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旧東海道ウォーク㊸ 桑名宿→四日市宿

2023年5月28日(日)。
伊勢国の旧東海道ウォークのスタートです。


1.町屋川
2.朝日町
3.松寺・蒔田・西富田・富田
4.茂福・羽津
5.海蔵川・三滝側
6.<第四十三番>四日市宿
7.(番外)まとめ


1.町屋川

桑名宿の西の枡形を抜け、四日市宿へ向かいます。

神仏隣合わせ 泡洲崎八幡社
その隣 光徳寺

今回の旅は3日間(5/26~28)の予定で、1日の距離を25~28kmで計画していました。一昨日と昨日は宿泊地を決めていたので予定どおり進みましたが、想像以上の暑さで疲労がたまってる感じ。
今日も朝から晴天で、しかも遮る木々も少ない市街地コース。四日市宿の二つ先の庄野宿まで約30km進む予定ですが、無理せず楽しみながら、行けるところまで進みます。今日はゴールしたら帰るだけなので、少し気楽です。

格子戸のある家

一般的に「格子」と言っても、調べると様々な種類があるそうです。
上のお宅の場合、左側の少し外に出ている部分は「出格子」、逆に内側に引っ込んだもの(この家にはない)は「平格子」。
その家の職業による特性もあって、「酒屋格子」は紅殻塗装、「米屋格子」は糠が付着しにくいように塗りをしない、「炭屋格子」は炭の粉が近隣に飛散しないように隙間を詰める、など。
これから先、格子戸を見るポイントが増えて楽しみです。でも、住民の方に怪しまれないように気をつけます。

七曲見附跡 県道に一旦合流
50m先の日進小学校南を右折
わかりやすい道標
天武天皇社
国道1号を横断
御菓子処 和(かず)
飛び出し坊や
旧街道らしい雰囲気がよい
突き当たりを左折
矢田立場跡 ここで小休止
プロテリアル(旧日立金属)桑名工場

かつては「江場松原」という景勝地。西に鈴鹿山地、東に伊勢湾を望んだと言われるが、今は工場と住宅地ばかり。

この先に伊勢湾があるはずだが
城南神社 伊勢神宮が仮座した社
国道258号の高架下をくぐる
旧街道の風景
伊勢両宮常夜灯
安永立場跡

正面は町屋川(員弁川)で、かつてはここに町屋橋が架けられていたが、並行する国道1号の橋が整備され、昭和8年に廃止されています。
一旦戻り、国道を迂回し川を渡ります。

常夜灯の角を左折して国道へ
国道1号の町屋橋
町屋川は員弁(いなべ)川の下流の俗称
橋を渡り右折
橋を振り返る

桑名市から朝日町に入りました。


2.朝日町

桑名市と四日市市に挟まれた、朝日町。
その先の富田町や羽津村が四日市市と合併した今は、旧東海道沿いではこの区間で唯一の単独自治体です。

町屋川沿いを100mほど北へ進み左折
上から読んでも下から読んでも「橋本橋」
朝日町の旧街道沿史跡案内
真光寺
時代を感じさせるたばこ屋
縄生(なお)の一里塚跡 江戸から九十七里目
この区間の東海道は「みえ歴史街道」

「みえ歴史街道」は、県の文化事業として進められ、伊勢街道や熊野古道なども含め19本の道を整備しているとのこと。
三重県は、まさに街道天国!

安達本家酒造 明治43年創業
近鉄伊勢朝日駅 東海道を大きくアピール
伊勢朝日第一号踏切 駅の横で近鉄を渡る
伊勢朝日駅の時刻表
近鉄特急が通過
東芝 三重工場
旧東海道の道標
「東海道中膝栗毛」にもこの地区が登場

この日はちょうど、地域の皆さんが街の美化に取り組んでました。ご夫婦参加や、子供たちがはりきってゴミ拾いしたり、素晴らしい活動ですね。
また、多くの家の軒先には花が飾られていました。造花だったり本物の花だったり、家ごとに様々ですが、地域が一体で美しい街づくりをしています。

ほほえましい風景
軒先の花
軒先の花
桑名藩主の奥方の菩提寺 浄泉坊
葵の御紋の瓦 桑名藩は徳川家とゆかりがある
西光寺
道なりに左折
わかりやすい道標
さらに道なりに右へと続く
かつての松並木 今は桜並木が整備されている
田植えが完了したようだ
多度大社常夜灯

多度大社の本宮は桑名宿の北方にあり、伊勢神宮にも関係が深く、北伊勢大神宮どともよばれているとのこと。北勢地区の民衆に広く信仰されていたようです。

伊勢湾岸自動車道をくぐる

新東名と新名神をつなぐ伊勢湾岸道は、日本の東西を結ぶ重要な路線。
その下の一般道(北勢バイパス)は国道1号の一部にもなっており、まさにここは、新旧の主要幹線道が交差する場所。

朝明橋で朝明川を渡る

日本武尊がこの川を越えるときに朝を迎えたことから、朝明(あさけ)の地名がついたと言われてます。


3.松寺・蒔田・西富田・富田

朝明川を越え、朝日町から四日市市へ

四日市市は、県庁所在地の津市よりも人口が多く、三重県最大の都市。
その面積も広く、旧東海道沿いには、四日市宿と石薬師宿の2つが含まれます。
そして今向かっている四日市宿手前の区間にも、6カ所の村(集落)があり、立場や間の宿があったようです。
進んでいくとわかるのですが、多くの集落が、史跡や集落の案内板を出したり、道案内を手作りで掲げたりと、おもてなしの心が伝わってきて嬉しいです。

最初の集落 「松寺」に入る
力石(ちからいし)

街道沿いで何度か見かけた力石。
その昔、駕籠かき人足たちが旅人の前でかついで見せるなどの力自慢をして、客集めをしていたとか。

Y字分岐を左へ進む
東海道の案内表示
東海道の案内表示
松寺の立場跡
静かな集落の中を進む
前川製麺 手延うどん・ひやむぎ・そうめん
次の集落「蒔田」の氏神 御厨神明神社
東海道の案内表示
サイクリングチーム
下は関西本線 上は三岐鉄道
西富田踏切で関西本線を渡る
この区間の関西本線は複線電化 
関西本線と三岐鉄道貨物が同時に通過
「西富田」集落 十字路を左へ
紡績工場の跡地では再開発が進行中
再び鉄道と交差 手前が三岐鉄道、奥が近鉄
右が三岐鉄道 左が近鉄
近鉄名古屋本線
一里塚橋
一里塚橋を渡ってすぐ、富田の一里塚跡
説明板 江戸から九十八里目

「富田(とみだ)」は、間の宿としても栄えた地。現在は四日市市に含まれるが、江戸時代は桑名藩領だった。
よく知られる「桑名の焼きはまぐり」に関する話として、本来は富田浜で取れたはまぐりをこの地で焼いて旅人に提供していたのだが、ここが桑名藩領だったために「桑名の」として広まったとのこと。実際に来て、初めて知りました。

間の宿 富田の街並み
この角を右折して中町通りへ入る
昔ながらの商店が立ち並ぶ
「津市元標へ拾里」とある道標
東海道の案内表示
桑名ならぬ「富田の焼きはまぐり」
明治天皇御休憩地跡
十四橋で十四川を渡る
十四川は桜の名所

4.茂福・羽津

新設用水道碑の前を左折
碑の横には力石があった
そのすぐ先で今度は右折
證圓寺 境内で小休止
右いかるが 左四日市

「いかるが」は法隆寺のある奈良の斑鳩ではなく、この近くの集落で「伊賀留我神社」がある。

「茂福」集落 もちぶく、と読む
茂福城もあったらしい
飛び出し坊や
県道64号の高架をくぐる
大神宮常夜灯 明治時代の再建
森の中の常夜灯は、旅人に安心を与えたはず

米洗川を渡り、「羽津(はづ)」集落に入ると、家々の軒先に面白いものが目に入ってきます。

「うどいかうと」
「とうかいどう」

旧東海道のルートであることを示すサインだと思いますが、地域おこしの取り組みなのでしょう。

明治特約店
現在は四日市市羽津町

この日は、地域の子供たち向けのイベントがあり、富田地区から羽津地区までの旧道沿いを、マップを見ながら石碑や旧跡を探す家族連れが大勢いました。
地元に住む子供たちも普段は気づかない発見ができ、そして家族と過ごす楽しい時間も生まれ、素晴らしい活動です。

イベントに参加する家族

このあたりの飛び出し坊やは、みな個性的でユニーク。まとめて紹介します。

飛び出し坊やの発祥の地は、滋賀県の東近江市とのこと。この先もいろいろな坊やに出会うかもしれません。

志氏神社の鳥居 車両が通れないのでは?
国道1号に合流

5.海蔵川・三滝川

日本橋から393km
四日市の名物 なが餅の笹井屋 三ツ谷店
 海蔵川の手前で左側道へ入る
このようなルートに(左→右へ)
多度神社 
突き当りの堤の先に海蔵川
川堤にあった、三ツ谷の一里塚跡
一里塚の説明板 江戸から九十九里目
海蔵川 橋がないので迂回
一里塚跡から堤道を北に進む
国道1号の海蔵橋を渡る
歩道が設けられていて安心
渡り切ると左折
川堤から右の道へ分かれて進む
「浜一色」集落を進む
四日市の大入道(おにゅうどう)

大入道(おにゅうどう、と読むのを初めて知った)は、四日市市の諏訪神社の大祭の山車で登場することで知られているが、最近は市のキャラクターの「こにゅうどうくん」も見かけますね、

昔ながらの団子屋さん
三滝橋を渡る
三滝川 南側に工場の建物や煙突が望む
三滝川 北側は国道1号の先に鈴鹿山地の山々

照りつける太陽と疲労で、想定よりもだいぶ遅れましたが、ようやく四日市宿に入ります。


6.<第四十三番>四日市宿

なが餅の笹井屋 こちらが本店

四日市宿の本陣跡と脇本陣跡は、現在ではその場所には一般企業が建っています。残念ながら案内板や石碑は見当たりませんでした。

帯屋脇本陣跡 今は建材店
黒川本陣跡 12:55着 今は農薬の商店

本陣の手前、かつての問屋場があった場所は、その地に開業した医院が廃業したのちにその建物を利用した資料館が営業しています。
写真を取り損ねてしまいましたが、中に入って、スタッフの方に案内していただきました。「東海道」だけでなく、四日市の発展の歴史に関する資料が展示してあります。

国道164号と交差し、横断

国道164号は四日市市中心部から四日市港までの、わずか3.2kmの国道です。

正面の建物を迂回して右へ曲がる

旧道が通っていた場所には、住宅や商店が建っているため、ここは迂回します。

図のようなルート (右上から左下へ進む)
国道1号にぶつかり、左へ進む
日本橋から395km
旧道は、国道の向こう側の道へとつながる
横断歩道まで迂回して、国道1号を横断
旧東海道に復帰
諏訪神社 鳥居
諏訪神社 本殿

今日は四日市宿をゴールとすることにし、3日間の道中安全の御礼参り。
その先、旧東海道は神社の表参道のアーケードとなって続いています。

表参道 スワ栄
旧東海道が屋根付きになるのはここだけか
「ここは東海道」と書いてあるので間違いなし
のぼりにも「東海道」
スワ栄アーケード西端 13:15着

陽射しの強さに体力を奪われ、水分補給に時間をとられ、休憩を含めてトータル5時間半以上かかって到着。

桑名宿→四日市宿(近鉄四日市駅周辺)
 距離 15.7km
 所要 4時間30分(休憩除く)


7.番外編 まとめ

今回(5月26日~28日)のまとめです。
 
踏破区間 御油宿→四日市宿
踏破距離 約71.0km
     (1日目28.5km、2日目26.8km、3日目15.7km)
所要時間(休憩込み) 約24時間40分
     (1日目9時間25分、2日目9時間30分、3日目5時間45分)

「5月の初夏」を想像して計画を立て、当初は今日のゴールは庄野宿といsていましたが、想定外の暑さで計画変更。次回のスタート地点(=交通機関で到達しやすい場所としたい)や、その先の宿泊地(=当然ながら、ホテル等がある場所でないと)を考えた結果、今回はここ四日市宿をゴールとしました。

右300mほどで近鉄四日市駅が見える
スワ栄近くで、うなぎ屋を発見
ひつまぶしと生ビールで栄養補給

浜松でも名古屋でもうなぎを素通りしましたが、ここで美味しくいただくことができ、満足です。

近鉄四日市駅の「こにゅうどうくん」

次回は真夏を避けて9月の3連休(まだ残暑かもしれないが)、そして11月の3連休と、2度に分け京まで向かう予定です。
今回も最後までお付き合いありがとうございました。

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