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旧東海道ウォーク㉖ 日坂宿→掛川宿

2023年2月25日(土)。
日没が迫る中、今日の宿泊先である掛川まで、急ぎます。

1.事任八幡宮
2.塩井神社・伊達方の一里塚
3.葛川の一里塚
4.掛川七曲り
5.<第二十六番>掛川宿


1.事任八幡宮

日坂宿を出て、西へ向かう街道風景
日阪村・東台村 村境標
事任本宮鳥居
県道に合流 右へ
事任八幡宮

事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)。
名前の通り、「思いのままに願い事が叶う」として、ご利益のある神社だそうです。

国道1号バイパスと交差 旧道はそのまま直進

写っているバスは、日坂から掛川駅まで結ぶ路線。この次の便が2時間後で最終バス。
これから向かう掛川宿まで、今のところ徒歩で約2時間を予定しており、はたして最終バスに抜かれないでたどり着けるだろうか。


2.塩井神社・伊達方の一里塚

県道から左の側道へ入る (旧国道1号なのでその表記が残る)

県道から側道に入る分岐のすぐ脇に、塩井神社の鳥居があります。
ただ、鳥居の先は小川が流れ、拝殿はその対岸ですが橋がないので渡れません。なんとも不思議な神社です。

塩井神社の鳥居
その先は川
説明板 川の手前から手を合わせてきました
側道を進む
幕末の俳人 伊藤嵐牛の資料館
伊達方の一里塚跡  江戸から五十七里目
説明板 実際には少し離れた場所になったらしい

3.葛川の一里塚

県道に合流
すぐに左側道へ入る
そして再び県道に合流
逆川に沿って進む このあたりは蛇行するため旧道も側道で蛇行
県道沿いに西へ向かう
たこ焼き・ハンバーガー・ソフトクリーム  矢沢栄吉の曲が大音響
日本の物流を支えるトラック
野菜が安い
フィリピン系の食料品スーパー
本村橋を渡り、またまた側道へ
このあたりから、住宅街が続く
秋葉常夜灯 日が陰りちょうど点灯したところ
寄り添ってきた逆川を初めて渡る
葛川の一里塚跡 江戸から五十八里目
すっかり日が暮れてきた

このあとも西へ進み、18:40に「掛川七曲り」の分岐まで進んだが、七曲りを辿るのは翌朝にして、この日はホテルへ直行。


4.掛川七曲り

翌日、2月26日(日)、快晴。
ホテルを6:45に出発し、昨日ルートを外れたポイントまで歩きます。

昨日の中断地点、新町バス停

宿場町の前後には、敵の侵入を防ぐために、あえて道を曲げて設けることがあります。
有名な「岡崎二十七曲り」には及びませんが、ここ掛川にも「掛川七曲り」があります。

七曲りの最初の分岐 7:00にスタート
案内に従い、まず左折
いったん南に向かう
ひとつめの角を右折(西へ)
角に表示あり
住宅街の中を進む
突き当りを左折(南へ)
往時の面影は全く残っていない
突き当りを道なりに右へ(西へ)
ここも住宅街の中
突き当りを、ここも道なりに右へ(北へ)
正面が東木戸跡 少し広くなっている
この辺りは「塩の道」とも重なっているようだ
御前崎付近から奥天竜まで伸びている
掛川宿の東木戸跡 桝形の雰囲気を残す
七曲りと東木戸の説明板
クランク状に折れ曲がり、北へ
一つ目の角を左折(西へ)
住宅街ではあるが、雰囲気が少し変わる
2つめの角を右へ(北へ)
道幅が広く、早朝は人もいない
2つめの角でバス通りと交差、左折(西へ)

七曲りは、ここで終了。
掛川は、この先の吉田(豊橋)・岡崎などと同じ、宿場町であると同時に城下町であり、防衛の意味からも七曲りを設ける必要があったのでしょう。
ただ、今は街道の雰囲気を醸し出すもの少なく、街道ウォークする者にとってはやや残念な感じが否めません。


5.<第二十六番>掛川宿

葛湯の銘菓の老舗 桂花園
立派な蔵

掛川は、今川配下の城下町だったが、徳川家康が攻め、のちに山内一豊(その後土佐藩へ移る)が居城とした地で知られています。

大手門通り
大手門

城下町の雰囲気を出した街づくりで、それらしき建物が目につきます。

大手門付近の商店
医院
信用金庫の支店
マンションの下の商店群

掛川宿の本陣跡は、「本陣通り」という屋台村になっていました。

掛川宿の本陣跡 7:20に通過
屋台の案内と、沢の本陣跡の説明板
朝の掛川宿の風景
呉服屋さんと見間違える、清水銀行の掛川支店
山内一豊の妻 千代のレリーフ
圓満寺 山門は掛川城の門を移築

圓満寺の辺りに、掛川宿の西木戸と番所があったとされています。
今日(2月26日(日))は、このまま西へ進み、次の袋井宿を目指します。

日坂宿→掛川宿
 距離 8.0km
 所要 (1日目)2時間10分+(2日目)20分=計2時間30分


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