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旧東海道ウォーク⑨ 大磯宿→小田原宿

2022年7月8日(金)晴。
箱根の山越えを前に、暑さとの戦いで、非常に厳しい区間となりました。

1.偉人たちの別荘地
2.こゆるぎの里
3.酒匂川を渡る
4.<第九番>小田原宿


  1. 偉人たちの別荘地

大磯宿の京見附を過ぎると、立派な松並木が続きます。

歩道橋から、小田原方面を望む
正月の箱根駅伝でも、おなじみの風景

風光明媚な大磯は、明治から昭和にかけての偉人や文豪、政治家たちの別荘地としても、知られています。

陸奥宗光、大隈重信、伊藤博文、西園寺公望の別邸を合わせ、「明治記念大磯庭園」として整備。
旧滄浪閣の建物。修復工事で覆いがあり、全景は見渡せず。
碑も立派なものでした。

日本初の海水浴場は、ここ大磯に1885年に開設。当時の大磯は、時代の先端を行く高級リゾートだったのでしょう。

城山公園の交差点で、国道1号を離れて右へ入る。左側の木々は、旧吉田茂亭の森。
道は右に進みますが、旧東海道は直進気味に進みます。
不動川を、新しい橋で渡ります
旧道の風景
国道1号との合流地点少し手前に、国府本郷の一里塚跡。江戸から十七里目。

当時の旅人に思いをはせ、一里塚跡の木陰で休憩です。

右が旧道。左が国道1号。ここで合流です。

2.こゆるぎの里

大磯と小田原の間の区間で、「こゆるぎ」という表示をよく見かけます。
漢字であてると「小動ぎ」「小揺るぎ」などとなるようで、相模の浜に波が静かに打ち寄せるさまを表しているとか。
なんとなく、万葉の雰囲気を感じさせる、素敵な言葉だと思います。

大磯プリンスホテル。大磯ロングビーチもこの海側にあります。
お隣の二宮町に入ります。
軒先では、干物を製造中。
JR二宮駅前の「ガラスのうさぎ」のモニュメント。主人公の疎開先は二宮です。
吾妻神社の前で、国道1号から右側へ。
「旧東海道の名残り」の表現が、ユニーク。
手作り刺身醤油の蔵元。ヤマニ醤油の工場。
旧道から国道1号(橋の上)を望む。
写真の右側、木々の陰に小川があり、旧道は短い橋で渡り、新道(国道1号)は高低差を設けずに長い橋で一気に渡る。
等覚院。三代将軍家光も上洛時に参拝したという、古刹。
ここで国道1号に合流です。
少し進むと、押切坂上。今度は左方向に、脇道へ入ります。
押切坂の一里塚跡。江戸から十八里目。
旧押切坂を下り、国道1号へ合流です。
押切橋で中村川を渡るところで、左側に相模灘が見えます。この旅で初めて見る海です。
橋を渡ると、小田原市。
と思ったら、すぐにまた二宮町へ。
再び小田原市へ。国道1号の「おにぎり」も一緒。
相模灘が美しく見える場所に来ました。対岸は真鶴半島、その後ろは伊豆半島。
山側には高層マンション。絶景が望めそう。
江戸日本橋から77km
砂浜を西湘バイパス(左)が走り抜けています。右が国道1号。
西湘バイパスの足元越しの、相模灘。
JR国府津駅前。東海道線と御殿場線の分岐駅。
ここからは、富士急・神奈中・箱根登山の3つのバス会社が走る区間。
ただ、神奈中は土曜日の朝に1本が走るのみ。
港の近くの魚屋といった雰囲気
お昼は魚にしたかったのですが、入れる店が見つからず、吉野家の牛丼でランチ。

3.酒匂川を渡る

エネルギーを補給し、さらに西へ進みます。

国道の表示に、箱根が登場
小八幡の一里塚跡。江戸から十九里目。塚も松も残っていませんでした。
バス停も、一里塚
松並木
開業120周年の郵便局
街道沿いの酒屋。老舗のようなたたずまい。
立派なお屋敷。現在は社会福祉法人になっています。

小田原宿の手前、酒匂川に到着しました。

川も橋も、酒匂(さかわ)

江戸時代は橋がなく、かつては「酒匂の渡し」が運航していました。

当時の風景を示すレリーフ。
今の橋からは少し離れた、この辺りに、渡し船がありました
酒匂川から川上を眺める。足柄の山々のシルエットが見えます。

かつての渡し舟のルートと、現代の橋のルートは、微妙に異なる場合が多くあります。
この酒匂川も同じ。旧道を忠実に歩こうとするには、国道1号の橋を歩いて渡り、対岸のかつての渡し舟の到着地まで、たどり着かねばなりません。

酒匂橋を渡って少し進むと、トヨタ販売店の先を右折。
このような、暗渠の小道に分け入ります。
100mほどで旧東海道にぶつかり、いったん右(酒匂川方面)へ戻ります。
このあたりが、かつての渡し舟の到着地。
土手に上がり、酒匂川を眺めます。向こう岸が、江戸方。
二宮金次郎の功績をたたえる石碑。この辺りの出身らしい。

来た道を戻り、小田原宿へ向かいます。

国道1号にぶつかった地点は、複雑な五差路。左前方に進み、国道1号を斜めに横断。
五差路の角にあった、小田原東高校。バスの前方へ進む。
すぐT字路にぶつかり、右折。「川を渡って、宿場町の手前でクランク」は、藤沢宿と似ている。
かつての旧道と、現在の国道の位置関係を示した図が、掲示されています。
ほどなく国道1号に斜めに合流。
山王川を渡る。すぐ南には、相模灘。

4.<第九番>小田原宿

国道1号を進みます。正面には、箱根の山々。
市内に入り、「小田原宿」の表示が。

小田原宿の江戸方見附跡と、日本橋から二十里目の一里塚跡が、国道沿いに向い合わせにありました。

こちら、江戸方見附跡。
こちらが、一里塚跡。
当時の名残を残す町名を記した碑が、道路沿いに続きます。
新宿の交差点で、国道1号から左折し、海側に向かいます。
すぐに右折し、通称「かまぼこ通り」へ。かつての海岸線はこの辺りだったと思われます。
やや閑散としていますが、かまぼこ屋が続きます。
店構えも立派。
小田原宿の脇本陣跡。
その上には小田原空襲の説明板。終戦の日の未明に空襲を受けているらしい。

小田原宿は、東海道随一の難所・箱根を控え、大いに賑わいを見せた宿場町。本陣も4つあり、まず最初の本陣、清水本陣には15時15分に到着。

今は小さな空き地。町全体が観光地として盛り上がっている割には、やや質素。

清水本陣跡から少し進み、国道1号との合流地点には、「小田原宿なりわい交流館」があり、ここで休憩。

黒塗の建物、正面の水路、柳の街路樹。江戸時代の情緒が感じられます。
ここでは、旧東海道(手前から正面へ)が直進し、国道1号(右から正面へ)が90度曲がるという、珍しいルート。
なりわい交流館は、もともとは旧海鮮問屋の建物だったとのこと。

交流館のお座敷と無料の麦茶がありがたく、ちょっと長湯をしてしまいました。日のあるうちに箱根路に入りたく、もう少し西へ進みます。

2つめの本陣、片岡本陣跡。あとの2つは見つけられず。
昔ながらの薬屋。重厚な趣があります。
こちらは、最中屋。
小田原名物の「ういろう」。もとは薬屋で、そこから菓子を作った。中は撮影できなかったが、入って右がお菓子コーナー、左が漢方薬コーナー。なんとも不思議な店です。
外観はお城のよう。ちなみに名古屋のういろうとは、全く違います。
いよいよ、箱根が近くなってきた。
街のあちこち、二宮金次郎の像を見かけます。

小田原は、今でもJR2社、私鉄3社が通る交通の要所だが、かつて存在した鉄道の遺構も見られます。

かつて小田原市内を走っていた市内電車。昭和31年に廃止。
東海道線開通前に、小田原と熱海を結んだ豆相鉄道の小田原駅跡。明治29年から大正12年まで。開通当初はなんと人夫が車両を押す「人車鉄道」だったとか。
JR東海道線をくぐり、続いて新幹線と交差します。
新幹線の手前で、国道1号を右折し、続いて左折。
古地図をもとにした、わかりやすい説明版がありました。赤いラインが旧東海道。
その角が、小田原宿の京方見附。

時刻は16時。今日はもう少し進んで、箱根路に足を踏み入れます。

大磯宿→小田原宿
 距離 17.0km
 所要 4時間55分(昼食除く)


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