汽車のある情景 裏庭の線路
老人は木工職人だった。
伝統工芸というわけでもなく、
ラワン材で安物の小さな木箱を、
細々と作っていた。
戦前は若松で若い職人を十人も抱えた、
そこそこ名の通った木工所を構えていたという。
しかし、戦争は、
弟子たちを次々と中国奥地や南方へ送り出し、
空襲は店も鋸も鉋も何もかもを灰にした。
弟子たちは誰一人帰ってはこなかった。
老人は今の土地に借家を借り、
腕一本で子ども三人を育て上げた。
戦後機械化が進み、あらゆる物が
大量生産のプラスチック製品に姿を変え、
老人の仕