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旧東海道ウォーク⑳ 府中宿→丸子宿

2023年2月24日(金)。
東海道最大の宿場を抜け、安倍川越えに挑みます。

1.安倍川を渡る
2.名残松
3.<第二十番>丸子宿


1.安倍川を渡る

府中宿の東木戸跡を通過して1時間半、ようやく西木戸跡のあたりまで来ました。

このあたりが西木戸があったとされる場所 ややクランク状
町名からも、川越しが近いことがわかる
広い通りを横断 右前方が川会所跡
川会所跡 現在は派出所

川会所(かわかいしょ)は、川越しを監視する場所で、この先の大井川にもありました。
渡河事故を防ぐ意味とともに、川越し業者の金銭トラブル防止や、参勤交代の警備など、の役割があったのではないかと考えます。
この川会所跡、現在は派出所になっているのも偶然ではないかも。

本通りに合流し、安倍川大橋に繋がる
由比正雪の墓碑 由比宿で生まれ、府中宿の旅籠で自害 
合流地点の概略図

安倍川と言えば、有名な「安倍川餅」。その老舗、石部屋に立ち寄りました。

時代劇でよく見かける茶屋の雰囲気
店内も十分趣きあり
出来立てを購入、ほどよい甘さがくせになる

いよいよ安倍川を渡ります。

旅人が落とした財布を拾い、持ち主を峠まで追って返した、川越義夫の碑
安倍川大橋
上流を望む
下流を望む
新幹線があっという間に通過
もうすぐ対岸に
河原は広いが、本流の幅はそれほどでもない
対岸に到着

2.名残松

東側の地名は「川越(かわごし)」で、対岸の地名は「手越(てごし)」という集落。間違いなく安倍川越しにちなんでますね。

手越地区の絵図

旧東海道は、県道208号線を辿ります。
道幅が狭く、両側の家々もすれすれに迫っています。

手越の名残松
これも名残松 向かいはラウンドワンのボウリングピン(笑)
手越原交差点で国道1号線に合流
国道1号線
200m先、佐渡交差点で左の側道(県道208号線)へ
佐渡バス停 歩道が狭くバス停が民家の軒先を借りている
名残松
大曲の交差点を右折
大曲にあった、名残松の説明板

昔は東海道中の至る所にあった松並木も、今では僅かになってしまいました。
この区間では、松並木が続く風景は見られませんが、それでもところどころで1本だけ力強く残る「名残松」は、当時の風景を思い起こさせてくれる貴重な遺産です。

静鉄バス 丸子営業所
甘夏の無人販売 100円は安い
Y字路を、新道は右へ向かい、旧道は左方向へ
しだれ梅
「一りづかあと」 丸子の一里塚跡 江戸から四十六里目

3.<第二十番>丸子宿

丸子宿は、山間の狭い地域のため大きな宿場ではありませんが、東の安倍川、西の宇津ノ谷峠と難所に面していたため、比較的にぎわった宿場だったようです。

丸子宿の江戸方見附跡
説明板
丸子川の守護神 水神社
明治40年創業 しらい酒店
商店だけでなく民家にも「屋号」が掲げられている
脇本陣跡
問屋場跡
丸子宿本陣跡 11時50分通過
脇本陣跡
お七里役所 (紀伊徳川家専用の飛脚の宿駅)

丸子宿の名物といえば、とろろ汁。
元祖と言える丁子屋(ちょうじや)で昼食をとることにしました。

丁子屋 正面
広重の浮世絵にも描かれている (これはイメージ図だが)
大広間には五十三次の浮世絵が飾られている (実際には別の部屋で食事だった)
とろろ汁定食
資料館

予定ではもう少し早く到着したかったが、ちょうど昼時と重なってしまい、案内されるまで20分ほど待ち。大広間には入れず残念でしたが、奥の落ち着いた座敷の客間に通されて(=館内をぐるっとまわることができた)、無事にありつけました。
新鮮な自然薯を使い、麦めしとの相性もよく、当時をしのびながらおいしくいただきました。

早咲き桜が満開

店の正面の丸子橋を渡ると、西木戸跡と高札場跡です。

高札場跡には、三枚の高札の複製
毒薬にせ金禁制
宿駅諸法度
忠孝奨励諸法度

いよいよ宇津ノ谷峠越えに挑み、その先の岡部宿へ向かいます。

府中宿→丸子宿
 距離 6.3km
 所要 2時間10分(昼食時間除く)

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