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汽車のある情景

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日常に疲れてしまった時、せめて心だけでもどこか旅に出かけさせたい・・・。ならば、のんびりと煙をたなびかせて汽車が走る風景に旅をしてみませんか?そんな昭和の旅のエッセイ集です。
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昭和の旅 汽車のある情景 国鉄山陰本線 嵯峨駅

山陰本線京都口の無煙化が近いと聞き、 とりあえず嵐山を訪れたのは、昭和46年、 3月になったばかりの小雪舞う寒い日だった。  急行「比叡」と山陰本線の各停を乗り継ぎ、 嵯峨駅についた頃には、あたり一面が、 すでに真っ白に雪化粧していた。  この先の竹林でトンネルから出て来る 上り列車を捉えるつもりだったが、 底冷えの嵯峨野を歩く元気もなく、 このまま駅で待つことにした。  木製の頑丈そうな跨線橋を渡り、 上り線のプラットホームへ降り立つと、 列車の到着までまだ時間がある

汽車のある情景 序文

 次々と畳みかけるような忙しさや、 逆にポッカリと空白の日々に襲われ、 何処かに逃げ出したい衝動に 駆られることがよくある。  でも、現実にはなかなか逃げ出し たりはできないわけで、そんな時、 せめて心だけでも、何処かへ旅に 出かけさせたいと思う。  そんなときに僕は、のんびりと、 煙をたなびかせて汽車が走る風景に 旅する。そんな時代に旅する。  きっと生まれ育った家の近くに、 汽車の走っていた中央本線があって、 そんな情景が身近だったからだろう。  でも、僕の心が旅

汽車のある情景 倉吉線

昼過ぎの混合列車は、 がたたん、ごととん、と、 倉吉を出た。 小さな機関車の後ろには、 三輌の貨車と二輛の客車。 栗色の古ぼけたその客車には、 僕の他に花を売る行商のおばさんと 病院帰りらしいおじいさんだけで、 窓の外も客車の中も、 九月の午後の気だるい空気が 漂っている。 今年は残暑が厳しいが、それでも 色付いた田圃から吹き込む風には、 心なしか秋の涼しさが感じられる。 おばさんの姉さん被りの手拭いが、 その風に、はたはたと揺れていた。 倉吉を出て、ほとんど加速ら

汽車のある情景 裏庭の線路

老人は木工職人だった。 伝統工芸というわけでもなく、 ラワン材で安物の小さな木箱を、 細々と作っていた。 戦前は若松で若い職人を十人も抱えた、 そこそこ名の通った木工所を構えていたという。 しかし、戦争は、 弟子たちを次々と中国奥地や南方へ送り出し、 空襲は店も鋸も鉋も何もかもを灰にした。 弟子たちは誰一人帰ってはこなかった。 老人は今の土地に借家を借り、 腕一本で子ども三人を育て上げた。 戦後機械化が進み、あらゆる物が 大量生産のプラスチック製品に姿を変え、 老人の仕