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全力は一体どこへ。

お世話になってます。アルテリーヴォ和歌山の宇都木です!
暑くなってきました。これからエアコンを使う時間が増えてきますが、試運転は済んでいますか?
今のうちに試運転しておいた方がいいです!なぜなら夏になって使い始めた時に故障が見つかってからじゃ手遅れ。
修理業者はもう既に混み合っているので猛暑の中エアコンなしで生活することになります。。
どうかお気をつけください。

さて本題ですが、今年から週に1回、サッカースクールのコーチとして、低学年から高学年の小学生を教えさせていただいています。教えると言っても本格的な感じというより、サッカーをかじりつつ、楽しみながら体を動かすのが目的のスクールです。

約1時間の練習の最後には、ミニゲームをするようにしています。ただ普通にやっても面白くないので、少し無茶なルールを設定したりするんですが、子供たちはそのルールをクリアしようと全力で取り組んでくれます。
勝利を手にするために、まだ関係性は浅いはずの味方の子に、ああしてくれこうしてくれと指示を送るんです。指示を受けた子も、文句も言わず嫌な顔もせず、それに答えようとします。
僕はそのシーンをニヤニヤ見つめながら、そんな全力な姿に感動するのと同時に、切なさを感じました。

今の僕だったら、「なんでこんなルール設けるん?」とか、「あんまり知らない人に指示して嫌な顔されても気まずいし、てかそもそもただのミニゲームだし、そこまでして勝ちたいわけでもないし」とか思いそう。。

誰しも小学生くらいの時は、目の前のことに対し、脇目も振らず無我夢中に取り組み、嬉しかったら笑い、悔しかったら泣いていたんじゃないでしょうか。

しかし大人になるにつれ多くの経験をしていく中で、自分がどんな人間かを知り、いろんな物事を知り、そして自分とそれらを照らし合わせる。これは自分に向いていないと判断しては、手を抜く、またはやろうともしなくなる。
全力でやるの、なんかダサいとか、変な恥じらいを覚え、全力を出さない理由を考えるようになる。そうして、子供の頃に持っていた「無意識の全力」は、いつの間にかどこかに行ってしまう。。

僕は思う。知ったつもりになっているだけで、たぶん何も分かっていない。自分自身のことも、あらゆる物事も。
だって「全力」でやらないと、面白さなんてわからないから。

「お前の話にはオチがない」って言う人、たまにいませんか?そういう人に対して、聞き手が頑張って落としてあげたらいいやん、って思うんです。
全力で向き合わずにこいつ面白くないと決めつけて、自分と相手を理解した気になるな。ということです。

「これやる必要ある?」「なにこれつまんなっ」
そう思ってしまうのはもうしょうがない。大人になればそりゃ、私情や事情が増えるから。でもせっかくやるんだったら、全力でやらないのはもったいない。
だから意識的な全力でいい。わざと全力で楽しもうとすることで、確実に発見がある。
それが「これ面白い!」なのか「おれってこれ楽しめる人間なんだ!」なのか「やっぱこれつまんない」なのかは分かりません。
ただ「つまんない」と思っているうちは、まだ全力を出せていないのかも知れません。
きっと、「全力」に終わりなんてないんだと思います。

どれだけ大人になろうが、誰にでも子供の一面は眠っているはず。意識的な全力の先に、子供の頃のように「無意識の全力」が出せるようになるのかならないのか。淡い期待を自分に寄せながら、何事にも全力で取り組んでいこうと思ったのでした。

読んでいただきありがとうございました!
良い週末をお過ごしください😊

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