺(りゅうふくじ)の通称「笠寺観音」から来ています。戦国時代は、織田方の人質の徳川竹千代(家康)と、今川方の人質の織田信広(信長の兄)の、人質交換がここであったとされています。
その笠寺観音の西門の前を、旧東海道は通っています。

笠寺観音の西門
笠寺観音商店街の楽しいイラスト
名古屋環状線を横断
笠寺観音の門前商店街
名鉄名古屋本線を踏切で越える
名鉄本笠寺駅

本日3回目、そして「名鉄」と旧東海道の最後の踏切、でした。

踏切を越えて最初の交差点を右折
道標「是より北 よびつぎ」

笠寺の次は、呼続(よびつぎ)です。


3.呼続

道標

富部神社は、家康の四男が創建した神社。
塩付街道は、現在の名古屋市南部に広がる塩浜から北に続く「塩の道」で、その先の信州まで運ばれたと言われています。

清水稲荷神社
ゆるやかにカーブを描く旧東海道
東西に延びる東海通りを横断
この道が「旧東海道」であることを、確認

呼続(よびつぎ)の地名の由来は、この付近の立場茶屋が宮宿から桑名宿への"七里の渡し”の出航の「呼びつぎ」を行っていたからと言われています。
この先の「山崎の急坂」で海岸近くまで下りる前の小高い地点で、ここから船の出入りが見渡せたのではないでしょうか。

道標でも確認 鎌倉街道と交差
熊野三社の鳥居
道標 山崎の長坂
山崎川を渡り、左折
名古屋市瑞穂区に入る
東海道のイラスト


ブラザー工業瑞穂工場

「ブラザー」と言えば、かつてはミシン製造、今はプリンター分野で幅広知られた企業。名古屋発祥で、特に瑞穂区には本社やグループ企業が集積しています。

名古屋高速3号線と交差
高速のすぐ下を、歩道橋で渡る
片道4車線 クルマ社会の名古屋ならではの風景
ここから国道1号線 歩道の幅がかなり広い
これらも名古屋で生まれた企業
ガス湯沸かし器の「パロマ」、石油ストーブの「トヨトミ」

気になるので、名古屋市に本社を構える有名な企業を調べました。
食品・飲料:「カゴメ」「ポッカコーポレーション」
機械製造:「ブラザー工業」
金属:「日本ガイシ」
ガス器具:「パロマ」「リンナイ」
医療:「メニコン」「興和」
文具:「シャチハタ」
販売:「松坂屋」「アルペン」
運輸:「東海旅客鉄道(JR東海)」
金融:「セントラルファイナンス」
外食:「木曽路」
など、日ごろからお世話になっている企業が、ずらりと並んでます。
意外なところでは「松坂屋」。上野が本社ではないんですね。

その他、名古屋市ではないが愛知県内に本社がある企業だと、「トヨタ」グループや「ミツカン」「壱番屋(COCOイチカレー)」などもあります。
愛知県、すごい!

高架橋に繋がる国道1号の、側道に入る
JR東海道本線の踏切
名称は「東海道踏切」

日本橋から22本目の踏切、JR東海道本線とは二川宿手前以来です。
「東海道踏切」の名称は、保土ヶ谷宿にもありましたが、あちらはJR東日本でここはJR東海になり、同一会社ではなかったです。
また、同じJR東海で三島宿手前の踏切は、「旧東海道踏切」で、ここも重複ではないということです。

ここまでの踏切リスト 名鉄は名称不明
国道1号(右上)から、さらに左側道へ
新堀川にかかる橋
新堀川 かつては熱田神宮の神事に採水した
名鉄常滑線 セントレアからの「ミュースカイ」

名古屋の下町を進みます。


4.<第四十一番番>宮宿

名鉄常滑線をくぐるとすぐ、伝馬町の一里塚跡。
この辺りから、宮宿エリアになります。

伝馬町の一里塚跡 江戸から八十九里目
「宮」地区の案内板
裁断橋跡
旧東海道の風景 ようやく日が陰ってきた
大津通りは横断できず、北(右)へ迂回
伝馬町交差点で、反対側(左側)へ渡る
中京銀行の角を南へ戻る
りそな銀行ATMの角を右折し、西へ
和菓子屋 亀屋芳広
突き当りを左折 右へ行くと熱田神宮に向かう
道標

道標は四面に文字が刻まれ、読めない文字もあるので、以下に記載します。

北 さや(佐屋) つしま(津島)、北 みのち(美濃路)
  寛政二庚戌(かのえいぬ)年
東 江戸かいとう 、 北 なこや(名古屋) きそ(木曽)道
南 京 いせ(伊勢) 七里の渡   是より北 あつた(熱田)御本社貳丁

当時の場所から移設したためか、方角と刻文字がずれている気もしますが、交通の要所だったことが伝わり、旅人の往来や宿場の活気が想像できます。

なお「佐屋」については、桑名宿への海路(七里の渡し)を避けて「佐屋街道」を通る旅人への案内になっており、ここが東海道と佐屋街道の分岐です。

旧東海道は、いったん南に向かい、国道247号を斜めに横断して、“七里の渡し”の船着場へ続きます。

国道247号線は、横断歩道で渡る
「宮の渡し歩道橋」
歩道橋上から、来た道を振り返る
逆方向 これから進む方向を臨む
歩道橋を下り、斜め右へ分岐
蓬莱軒本店の看板
蓬莱軒本店 蓬莱陣屋

明治に創業した、うなぎと鶏肉(かしわ)で有名な「蓬莱軒」の本店。
この裏手の駐車場が、本陣跡でした。

ここが本陣跡
本陣跡の説明板 16:40着

この先の“七里の渡し”船着場跡まで、あと少し進みます。

船着場までの道
「宮の渡し公園」に突き当り、右折

船着場跡は、公園と史跡として整備されていました。

宮宿のシンボル 時の鐘
ここから船が出て行ったと、思いをはせる
熱田湊常夜灯
熱田湊常夜灯 説明書
時の鐘 常夜灯
旅人が乗下船で通る、陸と海の境の門
七里の渡し 船着き場 説明書
現代版の渡し舟が、臨時で運行されるらしい
名古屋市バス停留所 七里の渡し 
公園向かいの旧家 今はデイサービスで使用

公園で海を眺め、ここまでの旅路を振り返ってぼーっとしてました。
実に気持ちがいいものです。

鳴海宿→宮宿(七里の渡し)
 距離 7.8km
 所要 1時間35分(休憩除く)


5.(番外編)熱田神宮

さて、ここまでの道中安全の御礼参りとして、熱田神宮に向かいます。

正門(南門) 一の鳥居
二の鳥居
三の鳥居
本宮
熱田神宮の歴史説明 近世「宮の宿」

創建は大化の改新の時代、西暦646年。
江戸時代のことでも「近世」になってしまう史には、恐れ入ります。

ホテルにチェックインして休憩。
夜は名古屋に住む娘の仕事終わりに合わせて、久しぶりの食事を楽しみました。

名鉄百貨店前のナナちゃん人形

明日はいよいよ三重県へ向かいます。

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