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母が残してくれたことわざ その2

 子どもの頃の大好きな遊びといったら、まず近所の鶴舞公園での虫採りや魚とりでした。夏休みなんか、毎日真っ黒になってセミ採りや池のタナゴを捕まえてきては家に持って帰り、母に、逃がしてやりなさいと言われて泣く泣く公園に返しに行ったものでした。
 高校・大学時代は、ほぼほぼ音楽に熱中していましたが、社会人になり、テレビ番組を作る仕事をしていたら、いつの間にか生きものや自然をネタにした番組をやるようになっていました。そんな僕を見て、母は、

雀百まで踊り忘れず

 だね、と言っていました。小さい頃に好きだった事って、大人になってもなかなか変わらないというか、そこに戻ってくるものなのでしょうか。
 もしそうなら、世界中の子どもたちが自然や生きものの面白さに夢中になっていれば、大人になっても自然や生きものを大切にして、環境問題を解決するための大きなモチベーションになるといいのに、と思います。

鶴舞公園、胡蝶ヶ池の魚を覗く6歳ごろの私

 昔の名古屋市内や尾張地方では、その家にお嫁さんが来るなどの祝い事があると、集まったご近所の人に、二階から豪勢にお菓子をバラまく「菓子撒き」という風習がありました。当然僕なども近所の友達と一緒に、真っ先にその家の軒下に陣取り、お菓子が撒かれるのを、直下で今か今かと待っていたものです。
 ところが、いざお菓子が撒かれる時は、撒く人の方が景気よく遠くまでお菓子を投げるので、すぐ下にいる僕らにはなかなか気づかず、あとからのんびり来た、後ろの方にいる母や祖母などがしっかりお菓子をもらっているのです。クッピーラムネ一袋しかもらえなかった僕を見た母は、

あわてる乞食は貰いが少ない

 などといいながら、チョコやおせんべいなどを分けてくれたものでした。損得の話というよりは、「欲深いことは恥」だと、暗に教えてくれたことわざだと思っています。
 今では名古屋市内では全く見られなくなった風習ですが、
そもそもお乞食さんの姿も、ほとんど見なくなりました。
 それは日本が豊かになった、というより、貧困が表に見えなくなっただけのような気がします。


 昔から僕はトイレで本を読むのが好きで、ついつい長トイレになってしまうのですが、そんな時に母が「ご飯だよ!」と呼ばれて「はーい!」と答えても、トイレの中の僕は本を読むのに夢中で、いつまでたってもちゃぶ台に現れません。
 もう一度母が「ご飯できたから早く来なさい!」と言っても、僕は「はーい!」と返すだけ。

声はすれども姿は見えず、 

ほんにお前は屁のような

 などと業を煮やした母にトイレのドアを開けられて、お尻丸出しの僕は笑われながら叱られるのです。
 講談や落語から巷間に広まったようですが、元々は、江戸時代の名歌「山家鳥中歌 和泉の項」の、『声はすれども姿は見えぬ 君は深山(みやま)のきりぎりす』が原典だとか。
 
 声はすれども姿は見えず・・・というのは、自然の撮影中に僕もよく体験します。
 冬場、すぐ足許の薮の中で「ジェッ、ジェッ、」という鳴き声がするのですが、薮の中だけに姿は全く見えません。
 実はこれはウグイスの地鳴きと呼ばれるもので、春に聞くあの美しい囀り「ホーホケキョ!」と鳴く同じ鳥とは思えない地味な声ですが、ああ、ここに声はすれども姿を見せないウグイスが確かにいるんだな、と嬉しくなります。

薮の中のウグイス

 僕などは気が短いので、何か気に障ることがあると、つい乱暴な口調や、相手に無配慮な言葉使いになってしまいます。そういう時、はよく母に、

丸い卵も切りよで四角、

ものも言いよで角が立つ

 と、たしなめられたものです。未だにこのラディカルな性格は変わらず、角が立つ言い方で、皆さんにご迷惑をかけています。陳謝。

 ところで僕が小学校2年生まで、実家のトイレは庭先の離れの「ボッチャントイレ」でした。当時は名古屋市内の真ん中の住宅地とはいえ、まだそういう家も多かったようで、バキュームカーという車が、トイレに溜まった糞尿をホースで吸い込み、集めに来てくれていました。
 当然ながらその車は糞尿の匂いを伴って近づいてくるわけで、その車が来ると僕などは鼻をつまみながら「えんがちょ」してました。そんな態度を見た母が、

籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人

 といって、こうやって人が嫌がる仕事をしてくれるありがたい人がいるから、世の中がちゃんと回っているんだよ、だからそういう大事な仕事をしてる人が嫌な思いをするような態度はやめなさい!と、きつく叱られた思い出があります。
 今、僕らはネット通販で何でも買える便利な世の中になっているけど、その暮らしは、そもそも商品を作る人、それを管理する人、何よりその荷物を配送する人のご苦労によって支えられているんだなあ、と改めて思います。
 そして、僕がしている映像作家という仕事は、果たして人のお役に立てているのだろうかと、深く深く反省してしまうのであります。

文責:birdfilm映像作家 増田達彦