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#41 3つの期待は、自分の期待では無かった!

小学生から中学生に、かけては、多くの「習い事」に、通いました。と言うより、通わされて、いたのでしょうか。

自分が、働くようになり、いろいろと、学ばせようとしてくれた。また親の「金銭的負担」を、理解できるようになると、ありがたいことだったと、実感しています。

とは言え、やはり「親」が、決めた「習い事」は、ことごとく、性に合わずに、どれも長続きせずに、挫折します。

期待にも応えられずに、落ち込み「なんで何もかも出来ない」のだろうと、「自己卑下」していきます。

「したいことをしているのが楽しい」のではなく、「期待に応えられたことがうれしい」というのは、気持ちが外に向いています。
 
つまり、常に他人の評価に気持ちが向いていて、気がつけば内側が空っぽになって、さらに、期待に応えられなかったときや、相手が喜んでくれないときに落ち込んでしまう・・・・・・

心屋仁之助著『「最近なにもかもうまくいかない」と思ったら読む本』より引用

この「3つの習い事~剣道・水泳・スケート」とにかく、肥満児の、わたしは、運動が大の苦手で、大っ嫌い、そんな状況を、心配してこその「親」「選択・期待」だったのかもしれません。

一方で、「珠算教室」「鉄道クラブ」は、とにかく楽しかった。よく覚えていないのですが、恐らく自分から、行きたいと言ったのかも、しれません。

自分が楽しいと、「親」の期待を、気にして頑張ることも、指導の先生の「評価」も、不思議と、気にならなくなります。

「喜ばれるとうれしい」よりも「喜ばれなくてもやってて楽しい」となれるといい。ひとりよがりでもいい。
そうすると、評価も気にならなくなる
~(中略)~
面白いことに、そうすると逆に喜ばれたりします。
喜ばれること度外視で好きなことやっていて、「結果」喜ばれたら最高ですよね。

心屋仁之助著『「最近なにもかもうまくいかない」と思ったら読む本』より引用

あれだけ嫌いだった「運動」も、大人になり、自分の意思で「ジム」に、行くようになってからは、したくてやっているので、すこぶる楽しい。

誰に、喜ばれるわけでもないし、相変わらず泳げずに「プール」で、歩いているだけ「評価」もなにもない。

この「note」「鉄道ブログ」「メルマガ」も、プレビューやコメント・スキが、少ないけど、自分がしたくてやっている。楽しいから「継続」できています。

とは言え、一時期は、たまに来る「コメント」「評価」「期待」されていると思い「喜んでもらえて嬉しい」と、感じてしまいました。

なにがなんでも、「メルマガ毎日更新」や、ブログで「いい記事・体裁のいい記事」を、書こうと、考えるようになり、やがて更新が、出来なくなりました。

人の役にたつのはいいことです。でも気をつけないと、知らないうちにはまってしまう「罠」がそこにはあります。それは「人の喜ぶ顔を見るのがうれしい」という罠です。
~(中略)~
「要望されること」「期待されること」、つまり、「求められること」が、嬉しくて、やっていることも多かったと思います。
~(中略)~
「期待に応えよう」と頑張るから、しんどいんだなぁ、と、いつしか気づいたのです。

心屋仁之助著『「最近なにもかもうまくいかない」と思ったら読む本』より引用

「期待」されたり「喜んでもらえたり」するのは、確かに本当に、嬉しいですよね。

でも、そこを、「モチベーション」にしてしまうと、結局は息切れしてしまう、わたしが、いました。

「楽しい」「したいこと」ばかりで、いいのか、正直なところ「今」でも、悩みますが、自分の気持ちを、優先して、「行動」していくことにしています。

そのせいか、最近は「note・鉄道ブログ・メルマガ」も、定期的に更新できています。

「楽しい」「したいこと」ばかりの中でくる「コメント」は、とびきり嬉しく感じます。

「他人」「期待」ではなく、「自分」「期待」に、注目してみませんか。

#42「生きづらさ」を感じたら!はこちらから

引用させていただいた「本」


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